17/私と妹と、心の支え
妹が泣いている。
知らせを受けて急ぎ向かった先で、私は蹲る妹を見つけた。
朝、私が梳かして結った髪は無残にもボサボサになっている。
否、ボサボサにされたのだろう。
か細い声でひんひんと泣く妹は、私が来たことにも未だ気付いていないようだった。
「……ダリウス」
「御意」
そつのない側近は、名を呼んだだけで私の意図を察したのだろう。
既にレミエルを向かわせていること、程無く目的を達するであろうことを言い添えてくる。
リボンは、どこぞの貴族の子弟が持ち去ったと聞いている。
私が贈ったもので布地こそ上等ではあるが、元は別の小物だったものを、私が縫い直した雑な作りの代物だ。
だがそれでも、妹があのリボンを大事にしていたことを私は知っている。
生まれて初めての、手作りの贈り物だと言って。
顔の見える誰かに、私に贈ってもらったからと言って。
すぐ側まで近寄っても、妹は私に気付くことなく……ごめんなさい、ごめんなさいと誰にともなく謝罪を繰り返していた。
……恐らく、私への謝罪なのだろう。
折角もらったリボンを取られてしまったと、悲痛な声で詫びているのだから。
「ミンティシア」
「――っ」
丸く蹲る妹の背に手を触れると、小さな体がびくりと動いた。
もぞもぞと、更に顔を隠すように蹲る。
「ミンティシア? 私に顔を見せてはくれないのか?」
「お、にぃ……さっ」
しゃくりあげる声は、ほんの僅かに私を安心させた。
まだ、この妹の心は絶望しきっていない。
泣けるということは、そういうことだ。
――泣いても何も変わらない、どうにもならないと悟るようになれば、涙など出なくなる。泣き方なんて忘れてしまう。
泣くことで余計に状況が悪化する場合があると学べば、尚更に。
周囲の人間や環境に絶望しきる前にこの娘を掬いあげることが出来たのだと、ふと思った。
泣けるのであれば、そして泣きたいのであれば。
存分に泣かせてやりたいとも、思ってしまう。
「安心しなさい、ミンティシア。リボンは後で戻って来る」
「ほんとぅ……?」
「ああ、必ず」
私は涙の止まらない妹を抱き上げ、王宮内を歩く。
誰かに見止められれば、妹の状況は引き止められるに足りるものだろう。
それ以前に、妹は誰かに泣いているところなど見られたくないかもしれない。
だけど今の内に教えておきたいとも思った。
人目を避けて移動する術は知っている。昔取った杵柄というのだろう。
人の多い王宮。貴族よりもむしろ使用人達の目はそこかしこにある。
それらを潜り抜け、見つけられる前に移動する。
「殿下、まるで間者か何かみたいですね……人目の忍び方が巧み過ぎて頭が痛いんですが」
「時々、私達の目ですら抜けてどこかに消えると思っておりましたが……」
側近達の複雑そうな声音を聞き流し、私は腕に抱えたミンティシアにも見えるように案内を続けた。
十年、王宮に滞在する間に見つけた誰にも見つからず一人になれる……緊急時の避難先として私が見つけた各場所を。
「ちょ、殿下……」
「なんで警備の穴を知っていて黙っているんですか」
人に見つからない、=、ダリウス達にとっては『警備の穴』となるらしい。
しかし私にとってはあくまでも子供が一人だけになれる場所に他ならない。
……少々彼らが口煩いことになりそうな気配を察し、私は急遽方針を変えた。
最初はダリウス達にも、場合によっては隠れているだろう妹を迎えに行く為、隠れ場所を教えておくつもりだったが……
この様子では、教える端から『警備の都合』で潰されてしまいそうだ。
王宮の警備としては、重要なことだろう。
それは理解するが、私にとっては妹の心を守ることも重要だ。
かつては私の心を守ってくれた場所でもある。
それらをむざむざと潰されてしまうのは……承服し難い。
私は隙を見てダリウス達を撒き、完全に兄妹二人だけで秘密の場所を巡った。
