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傾国の死後、私と妹【連載版】  作者: 小林晴幸
私と妹と、逃避行
24/39

12/私と妹と、母の形見

これもいわゆる顔面凶器。


今話は途中、お兄様による若干の暴力シーンが御座います。

ちょっとそういうのは……という方はお気を付けください。

そのシーン周辺は一人称では書き難かったため、作中に三人称視点での部分が混じります。

 私の妹(ミンティシア)の、顔を殴った。

 この不届き者を、何としよう。

 私の頭から全身に、瞬き程の間も置かず『怒り』が浸透する。


 許せない。

 許さない。

 逃す気はない。


 こんなに誰かに対して『許すまい』と感じたのは、初めてだ。


 まずは何を置いても妹だ。

 妹の安否を確認するまでは、何ともしようがない。

 その為であれば、手段は問わん。

 持てる全てを以て、取り戻す。

 この全ては己が意のままと傲慢にも錯覚し、場を支配した気になって警戒心の薄くなっている男を……まずは、落とす。


 頭の中は怒りで燃えていた。

 だが燃えて煮え立ちながらも、どこかで冷静に思考を回転させていた。

 ただ、こんなに感情的になったことは、今までなかったかも知れない。

 覚えがある中でも初めてのことに、どこか戸惑いを覚えた。

 戸惑いを覚えたが……それもすぐに、『怒り』という激情が呑み込んで潰れていった。

 僅かに残った逡巡を、呑み込んで。

 顔に張り付いた前髪と、固まりかけた血を袖で拭い取る。


 私はゆっくりと、見せつける様に。


 ――顔を、上げた。



 瞬間、世界が時を止めたかのように。

 男達の動きが止まったのだと、後にレミエルより聞いた。


 幼少より身嗜みは無造作に放置され、鏡をみるという習慣すらなかった。

 その為か、普段はあまり意識しないのだが。


 ……私の顔は、母に良く似ているらしい。



 様々な美術芸術を欲望のままに収集し、身辺を飾り立てることに寄って自己顕示欲と自尊心を虚ろに満たし。

 古今東西の種々様々な美貌を金と権力にあかせて血に取り込み、多様な種類の美で周囲を埋め尽くすことで自身をも美しくなったと鏡を見つめて己惚れに耽る。

 美しさを求めるからこそ。

 この世のありとあらゆる美を求めて耳目を肥えさせた。

 それはちょっとやそっとの『美』では歯牙にもかけなくなるということ。美しさに対して、耐性があるとも免疫があるとも言える。

 そのように審美眼に長けた『王侯貴族』という人種をして、『傾国の美貌』と言わしめた。

 そんな母に、よく似ている……と。


 男女の違いはあれど、『傾国』に似ているというだけで意味を知る。

 己惚れではなく、純然たる事実として。

 母より譲られた、この顔。

 妹ともきっとよく似ていることだろう。

 私達兄妹に与えられた、母よりの形見。


 使うつもりはなかった。

 誇示して回れば、厄災の源にしかならない。

 母の人生を知っていればこそ、そう思う。

 だからこそ馬車を降りての移動の際は、敢えてわざわざ隠したものを。

 厄介事を招く原因を、自衛の手段が整っていない環境で曝して何とする。

 懸念通り厄介な……害悪が、向かってきたとしたら。


 だが既に、目の前には『害獣』がいる。


 既に害悪には遭遇した後だ。

 隠す意味は、もうない。

 ならば曝して利用したとしても……構いはすまい。


 私はこの日、生まれて初めて。

 母に良く似た顔に生まれたことを感謝した。



   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



 美に執着する貴族をも、『傾国』と呼ばせ、目を奪う。

 目の肥えた貴族でも見惚れて足を止める顔だ。

 『美』を見慣れぬ……耐性のない者共であれば、如何様な反応が得られるか。

 彼らに、どれほどの『威力』を与えることが出来るのか。

 その答えは、目の前にある。


 まるで、ひきよせられるように。

