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叔母

 関ヶ原での諸侯の配置を決めて三成は帰っていった。


 関ヶ原の要衝は近江佐和山へ抜ける東山道上にある藤川台と同じく近江の長浜へ出る北国街道脇の笹尾山であると吉継は指摘した。


「なるほど。ここは余人には任せられんな」


 三成は吉継の言うことに納得の表情で、この藤川台と笹尾山は自分と吉継とで分担することにしたい、と言った。


「あいわかった。そうしよう」

「わしは夜陰に紛れて大垣城を出る。南宮山の南を通って関ヶ原に出ることになるとすると、最北の笹尾山より藤川台の方が近いな」


 三成は自分が藤川台、吉継が笹尾山と考えているようだった。


「いや。佐吉が笹尾山だ。藤川台は奥まっていて、関ヶ原全体の様子が把握できない。今回、実質の大将はお前だ。大将は全軍を見渡す位置におらねばならん」


 これで、三成が笹尾山、吉継が藤川台と決まり、他の諸侯もその兵数と地形から配置が定まった。

 すなわち、北から笹尾山のすぐ隣の小池村に島津隊、さらにその南の北天満山に小西隊、南天満山に宇喜多隊。

 平塚隊は吉継の藤川台の前面を守る。

 松尾山の麓にはこちらも吉継指揮下の脇坂、小川、朽木、赤座が置かれることになった。


「残すは松尾山と南宮山だな、平馬」

「ここはどちらも大軍が配置できる。毛利と小早川ということになるだろう。できれば毛利輝元様に松尾山城に入っていただきたい。五大老が陣形の中心に座り睨みをきかせば重みが増す」

「そうだな。若輩の金吾には少し離れた南宮山から家康の背後を脅かしてもらえればそれで良い」


 配置が決まると三成は満足そうに帰っていった。


 イツキは吉継の懐から出て、人の姿に変化した。


 イツキは笹尾山が三成で、藤川台が吉継になったことを不思議に思った。

 今回の陣形は笹尾山より藤川台の方が中央に近い。

 大垣城からの距離からしても三成の言うことの方が理にかなっている。

 多少奥まっているが藤川台も高台であり、左右の戦況が見えないわけではない。

 吉継が藤川台にこだわった理由が何かある気がしてならなかった。

 そして、それは藤川台を見下ろす位置にある松尾山城に関係しているように思えた。


“松尾山城にはどなたが入られることになるのでしょうか?”


 イツキは吉継の腕を按摩しながら問いかけた。


“さあなぁ。できれば毛利本隊に入ってほしいものだが”


 吉継の返答はイツキには少し捨て鉢気味に聞こえた。

 しかし、戦について素人のイツキがあれこれ口を出すことは憚られた。


“イツキ”

“何でございましょう”

“今から、大坂へ向かってはくれまいか”

“大坂へ?”


 イツキは吉継の腕から手を離し、頭巾をかぶった吉継の顔を睨み付けた。“嫌でございます”


 吉継が自分を遠ざけようとしている。

 死出の道連れにしないために決戦場から離れた大坂へ向かわせようとしているのだ。

 イツキはそう直感した。


“何じゃ、そのにべもない返答は”


 吉継がイツキの態度に困惑したような声を出す。


“嫌なものは嫌でございます。この期に及んで殿のお傍から離れるなどできるはずがございません。殿の口からそのような水臭いことを聞かされるとは夢にも思いませんでした。大坂には他の者を遣わせてくださいませ”


 イツキは一歩も引く気はないという気迫を言葉に乗せた。

 吉継の命令でもこれだけは聞けない。


“イツキ。何か勘違いをしておるのではないか?”


 吉継が柔らかい声音を出しても、イツキはさらにそっぽを向いた。


“殿のお考えは分かっております。一人であの世に行こうとされても無駄にございます。イツキは殿とともに死ぬ覚悟ができていると何度も申し上げておるではありませんか。それをいよいよという時になって、追い払うように……”


 喋っている間にイツキはどんどん悲しくなってきた。

 心の中の会話であっても、気持ちが高ぶってくると言葉にならない。


“イツキ。合戦はまだ始まらん。戦いたくても内府様はまだ関東の小田原あたりじゃ。美濃までは遠い。だからこそ今のうちにイツキに大坂に行ってきてもらいたいのだ。そして、早く戻ってきてもらいたい。これは余人にはできぬ仕事なのだ”

“本当にございますか?”


