表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

研ぐこと

 「んー…」

工場の奥にある研ぎ場で、そう唸る声が聞こえた。


ここは日向木工所。

社員は私、親方である日向静を入れて3人の、小さな大工の会社。


「うぅ…」

研ぎ場で不満げに呻いているのは、今年弟子入りしてきた大悟だ。

きっと、初めて研ぐ鉋に苦戦しているのだろう。

少し様子をみてやるか。

そう考えた私は自分の道具を手早く片付けて、鉋を一丁手に取って研ぎ場に向かう。


「どうだ?調子は」

大悟にそう尋ねる。

砥石に向かってしゃがみ込む彼は、小さくこちらに振り返り、眉間に皺を寄せている。

それを見て私はつい笑ってしまいそうになる。


隣にしゃがみ込み、ちょいちょいと手を差し出すと、彼は研いでいた鉋の刃を差し出した。

手渡されたその刃を、角度を変え、光にかざして刃先を見る。

「先は長いな。」

これが今回の採点結果。

大悟はすねたような顔をした後、また砥石に向き直って研ぎ始めた。

私も水に浸けてあった砥石を取り出し、隣で研ぎ始める。


しばらく、沈黙が続いて、砥石と鋼の削りあう音だけが響く。



「亮太郎、何か言ってたか?」

刃の研磨具合を確認しながら大悟に尋ねる。

「いやぁ、特に。あ、でも、気の乗らない表情でしたよ。」

そう答える大悟の顔は、にやけている。


普段なら、真っ先に研ぎ場に向かうはずの亮太郎は今日はいない。

今頃は駅前の居酒屋で楽しんでいる…はずである。


よくも悪くも仕事に没頭してしまう亮太郎は、今日誘われていた飲み会も行くつもりはなかったようだが、私と大悟でなんとか行くように差し向けたのだ。


人付き合いというのは、軽んじるのは簡単で。

人の付き合いというのは、始めるのはなかなかに難しい。

まさに私は今それをひしひしと感じているのだ。

亮太郎がそれを軽んじようとしているのを、見過ごす理由なんてこれっぽっちもない。


…というのは建前で。

いや、実際半分はその通りなのだが、もう半分は…興味半分からだ。

きっと大悟もそうだろう。

人見知り気味の亮太郎が、もっと「上手」になったとき、彼の仕事ぶりはより良いものになる気がするのだ。

ついでに彼女の一人でも出来れば面白い。



隣で小さなため息が聞こえる。

 「大悟、事務所の私の机に、頂き物の煎餅があるからとっておいで。」

集中力の切れてきた彼には、何か食べさせてやれば持ち直すだろう。


研ぎは、奥が深い。

私ではとても潜り切れないほどに。

大悟が今苦戦するように、私も昔はひたすらに研いでいた。

ただ、刃物と砥石を擦り合わせて尖らせるだけの作業に、なぜこれほどに頭を抱えることになるのだろう、と。

そして今、上達するほどにより深みがましてしまう。


いけない、夜静かに研いでいると少しいろいろと考え込んでしまう。




ぱたぱたとした足音で、大悟が戻ってきたことに気づく。

何やら彼は、神妙な面持ちをしている。

「ん?どうした。そんな顔をして。」

「あの、静さん……いや、やっぱりなんでもないです。」

「ほう?まぁいい。とりあえず、これ食べて一旦休憩しようか。」

彼が何を言いたいのかは分からないが、言いにくいことなら無理に聞くこともないのだろう。




「静さん、どうしたら上手く研げるようになるんですかねぇ。」

煎餅を齧りながら大悟が聞いてくる。

「そうだなぁ。いろいろあるんだよ、考えることは。でも、やっぱり最初は研ぐしかないね、ひたすらに。」

「ですよねぇ。」

あえて言いはしなかったが、別に大悟も悪い筋ではないのだ。

ただ、まだまだ経験が足りない。

まずは基本が出来てからの、その次。何事も。


少しの間、大悟ととりとめのない会話をして、小腹を満たす。

「よし、もうちょっとだけ頑張ります。」

彼はまた砥石に向かう。

私も今日は彼に付き合って研いで帰ろう、そう思った時だった。


「あれ、まだいたんですか?」

工場の入り口から声がかかる。

振り返ると案の定、背の高い青年が立っている。

その手には鉋とノミ


工場の中に、二人分のため息が響く。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