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10 彼女の能力

 午後九時を、時計の針が大きく回った頃。

 夕方、雪月が何をしたのか、どうして熱を出したのか、そして、本当にあの霊はどうにかなるのか。聞きたい事を山ほど抱えたまま、説明されるのを待ってから早数時間。

 店内に入れば、すぐに事情が分かるかと思いきや、現在蛍は店の商品磨きを手伝わされていた。

 黙々とクリーナークロスでガラス製の商品を磨いて行くというのは、なかなか集中出来る。だが、それが切れた時の虚無感というのも凄まじいものなのだ。

「何やってんだろう、俺……」

 本日何度目かの集中が切れ、ハッとなる事数回。さすがにそろそろ疲れ、手を休めた。

 金は取らないと言っていた。ということは、代わりに働いて返せと言う事だろうか。それなら頼むんじゃなかった。そもそも、自分も流れではい、なんて返事をするんじゃなかった。アホだ。

 店内には美代も大板も居ない。ただただ一人で数時間、商品を眺め、光るほどに磨くと言うのは精神的にくるものがある。

 手を休めて、身体を伸ばす。肩のあたりから、バキバキッ、と音がしたのは、気のせいという事にしたい。

 カウンターの奥に備え付けられた、木材の椅子に深く腰掛けて天井を見上げる。

 そうして暫くぼーっとしていると、背後から荒い足音がした。

 無意識に振り返って、その正体を探ると、予想通り、美代が階段から下りてきた。

「お、お疲れさん、どうよ、磨けた?」

「ええまあ。磨いたのは、カウンターに置いてあるんで、後はよろしくお願いします」

「ん、ありがとね。結構綺麗に出来てるじゃん」

 そりゃあ、任されたらしっかりやりたい。たとえ無償であっても、だ。

「柊の様子は、どうですか?」

 美代がカウンターに置いたままの商品を戻して行くのを、ぼんやりと見ながら尋ねる。小瓶、コップ、スノーボール、オルゴール……。次々とあるべき位置に戻していく美代は、振り返って、安心しきった顔で大丈夫よ、と返した。

「もうすぐこっちに降りてくるから、そしたらお待ちかねの時間だ」

「そうですか」

 それだけ言うと、立ち上がって自らも商品を戻す事にする。たいして店に来た事がないうえに、あまり統一された並び方をしていない。

 おかげで一つ一つ美代に聞きながら返して行くと、大板が外から店内に入って来た。

 彼は階段の上をちら、と見やって、未だに雪月が降りて来ていない事を確認すると、顔を曇らせた。

 ちなみに、この店は二階が美代と雪月の生活部屋で、住み込みで働いているらしい。こんな不思議空間に住むというのは、どんな気分なのだろう。

 大板に釣られて階段を見ても、誰かが降りてくる気配はない。熱を出したと言う事は、寝込んでいるのだろうか。

「美代さん、雪月ちゃんは大丈夫?」

「大丈夫だって、気にする事ないよ」

「でも、いつもより辛そうだった気が」

「そりゃあ当てられたんだろ。そろそろ降りてくる頃だから、大人しく待ってなさいな」

 大板は、そう言われるとホッとしたように胸を撫で下ろす。

 未だにスーツ姿の彼は、ジャケットを脱いだかと思うと、上からこの店のエプロンを着る。そして、視線に気づいたのか、こちらに目を向けると、柔らかな笑みを浮かべた。

「蛍くんも、これ着る?」

「いやいやいや、俺従業員じゃなくて客ですよ?」

「何だか、羨ましそうに見てたから着たいのかな、と思ったんだけど。違うのか」

 何でそうなる。

 大板の気の抜けた態度に、苦笑すると、背後から足音がした。ゆったりとしたその音は、段々とこちらに向かって来ている。

 その音に気づいたのか、美代も大板も階段の方に目を向けて、じっと黙る。その顔は、何処か真剣だった。

 そして、ようやく姿を現した雪月は、三人の霊を引きつれて、ゆっくりと階段を下り終えた。

 僅かに顔が赤いのは、熱のせいなのだろう。彼女は火照った顔を隠すように俯かせて、お待たせしました……とか細い声を出した。

「それじゃ、状況整理と行こうじゃないの。雪月、任せたよ」

「はい」

 それを合図に、大板が素早く椅子を店内の中心に並べる。何処から持ってきたのかは知らないが、椅子は三つ。美代は堂々とカウンターの上に座って偉そうに足を組んでいるから、きっと蛍の分も入っているのだろう。

