開戦
銃声は宇喜多隊と対峙する福島隊から発せられたようにイツキには聞こえた。
そして程なくして無数の銃声が耳に届く。
見れば福島隊の最前線が赤く明滅している。
何十、何百もの銃弾が宇喜多隊に浴びせられているのだ。
対する宇喜多隊も倍返しとばかりに福島隊に向けて一斉射撃する。
銃声の合間に聞こえてくるのは何人もの断末魔だ。
そして、喊声が上がる。
三成のいる笹尾山と小西行長が守る北天満山から白煙が立ち上るのが見えた。
イツキの体を鋭い緊張が貫いた。
体がわなわなと震える。
“殿。狼煙が……”
関ヶ原の天下分け目の合戦が今始まったのだ。
“うむ。イツキ。まずは我がもとに帰ってまいれ”
吉継の言葉に気を取り直した。
イツキは流れ弾を恐れて宇喜多隊と福島隊を遠巻きに迂回しながら大谷陣を目指して羽を動かした。
眼下を人の群れが動いている。
先ほど偵察した藤堂高虎と京極高知の軍勢が大谷陣の前線を受け持つ平塚隊に向かって移動しているのだ。
まるで獲物を求めて獣が襲い掛かろうとしているように見える。
“殿。平塚隊に藤堂、京極が迫っております!”
イツキは心の中で叫んだ。
“案ずるな。因幡守殿に任せておけ”
平塚隊は敵が近づいてきても山のごとく動かない。
息を殺して間合いを測っているようだ。
イツキは藤川台の南を通り吉継のいる本陣の脇に飛び降りて、人の姿に戻り吉継の前に戻った。
その時イツキの背後遠くで無数の銃声が空を切り裂くように響いた。
「こちらも始まったようです」
脇に控えている五助の言葉に吉継は無言で頷いた。
「申し上げます。前線の平塚隊に藤堂高虎、京極高知の軍勢が押し寄せ、平塚隊の鉄砲隊が応戦!」
「申し上げます。宇喜多隊と福島隊が交戦中。小西隊に古田重勝、金森長近が迫っている模様」
「申し上げます。石田隊目がけて黒田長政、細川忠興、加藤嘉明、田中吉政ら総勢二万の軍勢が殺到」
伝令が次々に飛び込んできて吉継に状況を伝え、すぐに出て行く。
“石田様は大丈夫でしょうか?”
伝令が報告した状況では石田三成が最も苦戦しそうに聞こえた。
石田隊に狙いを定めた敵勢は石田隊の倍以上の兵力だ。
“今日のために何日もかけて陣を築いておる。そうやすやすとは突破されまい。それよりも松尾山はどうなっている”
吉継の言葉にイツキは視線を南へ向けた。
松尾山には違い鎌の旗が何本も風に揺れている。
“全く別世界のように静まり返っております”
“イツキ。戻ったばかりですまぬが小早川隊の前線まで飛んでくれぬか”
“承知しました”
イツキは吉継の下知に従って、すぐさま鷹に変化し飛び上がった。
上空から見てみると、松尾山は全体がまるで結界でも張られているかのように戦塵から隔絶されていた。
徳川方の最南端にいた京極高知が松尾山の小早川秀秋やその前方に陣を張る赤座、小川、朽木、脇坂の軍勢を無視するようにその眼前を通り抜け大谷軍に向かったことになる。
石田方の策はまずは高台に位置している地形的有利さと事前に作り上げた陣を背景に攻め込んでくる東軍の勢いを受け止め、疲労を待ち、その後一気に包囲殲滅するというもので、攻めてくる者がいないのであれば自ら叩きに出るということは想定していない。
従って、小早川隊がまるで山に同化したように不動を貫くのは石田方の約束事としては正解なのだ。
しかし、北に目を転じればもうもうと砂埃が舞い、銃声が間断なく轟いているなかでのこの松尾山の静けさは異様で不気味だった。
何故、藤堂高虎や京極高知はすぐ近くの松尾山には攻め込まず、遠回りをして大谷隊に牙をむいたのか。
一万五千の兵力を持つ小早川に攻め込むのは無謀と見たのか。
“どうだ、イツキ”
“はい。小早川隊は全く動いておりません。徳川方の誰からも攻めかかられず、合戦から取り残されております”
“そうか……。やはりな”
誰からも攻めかかられない小早川。
それはつまり徳川方から敵と見なされていないからではないか。
吉継が危惧しているように小早川は既に徳川方に寝返っているのか。
寝返りの中身はどういうものか。
不戦か。
それとも……。