 暗がりの中、真っ直ぐに降り落ちた雷鳴のように。

 良く晴れた日の空を、闇に塗り替えていく日食のように。

 高く伸びた木々の下、紅葉で赤く敷き詰められた大地のように。

 白で覆われた雪原の中、一点だけ黒く浮き上がる獣の影のように。

 どうしようもなく、人の意識を惹きつけて止まないもののように。

 見ようと思おうと思わなかろうと、思わず見ずにはいられないと。

 全てが、この場に息をする全ての者の目が。


 吸い寄せられる。


 人の中にあって『異端』となる程の、『傾国』の相貌が。

 怒りに染まり、冴え冴えと……鬼気迫る美しさに昇華されて。

 常と変らぬ悠然とした様子で、しかしいつもの彼ではなかった。


 いつもの、透明な無表情がそこにない。

 空虚さを写し取った眼差しも、そこにはない。

 彼は気付いていなかったが、その顔は冷たい怒りに染まっていた。

 常は薄い感情の色を増したことで美貌は凄味を増し、見る者の心を縛りあげた。


 鋭く眇められた瞳が、苛立ちを突き付けてくる。

 感情をあらわにした彼の顔は、美しかった。

 そこにいるだけで周囲の人間は呑まれる程に。

 染み出した気迫が、作り物めいた顔を『人間らしく』変えている。

 顔に出た感情が、彼の美貌をかつてなく高め上げている。

 青年の顔を見慣れていた筈の護衛でさえ、怒りに染まった彼の美貌に魅入られ、動きを止めた。


 皆、動けなかった。

 あまりにも美しいモノを目にした、衝撃で。


 リュケイオン以外の全員が、身動きできずに立ち尽くす。


 狙った以上の結果。

 予想以上に自分の面相に効果があったことで、青年は思った。

 ……此奴ら気持ち悪い、と。


 虐げられて育った為か、彼は(したた)かだった。

 気持悪いとは思ったが……それで退きはしない。

 むしろ己の感情は置き去りに、自分の優先順位を見誤ることなく。

 動けないのならこれ幸いと、動きだす。


 力の失われていた男達の拘束を軽く振り払い、手始めに……何より我慢のならない相手に、ゆっくりと歩み寄る。

 そう、彼の妹に……薄汚い手で危害を加え、今なお少女の身柄を押さえこんでいる不届き者に。

 接近してくる美貌に、『美』への免疫がない山賊の男は足が震えた。

 青年は放心状態で力の抜けた山賊の男から、そっと妹の身柄を奪い返し……


 山賊の鳩尾を蹴り抜き(※靴底は木)、反動で下がった山賊の顎を殴った。

 隠し持っていた短剣を使い、全力で。


 短剣は王家の子が生まれた時に贈られる伝統の品であり……凶器に使われた物は、王家に相応しく数々の宝石と金が象嵌されていた。

 衝撃の瞬間、山賊の顎に……一際大きく鞘に鎮座していたダイヤモンドが、確かに数秒の間めり込んだ。

 ついでに先端が、抉るように男の喉を打撃していった。

 男が、悶絶する。

 元より放心して力が抜けていた為だろう。

 攻撃の勢いに抗うことも出来ず、存外簡単に地面に転がってしまう。

「ミンティシア、ミンティシア……しっかりしなさい」

「…………」

「気を失っている、か……」

 腕に抱えた妹の安否を確認していた青年は、少女の頬が赤く腫れ始めていることに気付く。

 小さく(いとけな)い妹の、痛ましい姿。

 この場ですぐに赤くなってきた頬を冷やす為の道具もない。

 青年の苛立ちが、加速した。


 蔑む冷たい眼差しが、足元に転がる山賊の頭目を見据えている。

 悶絶する男の真横に、静かに歩みより……足を乗せ、



 全体重を乗せて、思いっきり『とある部位』を踏み潰した。



 それだけのことを見せつけられても、『傾国』の美貌に呑まれた男達は動くことすら出来ずにいた。

 むしろ青年に殴られた男を見て、美貌の主に手掛けられたことを羨んだ程だ。

 青年以外の誰もが、正気ではなかった。


「レミエル、お前までいつまで惚けている」

「……はっ」

 従者として側に仕え、青年の顔を見慣れていた護衛には耐性が出来ていたのだろう。

 一声掛けられ、誰よりも早く我に返った。

 正気に戻ると同時に、己の成すべきことを成そうと身体が動く。