 イツキは吉継の方に振り返った。


“もちろんだ。神に誓う。いや、弁財天に誓うぞ”


 定めの人に弁財天に誓うとまで言われては聞かないわけにはいかない。

 イツキは胸を反らせて威張ってみせた。


“では、聞くだけ聞きましょう。行くかどうかはそれからにございます”

“何とまぁ、難しいおなごじゃ。しかし、仕方ない。戦いの行く末はこれにかかっているのだからな。ここは平身低頭して、聞いていただくことにしよう”


 吉継はイツキに向かって座り直し、手をついた。

 そのまま本当に頭を下げようとするので、イツキは慌てて、「申し訳ございません。御無礼、平に御容赦ください」と床にひれ伏した。


 吉継は笑ってイツキの頭を撫でた。


“イツキ。わしは此度の戦、このままでは石田方の負けと見ている”


 イツキは顔を起こして吉継を見つめた。


“はい”


 これは以前から吉継に聞かされていたことだ。吉継は分が悪いことを承知で石田三成に味方したのだ。


“しかし、むざむざ負けるわけにはいかん。負ければ我が大谷家は断絶。この関ヶ原についてきてくれた家臣は全員玉砕となり、敦賀に残っている者たちも路頭に迷うことになるだろう。それが分かっていて手をこまねいているわけにはいかん。打てる手は全て打つ。それはイツキも同じ気持ちであろう”

“はい”

“我らが勝つには我らが豊臣家の命を受けた軍であることを満天下に知らしめることが必要なのだ。それができれば今、内府様に与している福島、黒田、細川などの豊臣恩顧の諸侯は我らに弓を引くことはできなくなる。分かるな?”

“はい。そうなれば相手は徳川直属の武将だけになるということですね”

“そうだ。そこまで減らすことができれば、勝ちが見える。そこで、イツキには大坂城の淀の方様に叔母として直談判してきてもらいたいのだ。秀頼君の御出馬を是が非でも叶えてもらいたい”

“私が淀の方様に?”


 目が眩みそうだった。

 此度の戦で吉継の懐に入り、色々な場に居合わせることにはなった。

 豊臣家の政を差配する奉行衆の顔を拝んだし、五大老の宇喜多秀家も間近に見ることができた。

 しかし、天下人として君臨する豊臣秀頼の生母であり事実上豊臣家の舵を取る淀の方に直接秀頼の出馬を願い出るなど思いもよらないことだ。


“どうだ?”

“そのような恐れ多いこと、私には無理にございます”


 イツキは再び吉継の膝下にひれ伏した。

 幾ら吉継の頼みでもできないものはできない。


“しかし、イツキ。これは無理でも行ってもらうしかないのだ”

“そんな御無体な。いくら殿が頭を下げられても私にはできかねます”

“イツキ。これはそなたにしかできん”

“何故にございますか?”

“イツキも知っておろう。秀頼君の母君にあたる淀の方様は浅井長政公の御息女、茶々様だ”

“承知しております”


 そのことはイツキも知っている。

 もともとタキから姪が三人生き延びていることは聞いていたが、そのうちの一人が天下人秀吉の側室となり世継ぎを産んだと初めて聞いた時は世の不思議に声も出なかった。


“つまりイツキは淀の方様の叔母にあたる。家臣が幾ら頼んでも無理なのだ。後は叔母であるイツキに行ってもらうしか手立てがない。我らに残された手は淀の方様、そして秀頼君の血縁にあたるイツキだけなのだ。頼む。この通りだ”


 イツキは唖然とした。

 吉継が自分に対して本当に頭を下げていた。

 額を床にこすりつける、いわゆる土下座だ。


“殿。おやめください”


 イツキは吉継に頭を上げさせようとした。


“生きるか死ぬかと言う時に、こんな頭幾らでも下げさせてもらう。頼む。イツキ”


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