『宰相』
その頃、王太子は。
「殿下、ご報告致します」
遠く国境地帯から早馬で以て駆け戻ってきたのは、信頼する部下の一人。
単騎で先行したのは、伝令役を兼ねる為だろう。
遣わした部下の多くは、未だ国境付近に留まっている。
それも、後始末が終わり次第に順次帰還するか、次の任務に就く予定だ。
「弟君、妹君は無事、国境を抜けました。問題も多少発生しましたが……詳細は、報告書に。結論を申し上げればリュケイオン殿下に随従する者達の協力もあって捕縛に成功、私どもは次の任務へ移ります」
「わかった、報告書を確認しよう。御苦労だな、苦労をかけた」
「いえ……次の任務に変更点などは御座いますか」
今回の件を纏めた報告書をめくりながら、考える。
次の任務。
その内容は、既に決まっている。
指示も彼らを派遣する前に与えた。
内容にも変更の必要はない。このまま向かってもらおう。
隣国へと向かう、異母弟妹に差し向けられた所属不明の追手。
万が一不手際を演じた際、末端からの追及を恐れてか。
充分な情報を与えられぬまま、文字通り使い捨ての手駒として用いられた者達。
だが末端に情報が知らされていなかろうと、幾らでも追求のやり様はある。
今回の件に関して裏を取る様に命じた部下は、情報の追跡に長けている。
弟妹を襲おうとした者共が成功した際には、『戦利品』を届ける為のルートがあった筈。
妹がもう少し大きければ、そちらの方からも追跡が適ったかも知れないが。
流石に九歳児の替え玉を用意するのは手間がかかる。
それも顔を知られた母に似た、美貌の子供となると。
情報を辿るにも、泳がせることは難しい。
手間がかかるのは確かで、慎重に時間をかけることも出来ない。
確実に黒幕を押さえられるかどうか、確率は八部に達するかどうか。
もう少し、手札を切ってでも勝率を上げたいところだ。
「弟達の……第二、第三王子の様子はどうだ」
「黙して語らず、といったところでしょうか。状況を見極めようと、静観に徹しておられるようです」
「巻き添えを恐れたか、日和見共め」
第二、第三王子はリュケイオンとは別の異母弟になる。
同じ側妃から生まれた同母の兄弟だからか、結束は固い。
リュケイオン達を襲った黒幕……と目されている相手が誰か、既に見当はついている。
我が国の宰相だ。
老獪な男で、王家に仕えて長い。
有能な人物だが、少々頭が固く、己の固定観念で物事を測るところが目につく老人。
長く重職の身にありながら、『王』を諌めることの出来なかった腰抜けの一人でもある。
今も『王』と顔を合わせる度、小言を口にしてはいるが……それも怒りを買って処断されないギリギリの範囲を測り、逸脱しない程度に過ぎない。
小賢しいことだ。
口で少々煩く言うだけで、決して実際に働きかけようなどとはしない。
不満があるのを隠しもしないのに、改善の為に動いて身を危険に晒すことはない。
己は止めている、と。その為に働きかけてはいる、と。
そういう形式めいた体面を整えておきたいだけにしか見えない。
今更、宰相が何故……と。
王宮内で捨て置かれていたミンティシアに手を伸ばしたのかは問うまい。
しかし長く王家に忠義を尽くした男だろうと、王女を害そうとしたツケは払ってもらわねばなるまい。
宰相が数年前から、第二王子に接触を図っていたことは既に掴んでいる。
文化も宗教も異なる他国出身の王妃が生んだ、私を排斥したがっていることも知っている。
恋に狂って王としての資質を全て溝に捨てた、父に失望ばかりを重ねていることも。
宰相は野心が強いが、愛国心も強い男だ。
そして己の価値観に合わないモノは、不要と切って捨てる非情さがある。
『要らない』と判断したモノを、利用するも使い潰すも躊躇うことはない。
大方、自分の理想とする『王家の在り様』を正す為、その布石としてあの異母妹を狙ったのだろう。
『傾国』を疎んじるあの老人は、その子供である弟妹をも疎ましく思って隠そうとしない。
宰相は弟妹が生まれた時から、あの二人を『国家にとって不要』と枠に嵌めてしまっている。
目的の為に非情になれることは、政治に携わる者として得難い資質だが。
だが、そのことがあの哀れな弟妹に手を伸ばしたことの、大義名分にはならない。
大義名分になど、させるつもりはない。
リュケイオンに公爵位を与え、国内での地位を確固たるものとして弟に安寧を。
もう十年以上、私はその目標を強く意識して生きてきた。
『傾国』の子供である弟への、貴族の風当たりは強過ぎる。
本人がどれだけの才知を見せようと、色眼鏡は容易く景色を歪ませるだろう。
弟に地位をとなれば、反発が起きることは予想がついた。
特に『傾国』を国を乱した元凶として憎む一派は、激しく抵抗するだろう。
その陣頭に立っているのが、宰相だ。
