11 とある女の人生
物心つく前から、きっと好きだったんだと思う。何かを考えるとか、何かをするだとか、そんな当たり前の事よりも、彼を好きという感情は、当たり前だった。
熱しやすく、執念深い。
昔友人にそんな事を言われたけれど、別にそういうつもりではない。ただ、ずっと一途なだけだ。
だってそうだろう?
好きなものや、やっているもの。着ている服から使っているケータイまで。それらのものを、すぐに捨てて、他のものに乗り換えるという考えは、理解出来ないのだ。
だから、その日もいつも通りの可愛いオレンジのワンピースで、少し高めのヒールを履いて、出掛ける前に大好きなアーティストの歌を聴いた。何年も聴き続けた歌が彼女を落ち着かせた頃、今まで溜めていた想いを、隣の家の彼にぶつけた。
「私は、あなたが好き。ずっと好きだったの。だから、付き合って」
決死の告白だった。ずっと一緒に居た、いわゆる幼馴染に想いを伝えるというのは、漫画で読むよりもずっと緊張していた。
手がじわりと汗ばむ。クーラーのきいた彼の自室で、彼女はドキドキと、身体中を熱くしていた。目の前でぽかんと呆けている彼の顔が、次はどんな表情になるのだろう。良い結果になる事を願いたい。そうじゃなければ、私は自殺してしまうかも。
そんな事をもやもや考えていたら、次の瞬間には、彼は照れ臭そうに頭をかいていた。
そして、こう言うのだ。
「ありがとう。俺も、好きだよ。だから……これからも、よろしく」
心臓が飛び跳ねた。人生で一番嬉しかった出来ごとかもしれない。
彼女はあまりにも感情が高ぶってしまい、そのまま泣いてしまった。嬉しい、ありがとう、大好きよ。
ありきたりな言葉しか言えないけれど、それでも想いは伝わった。
それが、どんな事よりも嬉しかった。
これからは、ずっと一緒よ。いいえ、これからじゃないわね。今までも、これからも、よ。永遠に、私達は一緒なんだから。
「ああ、そうだな」
彼は笑顔で、頷いてくれた。
彼女が中学二年の夏休みの出来ごとだった。
気づけば隣に居るのが普通の存在なんて、人生で何人居るのだろう。きっと、私には彼しかいないわ。
そうやって恋に恋する彼女は、彼と付き合い始めてから、彼しか見なくなった。
好きだったアーティストの歌を聴くのもやめた。彼が可愛いね、と言った服しか着なくなった。ケータイも彼と同じ機種にして、待ち受けも同じにした。朝起きる時間も、学校を出る時間も、一緒にした。
彼に、彼だけに、一途を貫き通した。
熱しやすく、執念深い。
友達に言われた言葉に、まさか、と鼻で笑い飛ばした。私はそんなつもりはない。だって、彼の見ている世界はいつだって新しいもの。思わず私もハマってしまうけれど、それって普通の事でしょ?だって、それは彼の一部でもあるのだから。
彼女の見ているものは、いつだって、彼の見ているものだ。
私は彼で、彼は私で。
ああ、なんて素晴らしい世界なのだろう!
大好きな人と一緒に居られて、同じ事をして、生きていられる。これ以上の幸せはきっと何処にもないはず。
だけど、そんな幸せは、長く続くはずがなかった。
「別れよう」
彼が日本史に興味を持って、歴史に強い大学に行きたいと言いだした。彼女も必死になって同じ場所を受験した。そうして合格した大学一年の夏休み。
さあ、今日も彼の家に行って、歴史について語り合おう。そう思っていた矢先の言葉だった。
「……暑さでおかしくなったのかしら。冗談にしては、きついわ」
ふふ、とおかしそうに笑う彼女。だけど彼の真剣な顔つきに、やがて笑みは絶える。
「もう、我慢の限界だ。しつこいくらいに俺と一緒の行動を取って、全て合わせて、俺と一緒に居る。本当に、ずっとだ。止めてくれ。うんざりするんだ」
ベッドの横で、あぐらをかいて苦々しげに吐き捨てた。その言葉に、胸を締め付けられるような感覚に陥った。
何で、そんな事を?