こういう場所を確保しているのとしていないのでは、いざという時の対応も変わって来る。
特に歯向かうことを許されずに育った私や妹の様な子供には重要なことだ。逃げることしかできないのだから。
より安全に逃げ切り、やり過ごすことのできる場所は知っておいて損もない。いや、知っておきたい情報だ。
実際に逃げ込まずとも、いざという時の駆け込み先がある、知っているというだけで心持が変わる。心強くなる。
自分の心を守る為の保障として、覚えていれば良い。
妹も私がどういう場所を教えているのか、気付いたのだろう。
これは自分を虐げてくる他者から逃げる時、隠れる為の場所だ。
泣くのも忘れて、真剣な眼差しで静かに説明を聞いている。
時折移ろう視線は、目視で道順や人気の無さを確認しているのだろう。
やはり知っているということは安心の源になるようだ。
一つ、二つと場所を教える内に、無意識にか妹はぎゅっと手を握って目を輝かせていた。
妹の涙はもう止まっていた。
「おにいさま、すごい……でも、ミンティシアにおしえて、良いの?」
「構わない。お兄様にはもう必要ない物だ。これからはミンティシアが活用しなさい」
「…………うん。ありがとう、おにいさまっ」
妹の目は、よりキラキラと輝いて。
私を見上げる顔は、微かにはにかむ様な笑みを浮かべていた。
これほどに喜んでもらえれば、私も秘蔵の隠れ場所を教えた甲斐があるというもの。
他の誰にも教えた事のないものだから側近達にも秘密にするよう、妹とは指を結んで約束とした。
当然ながら、警備責任者に人の目を逃れることのできる場所が複数存在するなど教える気は毛頭なかった。
泣いて悲しむ妹を、当然のこととして優先する。
今はひとりにしない方が良いだろう。私は妹の側にいた。
……だが、後回しにしただけだ。妹が受けた仕打ちを忘れる訳ではない。
明日は第二王女の元に行かねばならないな、と。
胸に縋る妹の背を撫でながら、恐らく私は難しい顔をしていた。
10年前、この国の王宮にやって来てお兄様がまず最初にやったのは地の利を把握すること。
一人になれて隠れられる場所探しだったそうです。(避難先を確保しておく習性)
そんなお兄様は恐らく警備責任者泣かせ。
ダリウス
「……で? 釈明があるんなら聞こうか」
後輩A
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
後輩B
「仕方なかったっす! 許して下さいダリウス先輩!」
ダリウス
「謝罪はいらん。なに殿下の妹姫をむざむざ泣かせる事態になってるんだ馬鹿が」
後輩A
「だってうちはしがない男爵家!」
後輩B
「うちはもっとしがない騎士爵家!」
後輩ズ
「「相手はお偉い侯爵家!」」
後輩B
「しかも片方は伯爵家ですけど、うちの本家だったっす……!」
遺憾の意を示す、後輩二人。ダリウスの顔はひきつった。
ダリウス
「なに権力におもねってるんだ、お前ら。そんなもの、護衛対象を守れない言い訳にもならんぞ! そもそも殿下も妹姫様もそいつらよりずっと上位の立場をお持ちだ。そこを前面に押し出して追い払うことも出来ないのか! 対処できないなら出来ないなりに、他の対応できる者を呼ぶとか、出来ることはあっただろう」
後輩ズ
「「ひぃぃいいいっ 突然王族の姫君がいじめられるなんて異常な事態に直面してテンパってたんですー!!」」
ダリウス
「どうしたもんか、こいつら……」
「鍛え直しですね」
「そうそう、鍛え直すしかないな」
「鍛え直しが完了するまでは殿下方の御前に出すことすら憚られますね」
ダリウス
「……じゃ、そういう訳だ。お前ら、防具に着替えて鍛錬場までちょっと来い」
その後、三ヶ月。
へまをした後輩二人の姿は完全に王宮から消えていた。