老齢故に頑固な面もある。
宰相はきっと己の主張を曲げはすまい。
私を敵国の血を引く男と見下し、『傾国』と王を憎み、弟妹を疎んじ軽く扱う。
その筆頭にいるあの男は、弟への公爵位を実現させる上で現状最大の障害と言える。
王がまともに政治を行わぬ、今。
宰相こそが国を支えてきたことは周知の上の事実だが。
あの宰相がいなくば政治が回らない、などというのは過去の話だ。
後進も育ち、随分と頼もしくなってきた。
私も政治に関わる機会は十年前よりもずっと増え、近年は執務を放棄した父に代わって半分以上の仕事は私がこなしている。
謁見など『王の顔』が必要とされるものを除いた実務は、既にほとんど私が承認して関与しているものばかりだ。
準備はもう、何年も前から……十年前から着々と進めていたのだから。
そろそろ、宰相も引退を考える頃合いだろう。
あの老人が表舞台から消える時が来た。
幾らかの引き継ぎは必要だが……いつ、宰相位が次代に引き継がれても問題はない。
後釜に座るべき人材は、既に確保してあるのだから。
宰相に取っては既に、私も、『王』も、弟妹も。
全て『要らないもの』に分類されているのだ。
だからこそ、次の王として担ぎ上げるべく、第二王子へと接触を図った。
この魔窟と化した王宮の中、息を潜めて育った第二王子に、そこまでの気概はないというのに。
あちらが先に『不要物』として私達を片付けるなり利用するなりしようとしたのだ。
で、あれば。
私が躊躇う必要などあるまい。
放置していれば、私を害そうとしてくることは確かなのだから。
「ガーネット嬢の首尾は上手く運んでいるか?」
「王の寝室に招かれたまま、そろそろ4日でしょうか……未だ、切り捨てられたとは聞きませぬ」
「そうか……。どうやら、無事気に入られることに成功したらしい。あの叔母君と見紛う顔があれば、成功率は高いと思ってはいたが」
「……顔が瓜二つでも、印象が全く異なれば逆に不快と取られる可能性もありました。ガーネット嬢は無事、賭けに勝ったということでしょう」
『傾国』を喪い、失意の中で発狂状態にある『王』。
その心の空隙をついて、ガーネット嬢は叔母に良く似た顔を武器に取り入った。
だが今はまだ、顔が同じであることから同一人物のように『王』の錯覚を誘っているだけだ。
『王』の持つ『傾国』の印象から大きく外れることをすれば、『紛い物』として怒りのままに殺されてしまう恐れがある。
峻厳な崖で綱渡りをする以上に慎重さと度胸を必要とされる危地に、彼女は自ら進んで身を置いている。
彼女の覚悟と復讐心はそれほどに強い。
ガーネット嬢の協力を、他の誰にも出来ない大役を、私は重く受け止めて感謝するべきだ。
「そうだな。彼女には頭が上がらない。私が王太子などでなければ、実際に下げていたかもしれない」
「至尊の位に上ろうという方が、安易に頭を下げてはなりませぬ!……と、爺や殿に怒られますよ」
「違いない。何はともあれ、ガーネット嬢の働きは見事なものだ。今の彼女からの願いであれば、既に政治から心の離れた『王』のことだ……宰相の首の挿げ替え程度、二つ返事で頷くだろう」
ゆっくりと誰にも気付かれないように。
『王』の足場を切り崩していかなくてはならない。
『王』に度々苦言を呈し、大きな顔が年々目立つようになってきた宰相のことを、『王』は煙たく思っている節がある。
心理的に比重の軽い決断には、恐らく心理抵抗も軽くなる。
本心では煙たがっている宰相の失脚は、今までどれだけ功績を積み上げてきた宰相であっても『王』にとってはどうでも良いこと。
己の治世にどんな影響を及ぼすかなど、もう考えることもせずにあっさりと挿げ替えを承認するのではないか。
そう、宰相の罷免は、『王』には軽く頷いてしまえることなのだ。
これが自分の身に直接関わることや、心理的な比重が少しでも重いものであれば、どうか。
自分の進退を脅かすようなことも、深く考えずに承認出来てしまうのか。
『王』は『新たな愛妾』のねだるまま、頷けるのか否か。
段階を踏んで、それは慎重に確かめていかなくてはいけない。
踏み込むことを許容できるのは、一体どこまでなのか。
一体、どこまでなら『新たな愛妾』の言葉に頷けるのかを。
それを測る為の、段階……いや、踏み台として。
『王』に苦言を躊躇わない『宰相』は、丁度良い実験台になるだろう。
寝室を共にするようになって日の浅い愛妾が、いきなり政治に関わることを懇願すれば不審だな。
宰相が弟妹に追手を差し向けたという、大事な証拠を掴むにもまだ少し日数がかかる。
その間にガーネット嬢には指示を出しておこう。
『王』への『おねだり』の前段階として……宝物庫に収められた適当な宝飾品でも、まずはねだらせてみるとしようか。




