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傾国の死後、私と妹【連載版】  作者: 小林晴幸
私と妹と、夜逃げの準備
5/39

3/私と妹と、ハンナさん

 十年ぶりに訪れた水楼宮は、昔と変わらな……いや、格段に悪くなっていた。


 王宮の北の外れ、忘れられるような隅の隅。

 そこに水楼宮と呼ばれる小さな離宮がある。

 離宮とは名ばかりの、宮と呼ぶのが憚られるほど小さな場所。

 幽閉隔離用の宮なので、それも仕方の無い事だろう。

 

 元を辿れば、数代前の御世。

 王子の一人が奇病に侵され、死を待つばかりとなった。

 どんな医者も匙を投げる、原因不明の病。

 静養という名目で、王子を幽閉する宮が建てられた。

 それが水楼宮、隔離のための場所。

 幸い移る病気ではなかったようだが、忌避されたのは考えるまでも無い。

 そのまま王子が儚くなれば、原因不明の出火(・・・・・・・)で燃えてなくなるはずだったらしい。

 王子の、亡骸ごと。

 しかし奇跡的に王子は快復し、水楼宮が燃やされる話は立ち消えた。

 当の王子本人に知れては気分を悪くする話だ。

 結果、宮はそのまま壊される機会を失い、今では貴人幽閉用の場所となっている。


 そして此処は、十年前まで私が住んでいた場所でもあった。


 王が狂った傾国の息子。

 当然ながら誰からも疎まれた。

 私に情を寄せていたのは、母一人。

 後に王太子である兄上も気にかけて下さっていたと知ったが……

 王の子が養育される場は、後宮にある。

 しかし後宮の主は王太子ではなく、王の正妃。

 王の正妻が、王の寵愛を独占する傾国の息子を快く思うはずが無い。

 王の庇護がなければ、正妃の良い様にどうとでも出来る。

 後宮に場を用意されることもなく、この北の外れに押し込められていた。

 生まれてすぐ、殺されなかったことだけが幸いだろう。

 そして私に妹がいるのであれば……同じ扱いを受けていることは想像に難くない。


「おにいさま……」

「どうした、ミンティシア」


 私の腕の中、大人しくじっとしていた妹が見つめてくる。

 どうしたのかと意図を問えば、不思議そうに首を傾げて私と水楼宮を見比べる。

 何か物言いたげだが。

「おにいさま、どうしてミンティシアのおへや、しってるの?」

「それは……ミンティシアは私と似たような扱いを受けているようだからな。住まいの場所も同じだろうと思っただけだ」

「おんなじ? おにいさま、ミンティシアと、おんなじ?」

「ああ。この水楼宮には……十年前まで、私が住んでいたのだよ」

 年齢以上に幼く、拙い物言い。

 考えてみれば、この妹が長く喋るのを聞いた覚えがない。

 初対面から一時間も経っていないので、不思議ではないが。


 幼い子供とは思えない、乏しい表情。

 平坦な声、少ない口数。

 何から何まで、幼い頃の私を彷彿とする。


 笑う機会が少なければ、笑顔も浮かばない。

 感情が動かなければ、表情が変わるはずも無い。

 表情を動かすことがなければ、表情筋も衰える。

 そうして『表情』の浮かべ方がわからなくなってくる。


 誰かと会話する機会が少なければ、喋り方など分からない。

 語彙は増えず、文法も覚えられるはずがない。

 そもそも誰かに『言葉』を聞いてもらえるとは思わなくなる。

 話すという衝動が、頭の中から消えうせる。


 そうして出来上がるのは、無表情で無口な子供だ。

 己の思うところも、望みも。

 どうやって表現するのか、考えもしない。

 そもそも誰かに伝えるという発想から消え失せてしまうのだが。

 