 次の瞬間、一度に三人が沈んでいた。

 いつの間にか、山賊は半数にまで減っている。

 残りは四人。

 相手はろくな戦闘訓練も受けていないような有象無象だ。

 人質を取られている訳でもない。

 残党は、レミエルの敵ではなかった。

「後は任せる」

 美貌一つで簡単に苦境を掌握し、覆した青年は山賊達の結末を見届けることもなく……ただ山賊の頭目だけは念入りに三度、四度と踏みつけてからその場に背を向けた。

「殿k……リュカ様、どちらへ!」

「川だ。ミンティシアの手当てをしてくる」

「お一人……いえ、お二人だと危険じゃ……」

「妹は私が抱えていく。この状況であれば、お前が付いて来る方が余計な手間になろう。私だけであれば、気配を殺して木々に紛れることも出来る故、な」

「……お側についていながらみすみす危ない目に遭わせてしまった護衛としては、返す言葉がございません」



   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



 私は木々の間を擦り抜け、川へと向かった。

 位置は生国へと戻る道すがら確認していた。

 既に耳がせせらぎを捉えている。

 どうやら道は間違えずに済んだらしい。

 小川の流れで手拭を冷やし、妹の顔をそっと拭う。

 これ以上腫れぬよう、絞った布で頬を冷やした。 

 

 腕の中の妹は、ぐったりと力ない。

 私の胸に頬を預け、全身を弛緩させている。

 気絶しているのであれば当然だが、痛ましさはより増した。

 意識のない人体は常よりも重いと聞くが、妹の身体は意識がなくとも不安になる程に軽い。

 このように小さく軽い身で、大の男からふるわれる暴力は如何に恐ろしかったことか……

「ミンティシア……今後はこのような事が無きよう、何を用いても私が守るから」

 先ほど危険な目に遭わせたことを、許してほしい。

 そう思いながらも口にすることは出来なかった。

 それが、虫の良い願いの様な気がして。

 許すも許さないも、決めるのはこの小さな妹の権利。

 私が妹を奪われるという失態を演じたのは事実。

 短い時間で取り戻したとはいっても……怖い思いをさせたことに変わりはない。

 許してほしいと思うのであれば、許してもらえるように。

 妹の為に、一つでも多く償いをしなくては……と思った。


 今後怖い思いをさせないこと。

 辛い思いをさせないこと。

 それが私に出来る償いだと信じよう。

 絶対に安全だと言える場所に辿り着くまで、もう油断はしない。





   ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 

「あれ……? そういえば殿下、ただ妹君の応急処置に行かれるだけなのに、なんで馬まで伴って…………はっ」

 護衛の青年は、己の足下を見渡した。

 そこには厄介事の塊……八人の、縛られた盗賊が転がっている。

 当然ながら放置していくわけにもいかないので、事後処理を含めて厄介事の塊だ。ここから誰かに引き渡すとなれば、八人もの男を徒歩(かち)で連れて歩かねばならないのだから。

 その為に、足が鈍ることは間違いない。

 そして足が鈍るとなれば、その分だけ危険にさらされる期間……隣国に入国するまでの手間が増えるということで。

 どうして殿下が馬まで連れていったのか。

 その理由に思い当たり、護衛の青年は顔を青く染め上げた。


「お……置いていかれたーーーー!!」


 お前、なにやってるんだよ……と。

 同僚と先輩に囲まれ、小突き回される未来が見えた気がした。

 それはきっと、気のせいじゃない。

 

 


 さて、お兄様は山賊の何処を踏み潰したのでしょう?

  1.顔

  2.胸部

  3.腹部

  4.股間

  5.拳

  6.膝

 さあ、どーれだ……?

 答えは皆様のご想像にお任せします。

 小林的には「1」かなって思いますけど、皆様のご想像にお任せします。

 


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