 恐る恐る椅子に座って、四人向かい合わせになる。

 店内は、小さな会議をするかのような、厳かな雰囲気に包まれていた。

 目の前に雪月、右に大板、そして左に美代。何処を見ても誰かがいるこの状況は、学校の給食の時のようだ。懐かしい事を思い出しつつ、あの、と手をあげた。

「まず、俺から聞いてもいいですか」

 ずっと待たされたうえに、店の手伝いだってしたのだ。それくらいの権利はあるはず。思わず口走っていると、美代はいいよ、と素直に頷く。

 まさかひねくれた彼女がそう返事をするとは思わず、固まっていると、大板もそうだったのか、驚いた顔をしていた。

「美代さんが素直だ。明日はきっと世界が終わる……!」

「大板、明日はアンタの命日だ、覚悟しな」

「はは、やだなあ、美代さんは。冗談だよ」

 軽いジョークだと言わんばかりに笑い飛ばす大板は、楽しそうだ。そのやり取りを聞いている雪月はくすくすと手を口に当てて上品に笑っている。

 伏せた瞼が僅かにぴくぴくと動いているのを見つつ、痺れを切らしたかのように話を切り出す。

 自分が聞きたいこと。

 それは。

「柊の肩に触れた途端、誰のか分からない記憶が流れ込んできたこと。あれの正体を教えてください」

 それは、女と男の記憶。まるでドラマでも見ているかのような、修羅場。だけど、可笑しいんだ。

 臨場感がある、感触がある、まるで現実である。

 そして、胸がとても苦しくなる。怒り、悲しみ、恨み、後悔。恐ろしいほど感じられるその感情達は、まるで自分のものであるかのように襲いかかる。それが何より、気持ち悪い。

 いつの間にか、しかめっ面になっていたようだ。対面する雪月の霊が、睨んでいると勘違いしたのか、睨み返された。

 しばらく沈黙が続く。どういう訳か、三人は質問に答えあぐねている様子だった。忙しなく三人の顔を順に見て行く。雪月も、大板も、美代でさえ、困惑の表情を浮かべていた。

 説明してくれると、言ったじゃないか。

 裏切られたような感覚に陥った彼は、問い詰めるべく立ち上がった。大板が口を開いたのも、同時だった。

「分からないんだ」

「……は?」

「そんな事は、初めてなんだ。まさか共有するなんて、思っても見なくてね」

 どういう事だ。何の話をしているんだ。共有?それは、もしかして雪月も同じ記憶を体験していたというのか。

「皆さんでも分からないって言うんですか。また何か仕掛けたんじゃなくて?」

「はは、まさか。そりゃ不思議な物しか扱わない店だけどね。お客様に迷惑をかける事はしないよ」

 いいから座りな、と続けて美代に言われ、途端に恥ずかしくなって座った。勢いで立ち上がってしまったが、これでは感情に振り回された短絡な人間だと思われるじゃないか。

「ちょっとその事も含めてアンタに話をしてあげよう。雪月の事をね」

 美代は足だけならず、腕も組んで、やはり上から目線だ。その態度に、いち早く反応したのは、予想外の人物だった。

『反対です』

 きっぱりと言い放って手を挙げた女性は、雪月の傍でいつも支えている霊だった。気付けば睨まれているし、口調もきつい。あまりいい印象を抱かない彼女は、やはりイメージ通りだった。

「なぜ?」

『この人に危険を感じるからです』

「ふうん?説明してごらん?」

 そう言われると、雪月の背後に控えていた霊が、前に出る。正確には、雪月を通りぬけて、蛍の前に立ったのだ。

 ショートボブの黒髪に、吊りあがったきつそうな目。透けた身体は、Tシャツとショートパンツに身を包ませ、活発的かつ、利発なイメージだ。改めて対面すると、堂々とした霊だった。

『彼は、悪霊に憑かれても平気そうに町を歩いています。自分で祓えると驕り、尚且つこの店と雪月を侮辱しました。何処に信頼できる要素がおありで?』

「でも、こいつはお客様だよ?」

『そうです。けれど』

 霊は言いかけて、こちらをちら、と見やる。再度美代に顔を向けて、眉間に皺をよせ、いかにも煩わしそうな表情で続けた。

『私達霊に対して、あまりにも慣れ過ぎではありませんか。いくら常日頃から見えるとはいえ、私や雪月の周りに居る子達を見た時、驚いた様子はありませんでした。ここまで冷静に居られるのは、むしろ危険ですよ。私達と、そして雪月の能力を利用しようと考えるかもしれません』

 あまりにも結論を急ぎ過ぎだと思う。

 無表情のまま、違う、という意味を込めて首を振ると、美代は難しい顔をしていた。どうにも悩んでいる様子だが、そんな事より、だ。

「心外だ。霊が見えていちいち驚いてたらキリがないだろう。それに、幽霊関係で柊達を利用する意味なんてない。俺には、霊が見える事なんてどうという事はない」

 そう、悪霊に憑かれるというような特別な事でもない限り、あまり関心を示さないのが彼の態度だ。はっきり言って余程目立つ者じゃなければ、そこら辺にある物や景色と何ら変わりない。

