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傾国の死後、私と妹【連載版】  作者: 小林晴幸
私と妹と、夜逃げの準備
7/39

4/私と妹と、ロットバルト

 妹の寝室の壁には、短剣が一振り飾られていた。


 これまで盗まれていたらと懸念したが、無事だったか。

 流石に王家の家紋が入った品は手を出せなかったと見える。

 王家の持ち物に相応しく様々な玉で飾られた華美な短剣。

 これは我が国の風習に則り、妹に贈られた短剣。

 王家の場合は両親が用意するのではなく、王室典範を司る部署が用意する。

 その為、父王の関心がない私や妹にも問題なく用意されていた。


 この国には、高貴な血筋に子供が生まれると短剣を用意する風習がある。

 誕生と同時に贈られることに、男女の区別はない。

 そして男も女も、手放すことなく生涯持ち続けることを望まれる。

 男は戦場でも最後の武器として身に着け、女は嫁入り先にまで持って行く。

 生家の家紋が刻まれた、一振りの短剣。


 要は自決用だ。


 もしも敵に追い詰められた時。

 生まれた家に相応しくない窮地に追いやられた時。

 最後の尊厳を、生まれた家の証で守れと。

 そうして短剣はそのまま、打ち捨てられた亡骸の墓碑となる。

 戦場で遺体の判別用に確認するのは、家紋の印とこの短剣だ。

 刃には、持ち主の名と生年月日が刻まれる。

 

 私は妹の短剣を手に取り、鞘から抜いて刃を確認した。

 やはりそこには妹の名と、生年月日が刻まれている。


「………………」


 生年月日が、刻まれている。

 日付は九年前の明後日だった。


 私の中に、焦りが芽生えた。

 妹を迎えて、初めての祝い事。

 だが、日程が急すぎるではないか。

 目まぐるしく脳内を、準備の段取りが駆け抜けていった。




 荷造りは、当初の予定通り数日分の着替えを用意するだけで終わった。

 愛着のある品はないのかと尋ねるが、妹の答えは否。

「そうか」

「はい」

 簡単な言葉の中に、妹の気持ちを推し量る。

 昔の私はどうだっただろうか。


 どうせ自分の持ち物はいつか誰かに奪われると、諦めることを知っている。

 誰かに奪われたり壊されたりするので、執着しないように心が戒める。

 何かに愛着を持つことは、後々自分が辛い思いをするのと同義だった。


 ……思い出したら、暗い気持ちが押し寄せた。

 妹への同族意識と憐憫が更に高まるのを感じた。


「……ミンティシア」

「はい」

「それでは、出立前に声をかけたい相手はいるか」

 念の為に、尋ねる。

 私にはいなかったが、妹に大事な相手がいないとは限らない。

「こえ……あいさつ?」

 妹が私に告げたのは、ロットバルトという一つの名だった。


 妹に案内されて辿り着いた場所は、猟犬の犬舎だった。

 此処は私も良く知っている。

 担当の犬番が寛容な男で、悪戯をしない限りは子供の存在も大目に見る男だ。

 己の世話する猟犬が、決して許可の無い相手に牙を剥く事が無いと自信を持っている。

「ろっとばると」

「わぉん」

 ロットバルトは、老いた猟犬だった。


 老けたな。

 猟犬と犬番のどちらにも、同じ印象を抱いた。


 ロットバルトのことは、私も知っていた。

 彼女の名は、私が付けたものだった。

 ……そう、『彼女』。


 構ってくれる人もなく、ましてや友人などなく。

 寂しさが募った時は、私も犬を触りに来ていた。

 寛容な犬番はそんな私を気にかけていたのだろう。

 ある日、唐突に。

 生まれた子犬が多すぎるので一匹名前を付けてみないかと言われた。

 

