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同士

「いやはや、さすがは刑部殿の策略。恐れ入ったわ。わしの出る幕は全くない」


 そう言って敦賀城の大広間に大笑を響かせたのは平塚為広だ。

 為広は伏見城攻略を終えるや、吉継と行をともにしたいと麾下の千ほどの軍勢を率いて敦賀までやってきたのだった。

 為広としては前田利長の大軍を前に吉継が苦戦しているだろうと思って、援軍のつもりでやってきたようだが、すでに前田軍は越前から引き揚げて、金沢へ退却したところだった。


「石田方の動きはどうなっておる?」


 イツキは今日も吉継の懐の中にいる。

 吉継の問いに、為広の顔がほんの少し憂いを浮かべたようにイツキには見えた。

 ほとんど視力を失っている吉継には分からないだろうが。


「石田治部殿は美濃の大垣城に入った」

「予定通りだな。これで織田秀信殿の岐阜城もあわせて美濃は石田方が押さえた」

「そういうことになる。しかし」

「しかし?」

「内府様の先発隊として福島正則が尾張の清州城に戻ってきてしまったらしい」

「市松が、か……早いな」


 イツキには吉継の声が弱々しく聞こえた。

 美濃と尾張の境付近に位置する清州城に敵方が入ってしまったことが想定外だったようだ。


「ああ。尾張はこちらのものにしておきたかった。これでは北の上杉、東の佐竹と呼応して内府様を挟撃するには位置取りが間延びしてしまう」


「全くだ」


 吉継は嘆息した。


「にしても、さすがと言うか、何と言うか」


 為広は首筋に手を当てて、顔を左右に振った。


「内府様か?」

「結局、内府様に従って上杉討伐に向かった大名からは誰一人として我々に与する者が出てきておらん。豊臣恩顧の武将が大勢いるというのに、一人もだ」

「やはり豊臣家のための戦という認識がないのだろう。石田三成とともに戦うか、それとも石田三成を相手に戦うか。その選択に過ぎないということだ」

「治部殿の人気のないことよ」


 為広は苦笑した。


 吉継も「今さら言うても始まらんがな」とつられたように笑う。


「信州の真田家は昌幸殿、幸村殿の親子がこちらについてくれる」


 娘婿の幸村から吉継宛にその旨の文が届いていた。

 真田家は信州の小国ではあるが、家康に土をつけたことのある唯一の軍勢と言える。

 吉継は大いに頼りにしているようだった。

 義父の吉継に対して義理を果たそうとしてくれるところが男気のある幸村らしかった。


「真田家は刑部殿の縁戚にあたるのだったな」

「幸村殿はわしにはもったいないほどの娘婿だ」

「武名は噂に聞いておる。しかし、乱世とは悲しいな」

「信幸殿のことか?」


 それを思うとイツキも胸が痛む。

 幸村の兄、信幸は家康の家臣、本田忠勝の娘を娶っており、今回父、弟とは相容れず、徳川方について家族同士で刃を交えることになってしまった。


「これが真田家存続の計なのかもしれん。どちらが勝っても名は残る」


 吉継の言うことはおそらく的を射ているのだろう。

 しかし、覚悟の上だとしても、親子、あるいは兄弟で血を流し合うのかと思うとやるせない思いに駆られる。

 どちらが勝っても、ということはどちらかが負けるということだ。

 名を残すことは、そんなにも大切なことなのだろうか。

 

 イツキはアゲハの顔を思い浮かべた。きっと今頃嫁ぎ先の不幸に悲嘆にくれているだろう。


「因幡守殿は、形勢をどう見る?」

「そうじゃなぁ」


 為広は顎の無精髭をごしごし撫でた。「どうも、我が方は足並みが揃ってないな」


「と言うと?」

「寄せ集めただけという感じがしてならん。毛利様は大坂城から出る気配がないし、吉川や小早川、島津は戦う気があるのかどうか今一つはっきりしない。やる気があるのは、治部殿、刑部殿、宇喜多様、それに小西殿ぐらいか」

「そう見るか」

「まあ、相手も似たようなものかもしれんがな。少なくとも、徳川の譜代大名と豊臣恩顧の大名とでは内府殿への忠誠心が違うであろう」

「やはり」


 吉継は天を仰いだ。「何としても秀頼君に豊臣恩顧の大名に石田方に集うよう下知を与えていただかねばならぬ」


「刑部殿」


 為広は吉継に当てた視線を厳しくした。「大垣城と清州城は指呼の間。決戦は近いぞ」


 吉継は一つ大きく頷き声を張った。


「そろそろわしも出張るとしよう」

「刑部殿。できればわしは貴公と行をともにさせてもらいたい。わしは自分で機を見て戦略を立てるのは苦手じゃ。だが、持ち場と役割を与えられれば全力でそれを為すつもり。兵は多くはないが、十分に鍛えてある。石田方を見渡したとき、我が命を預けて戦うのは太閤殿下がお認めになった貴公の差配の下しかない。そう思って治部殿に断って越前にやってきた。そして、あの前田様の大軍を撤退させた知略を見てわしの判断に間違いはなかったと確信した。この天下分け目の大戦において我が平塚隊に活躍の場を与えていただきたい」


 為広は吉継の眼前にまるで臣下の礼を尽くすように諸手をつき頭を下げた。


「手を挙げられよ、因幡守殿。我らは同士じゃ。わしは既に死を覚悟しておる。しかし、無駄死にはせぬ。共に一花咲かせようぞ」


 為広は吉継の言葉に満足した様子で、出立の準備のために部屋を辞した。


“イツキ。いよいよじゃ”

“はい”

“イツキに頼みたいことがある”

“何なりと”


 イツキは鼠となっている自分の頬を吉継の胸に寄せた。

 吉継の温もりを感じられるのもあとわずかか。

 そう思うと身を切られるように切ない。


“此度の戦は総勢二十万の兵力がぶつかり合う、古今東西類を見ない大戦じゃ。それだけの人間がいては籠城戦ということにはならん。となると、今双方が睨み合っている美濃と尾張の国境周辺で野戦となろう。できれば石田方は内府様よりも先に兵を展開して山を背負いたい。高低差はそのまま兵の勢いにつながるからな。そなたはこれからそのあたりの地形を見てきて、その様子を教えてほしい”

“承知しました”

“尾張は平らで、高低がない。野戦の得意な内府様と平らな場所で戦っても勝ち目はない。何としても美濃の山地に誘い込まねばらなん。狙うは……関ヶ原だ”


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