雨の日
朝、アパートのドアを開けると、隣の部屋のドアも開いた。
「あ…おはようございます。」
タイミングが被ったことに少し戸惑いつつも、挨拶をする。
車で20分程のところにある、女子大に通っているそうだ。
「少し、空模様が怪しいですね。」
大学生が空を見る。
そろそろ梅雨入りするかもしれない。
工場に着くと、亮太郎が何かコツコツと作っている。
「ん!おはようございます!!」
彼は慌ててそれをしまった。
別に詮索するつもりはない。
道具の手入れや小物作りはいつものことだ。
時計に目をやる。7時58分。
そろそろ…
「おはっおはようございます!!」
大悟が来た。
また寝坊したのだろう、鞄のチャックが開いたままだ。
まだ親父が生きていたころ、あと二人の職人がいた。
しかし、当時まだ26だった私に着いていくには不安も、あったのだろう。
二人ともそのうちに別の会社へ行ってしまった。
事実、現在日向木工所は、親父が頼まれていた仕事をこなして凌いでいる状態だ。
私自身の取ってきた仕事など小さいものばかりで、とても人数分の給料を賄える程ではなかった。
その日の午後、雨が降り始めた。
亮太郎には、台を直すコツを少し教えてやった。
「あとは俺の仕事を見て覚えろ。」
私も親父によく言われたものだった。
しばらく悪戦苦闘してたが、もともと研ぎは上達している。
それなりに見れる鉋屑が出るようになった。
会社を辞めた二人には、家族がいた。
奥さんがいて、子供もいた。
実力はあるのだから、確実な道を選ぶのは当然だろう。
…正直、二人が辞めたことにほっとしている自分がいる。
人を使える実力が、自分にはないことは分かっていた。
その上、従業員の家族の命さえ握っているとなれば、かかるプレッシャーは想像以上だった。
眠れない夜が毎日続いた。
私には、まだ「親方」の器量などないのだ。
ただ、それでも弟子が二人いる。
この二人を一人前に育ててやることが、私の最初の責任なのだろう。
そう、考えた。
大悟は、下地の材木を機械に通して厚みを揃えている。
チラチラと見ているのは亮太郎の方だろう。
早く、自分も鉋を使ってみたいのだ。
だが彼は研ぎがまだまだだ。
その願いが叶うのはもう少し先になるだろう。
帰り、アパートに着くとまた大学生に会った。
朝は気付かなかったが、スーツを着ている。
就職活動、とやらをしているのだろうか。
お互いに「お疲れ様です」と声を掛け合い部屋に入る。
お疲れ様です、か。
疲れを知らず、がむしゃらだった頃もあった。
今は、ため息ばかりだ。