 果たしてこの妹の、情緒面の発達は如何ばかりか。

 自己表現の手段が少なくては、何を考えているのか汲み取るのも大変だ。

 そこは私が過去の経験と照らし合わせながら、察してやるしかないのだろうが。

 だが私と妹は違う人間だ。

 全てが全て同じはずも無い。

 この妹の思うところを聞き出す術を、早急に考える必要がありそうだった。

「ミンティシア、先ほど王太子殿下も仰っていたが、今日からお前は私と暮らす」

「おにいさまも、ここにすむの?」

「いや、ミンティシアが私のところに来るのだ。その支度をしよう」

「はい」

 水楼宮は小さい宮故、置かれる使用人も最小限。

 否、疎んじられた子供の世話に人手を回していないだけか。

 荷造りの手伝いを頼めると良いのだが。


 淡い期待は、宮に入ったと同時に打ち破られた。


「ミンティシア!!」


 耳を突き刺す、女のヒステリックな声。

 扉を開ける音を察してか、乱暴な足音が近づいてくる。

 声もまた、共に近づいた。

「使った食器は片付けておけって言ったでしょう!? 汚れたまま放ってどこに――」

「汚れた食器?」

「――アンタ、誰!」

「この娘の、兄だが」

「!?」

 乱暴な気配を纏って現れたのは、目を怒りに吊り上げた女。

 王族を前にそれとわからないのか、口調すらも乱暴。

 ……どうやら使用人の質は、十年前よりも悪くなっているようだ。


 王家の子女に付けられるに相応しい使用人には、到底見えない。

 本来であればもっと下向きの用をこなす下級の使用人だろう。

 使用人の質を見ても、妹に与えられた環境の悪さが窺える。

 ここまで軽んじられては、妹が無口無表情になるのも仕方無いだろう。


 私を見て、硬直する使用人の女。

 妹が王女だとは知っていたのか、兄だと名乗った私に青褪める。

 無遠慮な視線は私を上から下へと嘗め回し、身なりに事実と悟ったのだろう。

 

 これだけ質の悪い使用人だ。

 本来、王族の顔を見ることの出来る立場にはないはず。

 兄とはいっても、私は第六王子。

 腹違いの兄は他に五人もいる。

 兄だと言っただけでは、私がどの王子かわかるまい。

 妹と同じく軽んじられる王子と知れば、また態度が変わるのかもしれない。

 それを悟らせるだけの時間は与えない。

「私の空耳かも知れないが……」

 王子という言葉の大きさだけで取り乱している内に、話を進めよう。


「先ほどお前は、王家の姫の名を呼び捨てにしていたか?」


 それが出来る立場なのか、お前は。

 軽んじられる相手だからと侮って良い身分なのか。

 少々、立場を分からせる必要がありそうだ。

「おにいさま」

「どうした、ミンティシア」

 女の怒鳴り声を聞いてから、ずっと妹は身を縮めて震えていた。

 明確な怯え。

 無意識にか、私の上着をぎゅっと握りしめていた。

 その妹が、おずおずと私に告げる。

「ハンナさんは、わるいことをしたから、おこっているの」

「悪い事?」

「そう、なの。だから、おにいさま、ミンティシアがわるいの」

 びくびくとしながら、自分が悪いのだと訴える。

 恐らく、『ハンナさん』は悪くないと言いたいのだろうが……

 残念ながら、それは恐らく『ハンナさん』が悪い。

「ミンティシア、悪い事とは?」

「しょっき。つかったら、かたづけなさいって」

「そう、『ハンナさん』が言ったのか」

「うん、はい……あのね、ごはんのとき、おつかいのひとがきたの」

 ……どうやら、食事中に王太子(あにうえ)の使いが来たらしい。

 そのまま使いについて兄上の元へ向かったので、食器を片付けられなかったと。

 だがそれはつまり妹の食事中、使用人が側を離れていたということだな?