「でも、そんな、待って。だって、私、この場所で言ったわよね?貴方が好き、だから永遠に一緒にいようって。あれは嘘だったの?私の事、嫌いなの?」
「嫌いなら、付き合うわけないだろう!そうじゃない、俺が言いたいのはそうじゃないんだよ!いつも同じ事をしているじゃないか!お前はお前、俺は俺。それが何で分からない?」
「分かんないわよ!今までずっと貴方と一緒に居たのに、分からないの!ねえ、どうして!教えて!」
叫び散らす彼女に、やがて彼はもうダメだとでも思ったのか、くるりと身体を反転させて、背中を向ける。
そうして、恐ろしいほどに低い声で、言い捨てた。
「もう、言う事はない。俺には近づくな。これで俺達は終わりだ。じゃあな」
思わず壁に手をついていた。悔しさのあまり、拳に力が入る。
どうして、どうして、どうして。
私は貴方をずっと見てきた。
一途に、想い続けていた。一緒に、居た。
分からない、分からない。
貴方がそんな事を言う理由が分からない。
だけど、これだけは、分かるわ。
――私は、貴方が何よりも好き。
たとえ裏切られたとしても。許しがたくても。
「私は、貴方を許さない。絶対に、後悔させてあげるわ」
――だって、貴方が好きだから。
別れてからというものの、彼女は今まで以上に自分に磨きをかけた。彼によりを戻したいと言われるように。
更に、自ら今までとは違う事をしてみた。
もはや生活習慣になっていた歴史の勉強をやめて、音楽の勉強を始めてみた。黒が好きだった彼に合わせるために捨てたオレンジのワンピースも、新しく買い直した。高いヒールを履いて、雰囲気も清楚なものから活発なものにした。
すると、どういうことだろう。
他の男たちが言い寄って来るようになったのである。彼氏が居なくなったからなのか、それとも雰囲気が変わったからなのか。
しかし、肝心の彼からは一向に音沙汰がない。
今までの生活がまるで嘘のように、彼は彼女に関わる事がなくなった。
ムキになった彼女は、言い寄ってくる男たちととっかえひっかえに付き合う事になっていく。それでも、やはり男たちは最後には酷くしんどいような顔をして立ち去って行くのだ。
「どうして。どうしてよ。私の何がいけないというの」
付き合うのなら、誠実にやっていきたい。そう思って、付き合う全ての男に合わせて行動をしていったのに、結局だめになっていく。
ああ、やはり自分には彼しかいない。
心の奥底で抑えられない感情を爆発させるのは、案外容易い。
彼女は大学を卒業間近に控えた時期に、彼の元へと再び足を運ぼうと決意する。
彼女は久々に会う彼に何と言おうか、悩んでいた。大学付近の川辺でぼんやりとしながら、彼に話す事、最初に何と言うか、その日の服装はどんなものにしようか、などと考えていたのだ。
まるでデート前の女性のように浮かれた気分になった彼女は、勢いよく立ち上がる。
その瞬間だった。
「え?」
ジャリ、という音が酷く大きく聞こえた気がした。
彼女が勢いに任せて足をもつれさせてしまった事を気づいた時には、既に遅かった。そのまま砂利道を転ぶかと思いきや……、どういう訳か、引き込まれるように川に溺れてしまったのだ。
「ごほっ、誰か……たす、けて」
必死にもがきながら声を絞り出す。
カナヅチである彼女に川を泳げるはずもなく、しかも、その川は予想以上に深かった。
足がつかない。薄ら寒い水面が、身体の温度をこれでもかと言うほどに奪っていく。
服が食べるように水を吸い込み、手を、足を必死に動かしても、首元まで一気に水面に浸かってしまう。
次第に身体が沈んでいく事に恐怖を覚え、それならば、と必死に声を出す。
「誰かっ!誰かいないの!」
そうは言っても、誰も通りかからない。大学の講義はとっくに終わっていて、生徒は帰ってしまったのだろう。加えて、この川は大学の裏手。日中でも人を見かけないのはいつもの事だった。
結局、彼女は誰にも見つかる事なく、全身を委ねてしまう。
意識が遠のく中、やはり自分の心にあるのは彼の顔だった。
ゆらゆらと揺れる自分の髪を見ながら、ゆっくりと身体を抱き寄せる。どうせもがいても、もう地上には出られない。ならば、大好きだった彼の事を考えながら死んで行きたい。
――ああ、それでも最後に貴方に会いたかった。
そうは思っても、もう身体は動かない。
締め付けられるような息苦しさの中、彼女は川の中で想いを馳せながら、息を引き取った。
それが、彼女――すなわち、横谷美弥の人生だった。




