毎週土曜は稲荷の日
軽トラックのエンジンを切ると、俺は荷台に積んでいたスイカを手に家の門をくぐった。
玄関ではなく、門からすぐ左手にある庭に進んでいく。
「おーい、持ってきたぞ」
開け放した縁側の窓から家の中に呼びかけると、すぐにこちらにかけてくる足音が聞こえる。
「たか坊! おかえり! 今日も勤めを果たしてきたか?」
出てきたのは小学校高学年ほどの見た目をした少女だった。
肩につく位で切りそろえられたくせのない黒髪。前髪はぱっつんだ。
黒地に赤い金魚柄の浴衣を着ている。
締めているピンク色の子供用兵児帯がふわりと揺れて、彼女自身も金魚のように見えた。
少女の後からもう一人、ゆったりとした足取りでやってくる人がいた。藍色に白い縦縞の紗の着物を召した老婦人だ。
「おかえりなさい、たかちゃん。まあ、おいしそうなスイカだこと」
「ばあちゃん、ただいま」
しわの浮かぶ顔でにっこりと笑んだその老婦人は、俺の母方の祖母だ。子供がみんな家を出て、連れ合いである祖父を既に亡くした彼女はこの家に一人で住んでいる。
そこに、農業研修のため、この地で勉強中の俺が居候させてもらっているのであった。
「スイカ、どこで冷やせばいい?」
両手で抱えなければ持てないほど、大きいスイカは冷蔵庫に入る大きさではない。
「そうねぇ、大鍋に水と氷を張って冷やしましょうか。持ってくるわね」
そう言って、祖母は台所へと鍋を取りに行く。
祖母とのやり取りの間に、浴衣の少女は好奇心に輝いた目をして、スイカを叩いていた。
「この音は、中身がしっかり詰まった音だな?」
ポンポンという弾んだ音が響く。
俺も彼女と同じことをしてこのスイカを選んできた。
「おいしいかどうかは、昼飯のあとでな」
「おうよ! 今日は何ったってあの日だからな!!」
盛り上がりがまったくないぺたりとした胸を張った彼女の姿に、俺は微笑ましい気持ちが沸き上がった。
「お待たせ。はい、これを使ってちょうだい」
祖母は直径60センチはあるかという大きな金色の両手鍋を持ってきた。
中には既に氷が入っている。
いつ使うのかというサイズの大きな鍋だが、この田舎の町では祭りや親せきが集まった時に活躍するため、古い家にはたいていこの類の鍋があるものだ。
「サンキューばあちゃん」
俺はその鍋を受け取ろうとするが、あいにく両手はスイカでふさがれている。
それを見かねた少女が、代わりに受け取ってくれる。
どうやら手伝ってくれるらしい。
「これは外で冷やすのか?」
「だな。家の中じゃ場所がないし」
少女は縁側の踏み石に置いてある大人サイズのサンダルを履くと、鍋を持って俺の後ろをついてくる。
庭の一角にある立水栓。
そこまで来て、俺は後ろの少女を振り返った。
「ミケ、鍋に水を張ってくれ」
「おうよ!」
少女はその蛇口の下に鍋を置き、水を入れ始めた。
しばらくして鍋の7割くらいに水がたまったところで、スイカを浮かべる。
スイカは一度沈んだかと思うと、すぐにぷかりと浮かび上がってきた。
その様子を興味津々というように少女は眺め、水面から出ているスイカを指でつついている。
そんな彼女の姿に小さないたずら心が生まれる。
スイカを浮かべた際に手についた水を、俺は彼女に向かって飛ばした。
「しゃっこいっ!!」
この地方の方言で冷たいという言葉とともに、彼女は頬を押さえた。
そして、彼女の黒髪の間から金色の三角が二つ、ぴょこりと飛び出た。
「ぷぷ、耳が出たな」
彼女の頭に現れたのは、狐の耳だ。
「う、うるさい! つい驚いて出ちゃっただけだ!!」
恥ずかしそうに頬を染めた彼女は、両手で隠すようにその耳を押さえる。
撫でるように手を下に滑らせたかと思うと、耳は消えていた。
俺がミケと呼ぶこの少女は人間ではない。
彼女は家の隣に立つ稲荷神社の御饌津神だ。
なぜかこうして人の形をして祖母の家に姿を現す。
神がすぐ目の前にいるというのは、普通ならばありえないことなのだが、俺が幼い頃から当たり前のようにいるので、今更不思議とも思えない。
なにより、彼女の言動と行動はほぼ人間と変わらない。
彼女曰く、「長年の鍛錬の成果だ!」とのことだ。
すっかり人間の生活に馴染んでいる彼女のことを、稲荷神社の御饌津神と言ってもそうそう信じる人はいないだろう。
小学生のような見た目をしていても、実際の年齢を考えると俺の何倍も生きている。
ロリババ――
「おぬし、何か不穏なことを考えておるな」
彼女に視線をやると、ギラリと黄色い目が光った。
瞳孔が縦に長くなっている目を向けられ、考えていた内容も相まって俺の心臓はドキリと鳴った。