「『ハンナさん』とやらに尋ねよう」

「は、はい……」

 『ハンナさん』は、妹が喋るごとに顔色を悪くしていく。

 反抗的な眼差しは、きつく妹を睨んでいた。

 妹は私を見ていたので気付かなかったが……

 睨まずにいるだけの自制心もないのか、この使用人は。

「私の思い違いでなければ、お前は使用人だな。食器を片付けるのは誰の仕事だ?」

「…………」

「答えよ。誰の仕事か」

「……使用人(わたし)の、仕事です」

「であれば、即座に己の職務を果たしに行くが良い」

「……………………はい」

 不服の感情を隠し切ることも出来ぬまま。

 それでも使用人の女は深く頭を下げると、食堂の方へと足早に向かう。

 この場から一刻も早く離れたかったのだろうが、目上の者の前で走るとは。

「おにいさま?」

「ミンティシア、よく覚えておきなさい」

「はい」

「食器を洗って片付けるのは、『ハンナさん』の仕事だ」

「でも、ハンナさんが……」

「ハンナさんは怠け者だったらしい。お前がしなくても良いのだよ」

 とりあえず、あの使用人はクビにしよう。


 仮にも王家の姫(ミンティシア)付きとは思えぬ、あの態度。

 使用人であっても時には主人の為を思って諌めたり、叱る者もいることはいるが……

 だが、あれはどう考えても違うだろう。

 ミンティシアのような幼い娘に、『さん』付けで呼ばせている時点で叱責ものだ。

 そもそも下級の使用人としか思えないあの女に、妹を叱る資格は無い。


「『ハンナさん』は暫く溜まった仕事で急がしくなるだろう」

 使用人に荷造りを手伝わせようかとも思ったが……

 『ハンナさん』を見て、気が変わった。

 あの使用人は手伝わせても働くまい。

 働くように見せかけて逆に手を煩わせてくれそうだ。

 何をするかもわからない。


 あの使用人の女は、頭にリボンを付けていた。

 リボンは、絹のリボンだった。

 ちらりとだが袖の下から手首に腕輪が見えた。

 真珠を連ねた、長さの調節が出来る腕輪だ。

 どちらも下級使用人の(あがな)える品ではない。


 腕の中の妹は、髪に飾りピンの一つすらつけていない。

 髪は丁寧に(くしけず)られているが、そういえば飾り気がない。


 軽んじられ、蔑ろにされているとはいっても王家の娘。

 王宮には王族の生活全般を取り仕切る、専門の部署がある。

 王家の生活に必要な品、身の回り品の一切を手配するのも彼らの仕事だ。

 いくら軽んじられているとはいえ、妹には身分に相応の品が誂えられているはず。

 それは個人がどうのこうのではなく、王宮の規定として『必要』と判断されたものが。

 仮にも王族の端くれ、半端な粗悪品を与えられるはずもない。


 あの使用人、着服したな。


 苦々しい思いを溜息で切り替え、私は妹を抱え直した。

 やはり、軽い。

 見た目以上に軽く思えるのだが……そういえば、この子は何歳だ。

 あの使用人、ミンティシアの食事まで蔑ろにしていたのだろうか。

 有得そうな話だ。

 実際に、私は食事を蔑ろにされていた。

 用意するのも面倒だとばかり、気まぐれに食事を抜かれる。

 食べる物が足りなくては、体は育たない。

 十年前、この王宮を出るまで。

 私の体は、同じ年頃の少年よりも随分と小さかった。 

「ミンティシア、お前は何歳(いくつ)になる」

「いくつ?」

「……誕生日を数えたことは?」

「たんじょうび?」

「いや、私が悪かった。祝わなくては数える習慣も生まれないのだった」

 自分に照らし合わせて分かることを、敢えて聞く必要があっただろうか。

 妹は自分の年齢も知らない。

 恐らく、誕生日がいつかも知らないのだろう。

 だが知る術はある。

「ミンティシア、お兄様と引越しの準備をしよう」

「殿下、私達が……」

「……『王女』の支度に手を出すつもりか?」

 進み出てきたダリウス以外の従者達。

 だが、彼らに手伝わせる気は無い。

 私に随行している従者の中に、女性はいない。

 幼くとも、未婚の子女。

 身内である私はともかく、他の者に身の回りの品を触らせる訳にはいかないだろう。

「は、失礼致しました」

「お前達は、そうだな……あの『ハンナさん』とやらが逃亡しないように見ていろ」

「了解いたしました」

「では、私は荷造りをしてくるとしよう」

 私は妹を抱えたまま、寝室へと足を向けた。

 どうせ寝室の場所も、私の時と同じなのだろうから。

 


 ミンティシアの寝室や私室を調べたが、酷いものだった。

 値打ちのある物は軒並み『誰か』が持ち出した後だ。

 ここまで大掛かりとなると、他にも共犯者がいる可能性がある。

 あの浅はかそうな下級使用人以外に、少なくとも物品管理を担当している者の協力が必要だろう。

 衣服も数着を除いて高価なレースや飾りが剥ぎ取られていた。

 ここまで酷いと、敢えてわざわざ荷を造る必要があるのか疑問になってくる。

 元より数着の着替えだけ準備し、残りは後で送るように手配するつもりだったが。

 その送ってもらうべき荷が存在しなければ、手配も何もあるまい。

 必要最低限の物と妹の愛着がある品だけ持っていこう。

 残りは隣国で誂えた方が早いのではないだろうか。

 どうせなので荷造りついでに被害報告の為の資料を作成しておく。

 王太子殿下に報告書を届ければ、良い様に計らってくれるはずだ。

「このドレスはレースが切り取られているな」

「あ、あの……」

「どうした、ミンティシア」

「あの、ミンティシアがおてんばして、やぶいちゃったの……」

「そうか…………そう言うようミンティシアに言ったのは?」

「ハンナさん」

 やっぱりクビにしよう、あの使用人。

 いや、解雇だけでは済ませられないな。

 問題のレースは、どう見ても引っ掛けて破いたものではない。

 レースを縫い付けていた生地や糸を、刃物で切り取った痕が見られた。

 損害賠償は容赦なく取り立ててもらえるよう、報告書には書き添えておくことにする。

「ミンティシア、これからお前はお兄様と遠くに行く」

「はい」

「持って行きたいものがあれば、準備しなさい」

「もっていきたいもの……」

「試しに聞くが、『ハンナさん』を連れて行きたいか?」

「………………」

 沈黙は、何よりも雄弁であった。





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