07 田上先輩が大学に挑戦するそうだ……。
青野と久しぶりに出会い、天気もいいので自転車でウロウロしていた。
たまたま田上会長の近くを通った時。青野が会長のところに寄っててみ
よや。と言うので何気なく尋ねた。
行ってみると丁度、居られた。
雑談をしているうちに想像もしなかった話が「僕は大学受験のために
、1年の時から勉強はしていたんだ」と聞かされて、びっくり。
俺が「どこの大学に行くんですか」「結城君、僕は東京の政法大学に行き
たい」「何故ですか」と尋ねると。
「現状の成績では、目いっぱいレベルを上げても、政法大学が限度なの
でね」
さすがだな田上先輩は、本人にとって最高レベルの学校を、目指してい
るんだ。
この出来事が俺の将来に大きな影響を与えてくれた。
俺も大学へ行ってみようかと考える。大きなきっかけに。
田上先輩はその後、本当に希望どうりの法政大学に合格し東京へ。
今からでも遅くない…? 俺も負けないぞ。
義仁は、目の前がパット開いた。
絶対、東京の大学を目指すぞ。
強く決意をしたが、どうすれば行けるのか?
方策はまだ、なかった。
この時代の工業高校は今と違って、まだまだ人気のあった。
希望者は市外だけでなく県外からの学生も少なくなかった。
住まいも様々で、自宅、会社の寮や親戚の家等。広範囲から通学していた。
方言も、まちまちで、すぐには友になれず、やっと方言に違和感が、なく
なった頃に友が一人、二人と増えた。
放課後は実家が下宿屋の岡田宅に仲間の5~6人が自然と集合し、花札や
マージャンでなどで良く遊んだだりしたもんだ。
不幸なことに、この年は例年になくきびしかった。
本校では珍しく三年生に上がるときに同級生の落第生が多くでた。
なんと5人も。その中に学友の三人も含まれた。
残念ながら二人は、理由は良くわからないが学校をやめてしまった。
上級生からも二人が落第して別のクラスに。
その一人が教室に来るなり「結城、宜しく頼むな」と、親しそうに。
同級生になったのだから偉そうにするなと腹の中で。
そいつが、ある日、競輪用の自転車に乗っていた。「・・どうかした
んか」「おれは、競輪選手になるんじゃ」と。
その後そいつは学校を辞めて、競輪の世界に入り、そこそこの選手に
なれたと、風邪の便りで聞いた。
人生いろいろ ~ こんな歌もあったような?
この時期が私も友にも、一番重要な境目だったのか?
学校を辞めてしまった者達の、その後は、ほとんど不明だ