『そのすました態度が気に入らないの』

「つまり単に蛍が嫌いってこと?」

『はい』

 即答である。大板の言葉に肯定した霊は、してやったり、という様子でふん、と鼻を鳴らした。なるほど、今までの理屈はただ並べただけで、あとは自分の感情に任せただけか。

 あまりにもアホらしい。

「まあまあ、蛍の現象は初めてだ。いくら口外するのが躊躇うとはいえ、こういう時は情報を公開する方がいいだろう?雪月はどう思う?」

「……私も。愛川さんのその淡白な性格は好きにはなれません」

 おいおい、お前らそろってそれか。さすがにそこまで嫌いと言われれば、傷つく。何なんだこいつら、けなしたいだけか。美代もそう言う事じゃなくてね、と漏らしていた。結局、先ほどから全く話が進んでいなかった。

「でも」

「でも?」

「今までにない現象です。だから、話したいです。そこから何かが分かるかも。僅かな希望だとしても、私は諦めません」

 どういう事だ。話が全く繋がらない。希望?諦める?一体何の事だ。

 困惑する一方、雪月は素知らぬ顔で、目の前に居る霊に良いよね?と首を傾げた。

『雪月が言うのなら……』

「ありがとう、キーちゃん」

 なるほど、彼女はキーちゃんと言うのか。どうでもいい情報を手に入れつつ、頷いた彼女は背後に回った。定位置についたキーちゃんは、蛍をひと睨みして押し黙る。

 そこから、雪月が自分で話すとジェスチャーをして、顔をあげる。閉じられた瞼が、キュッと引き締まっている気がする。

「私のこの目は、物は見えません」

「盲目だから、なんだろ?」

「はい。でも、代わりに、見えるものがあります」

 雪月が、ゆっくりと瞼を開く。真っ黒の瞳が、僅かに蛍を映したように思えた。けれど、結局視線が交わる事なく、彼方後ろの方を見つめている。

 人差し指で、開いた目を指し示し、何が見えるか分かりますか?と問いかけてきた。

 その言葉は何処か苦しそうだった。

「美代さんも言ってたな……。特別なものだけ、見える、とか?」

「はい。……私には、霊の過去……すなわち生まれてから死ぬまでの人生全てを、見て、聞いて、感じて……体験する事が出来ます」

「……体験」

 言葉を繰り返して、先ほど自分が見た記憶を蘇らせる。まるで自分がそうしているかのような感覚。確かにあれは、そうなのかもしれない。

 ということは、雪月はあれを見ていたと言うのか。あの、修羅場のようなシーンを。

「私のこの目は、霊が目の前に居るだけで、人生を映します。……分かりましたか?」

 いつの間にか閉じていた瞼が、ぴくっと動く。その瞼の裏にある、得体の知れない力を宿した瞳は、一体どうやって手に入れたのだろう。霊感があるとかいうレベルではない気がする。

「柊の能力は分かったよ。信じがたいけど、俺も同じ体験をしているんだ。信じる」

「そりゃ良かった。で、あんたも見えたそれだけどね」

 美代が大きくため息をついて、頭を抱える。どう言うべきか、模索しているようだ。

 代わりに、とでも言うように大板が蛍に身体を向けて、話を受け継いだ。何だかんだ言って、二人は息が合っている。

「実は、雪月ちゃんの能力を使っている時、死者も生者も、誰も触れてはならないんだ」

「どうしてですか?何か問題でも」

 と言いかけて、ハッとなる。そう言えば、雪月が目を開いて居た時、蛍が肩に触れた。その時、キーちゃんは止めなかったか。何故だ?あれには理由があったのか?

「他者の介入があると、見えているものが歪んでしまうんだそうだよ。影がさしたり、ぼやけたり……」

「……でも、待って下さい。俺は触れたけど、そんな事あったんですか」

「ううん。雪月ちゃんの見ているものに、支障が出ていない。それどころか、君に共有してしまっている。……これは、初めての事だよ。だから、僕たちにも分からないってこと。オッケー?」

 なるほど、と納得して頷く。道理で、三人とも渋い顔をしていたわけだ。

「まあ、つまり、蛍はちょっと興味深い人物だね。出来る事なら、あんたを調べたいくらいだ」

 まあ、お客様にそんな事しないけどさ。ぼそっと呟いた言葉に、そうですか、と相槌を打っていると、雪月が何か言いたげにきょろきょろと首を回す。その様子にいち早く気づいた美代が、手をパンっと叩いた。

「さ、とりあえずこの話はこれでおしまい。蛍も納得したんだし、次、行かなきゃ」

 それを合図に、雪月が待ちくたびれたかのように、話を切り出した。

 それは、長いようで短い、とある女の話だった。


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