 猟犬の名だ。

 強そうな名前が良いと、有名な物語の悪魔の名を付けた。

 …………だが、子犬の性別を盛大に間違えた。

 名付けた後で気付いたが、気まずさのあまりわざとだという顔をした。


 その犬が今、老いて目の前にいる。

 猟犬としての現役は引退し、今は繁殖用だという。

 かつては悪魔の名に相応しい活躍を多くしたのだと、犬番は懐かしげに語った。

 犬を抱きしめて名残を惜しむ妹を見ながら、私はそうだろうと相槌を打つ。

 名前を間違えて付けたのだとは、今更言い辛い。


「殿下」

「ダリウスか」

 娘を持つ貴族達へ盛大に『愚痴』を零してきたらしい。

 従者のダリウスはいつの間にか側に控えていた。

「馬車の用意が整いました。後は殿下と妹君がおいでになるだけ……ですが」

「何か物言いたそうだな」

「その……良いんですか、あれ」

 ダリウスが目線で指す先には、妹の姿。

 触れば触るだけ名残が増すのか、ロットバルトをずっと抱きしめている。

「その内、連れて行きたいとか言われても困るんですが」

「大丈夫だろう」

「なんで断言できるんです。子供ってそういうこと言うでしょう」

 猟犬は、王家の持ち物。

 早々簡単に連れ出すことなど出来ない。

 それが活躍著しかった名犬となれば、特に。

「早く逃げないとまずいんでしょう? ちょっと話してきて下さいよ!」

「それが仕える相手に言うことか」

 だが、確かにそろそろ時間を告げねばなるまい。

 私は妹に近付くと目線を合わせ、時間だと告げた。

「ろっとばると……もう、会えない?」

「そうだな……残念だが」

 誤魔化すことも出来た。

 しかし誤魔化して後に悔いが残るのは哀れだ。

 ロットバルトはもう年老いた。

 いつ故国に帰るとも知れない身で、安易に会えるとは言えない。

「ろっとばると……」

「もっと時間が必要か?」

「……」

「そうか」

 無言で犬から身を離した妹を、抱き寄せて持ち上げる。

 妹の視線は犬にあったが……

 ロットバルトは最後の挨拶だというように、大きな声でひとつ鳴いた。

「ミンティシア、これを持っていてくれ。お兄様は両手が塞がっている」

「…………ろっとばると、だ」

 無言の妹に、一枚の紙を渡す。

 待っている間に描いた、妹と犬のスケッチ。

 妹がロットバルトだと認識する程度には上手く描けたらしい。

「落ち着いたら色を付ける。それまで待っていなさい」

「はい」

 妹は、大事そうに紙を握り締めた。


 用意の整った馬車に、妹を乗せる。

 続けて乗ろうとした時、ダリウスに指示すべきことを思い出した。

「ダリウス、明後日の予定なんだが……」

「予定で言えば、セダン男爵家に逗留予定ですが」

「ああ、それは構わない。頼みが一つあるだけだ」

「頼みですか?」

 王家の者の旅路だ。

 城に戻る時は母の訃報を理由にほぼ素通りしてきたが、帰りはそうはいかない。

 通過予定の各領地では、領主の館に最低でも二泊しなくてはならない。

 挨拶も無く通り過ぎるのは蔑ろにしたことになる。

 そして仮にも上位の存在が挨拶に立ち寄るのだ。

 歓待しなくては、貴族の沽券に関わる。

 例え相手が私のことを内心でどう思っていたとしても、これは礼儀の問題だ。

 私からしてみれば、面倒なことこの上ない。

 歓待の宴と、骨休めと称した休日。

 最低でも丸一日の休みを含め、三日の足止めを甘んじなくてはならない。

「実は確認したところ、妹の誕生日は明後日らしい」

「それは……急ですね」

「セダン男爵に、急ぎバースディケーキの手配を依頼してくれ」

「御意。贈り物の方は如何が致しますか」

「吟味の時間がない。間に合わせで手配するような物ではないだろう」

「セダン男爵の奥方にでも、幾つか品を見繕っていただいては?」

「いや、馬車の中で時間はある。何か自作しよう」

「て、手作りのプレゼントですか……まあ、殿下は器用な方ですが」

「何か言いたいことが?」

「……物にも人にも関心の薄い殿下が、随分と気に掛けますね。初めてお会いするとはいえ、やはり血の繋がった妹君は特別ということでしょうか」

「それは……そうだな。そうだろう」

 母への悔恨。

 妹への同族意識と憐憫。

 全てをひっくるめて、だがそれだけではない。


 今までを省みて、ふと思う。

 私はもしや……幼少期に得られなかった肉親の情というものを、求めているのだろうか。

 今更ながら、それを妹で埋めようと?


 考えてみるが、すぐに無駄なことと思考を止めた。

 自分のことだ。

 自分の感情の働きだ。

 到底、客観的な判断など出来るまい。

 ただ、こういうことは往々にして。

 後々になってから、ゆっくりと思い出して判断すれば良い。

 今はとにかく会ったばかりの妹を気遣ってやるべき時期だろう。

 自分の感情などは、今は後回しで良いのだ。

 他に、構うべきことがあるのだから。


「――出立する」

「御意。ああ、そうだ、殿下。俺、一つ殿下を見直しました」

「いきなり何を?」

「さっき、妹君に安易なことを仰らなかったでしょ?」

 安易なこと。

 犬との別れを、誤魔化さなかったことか?

 だが、違ったらしい。

「殿下、妹君に「別の犬を用意するから諦めろ」とか、言わなかったでしょう」

「何やら具体的な例だが……何か身に覚えでも?」

「俺、甥っ子がいるでしょ? 前に甥が大事に可愛がっていた小鳥を、猫に食われたことがありまして……俺に甥が懐いていたから慰めろって姉に頼まれたんですよ」

「そこで言ってしまったのか。別の鳥を用意する……と」

「下策でした……。甥っ子には軽蔑と怒りの目を向けられましたね」

「それは……相手によっては逆鱗に成り得るのでは」

「あの鳥だから大事だったんだ、代わりなんてないって(なじ)られましたよ」

 弱った様子で、あれには参ったとダリウスは言う。

 このそつの無い男でも、そういう事態は起こり得るらしい。


 いい気味だと、こっそり思った。



 


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