「……いや、なんでもない」
「ふふん、仕方ない。今回はこのスイカに免じて許してやろう」
ツンと顎を上げた彼女は、じっとりとした目で俺を見ながら腕を組んだ。
どうやらお咎めはないようだ。
こんな成りの彼女だが、神なのだ。
神は守りもするが、祟りもする。
触らぬ神に~とは本当にその通りだと思う。
「二人とも~終わったらこっちを手伝ってちょうだいな~」
祖母が俺たちを呼ぶ声が聞こえてくる。
「おお、そうだった! こうしてはいられない、お前も手伝うのだ!!」
ミケは祖母の言葉にハッと表情を変え、俺の背中を押す。
ああ、そういえば今日はあの日だったな。
小さな手で背中を押されながら、俺は家の中へ入った。
祖母のいる台所へ向かうと、ダイニングテーブルの上には、バットやボウルが並べられていた。
その中には、酢飯と油揚げが入っている。
今日のお昼は稲荷寿司だ。
「由紀子、準備はいいのか?」
うきうきと弾んだ声でミケは祖母に問う。
「はい、いいですよ~。ご自由に包んでくださいな」
「よっし!」
気合十分で浴衣の袖を捲ったミケは、材料に手を伸ばす。
その様子を見かねた祖母は、ミケの袖を帯に挟みこんでやった。
俺もミケに習い、酢飯をどんぶりに取り分ける。
そこにひじきの煮物を加えて、適当に混ぜる。
「お、たか坊はひじきか! いい選択だな!」
顔を上げると、ミケが楽しそうな表情でこちらを見ている。
そういう彼女の手には、酢飯の米粒がべたべたとくっついていた。
ミケの前に置かれたお皿には桜でんぶと炒り卵。
どうやら油揚げの口を上にして酢飯を入れ、そこに桜でんぶと炒り卵を盛り付けようとしているらしい。
しかし、出来は散々なものである。油揚げは穴が空き、酢飯は欲張りすぎて中に納まってない。従って、桜でんぶも炒り卵もその上に乗るはずもなく、ぼろぼろと下に零れていた。
毎週作っているはずなのに、彼女の稲荷寿司の腕前は一向に上達しない。
大好物の稲荷寿司を作る心意気だけは人一倍ありはするのだが……
「ミケちゃん、こんな具合でいいかしら?」
結局、ミケの考えた稲荷寿司を作り上げたのは祖母だった。
「さすが由紀子! そうそう、これを作りたかったのだ!!」
だしの染みた油揚げ。中に詰められた酢飯の上に、桜でんぶと炒り卵。
ピンクと黄色に色分けされた境界上には、グリーンピースまで乗っている。
ミケはそれを見て爛々と目を輝かせた。
そして、サワサワと髪が持ち上がり、間をかき分けるように耳が飛び出した。
どうやら当の本人は出来上がった稲荷寿司に夢中で、耳が出てきたことに気が付いていないらしい。
俺と祖母は、自然と視線を合わせた。
耳をぴくぴくさせて、稲荷寿司の出来に惚れ惚れしているミケの様子は微笑ましい。
どちらからともなく笑みが零れた。
「ほら、何をしているのだ二人とも! 酢飯もお揚げもまだまだあるぞ!」
手が止まった俺と祖母に、ミケが続きを促す。
「ええ、そうね」
「はいはい」
ミケの「次は何にしようかの~」という声を聞きながら、俺は稲荷寿司作りに励んだ。
茶の間の座卓の上には、稲荷寿司がいっぱいに入った寿司桶が置かれていた。
出来上がった稲荷寿司は、実に多様性に富んだものだ。
白ごま、黒ゴマ、ひじき、紅ショウガ、桜でんぶに炒り卵。とりそぼろにグリーンピース。
それらの具材を組み合わせて作られた稲荷寿司は、見ているだけでも楽しめる。
祖母は毎週稲荷寿司を作っているので、その腕はプロ級と言っても過言ではない。
だしがしみ込み、深い味わいのお揚げ。油分できつね色の表面がつやつやと光る。
酢飯もこだわっている。
寿司酢は祖母が研究を重ねた配合。それをふっくらと炊き上げた地元産の米に混ぜ合わせるのだ。
酸味が強すぎず、甘みがしつこくない優しい味の酢飯は、毎週のように食べても飽きがこない。
俺が混ぜ込んだひじきの煮物もそのまま食べてもおいしい出来だ。
ほかの具材も彼女が丁寧に下ごしらえしたものばかりで、食べる前からおいしくないはずがないと確信が持てる。
座卓の上には稲荷寿司の他に、祖母特製の胡瓜と茄子のお新香とそうめんもある。
ここには並んでいないが、先程冷やしたスイカはデザートになる予定だ。
「よし、二人とも準備はいいか?」
きちんと正座をして座るミケが、俺と祖母を見て言った。
「いいぞー」
「ミケちゃん、どうぞ」
「うむ、それでは――」
『いただきます』
三人の声が重なる。
それぞれ好きなように箸を伸ばすと、軒先に吊るしてある風鈴がチリンと鳴った。
――毎週土曜は稲荷の日――
毎週、土曜日。
俺の居候先には、稲荷寿司好きな稲荷神が現れる。