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知略

 前田軍二万五千。

 そう聞いて軍議の諸侯は押し黙った。

 少なくとも様子見の兵力ではない。

 家康に脅され武家の体面を捨てて屈服したという昨年の汚名を晴らす機会をここに見て、その標的を石田三成に定めたようだった。


 利長に越前から近江に進攻されては上杉と連携して家康を挟み撃ちにするという石田方の目論見は霧散する。

 戦略上は何としても越前で利長を食い止めねばならない。

 しかし、伏見城攻略にすら手を焼いている石田方には利長に伍する兵力を割く余裕も、五大老前田利長を押し返してみせるという気概に溢れた武将もいなかった。


 吉継は立った。


「わしが行くしかあるまい」


 明らかに形勢の悪い戦地に単身乗り込むのは大谷軍を苦境に追い込むだけ。

 まさに飛んで火にいる夏の虫ではないか。

 イツキはそう思わずにはいられなかったが、口を挟むことは控えていた。

 越前敦賀を本拠とし、檄文を飛ばして勧誘工作を行った吉継としては、自分の言葉に賛同してくれた北陸の諸大名を見捨てる真似はできないと思ったのだろう。

 実際に文の作成を手伝ったイツキにはそのことが深く理解できた。


 三成はわらにもすがるような眼差しで「行ってくれるか」と吉継を見上げた。


 吉継は急ぎ配下に下知を与え、伏見から北へ軍を動かした。

 北陸へ向かう道程においても敦賀から早馬が続々と飛んできて情勢を伝える。


「越前府中城の堀尾殿は我らの説得に応じず、前田殿に味方するとの御返答」

「前田軍は小松城を迂回。その西南に位置する大聖寺城を目指す模様」

「越前の諸侯が浮足立っております。殿の御到着を矢のような催促。このままでは前田方に寝返る者も出かねません」


 吉継は五助に進軍を速める指示を出すともに、大谷吉継が越前に目と鼻の先まで迫っている、と諸侯に伝令させた。

 大聖寺城を救え。

 吉継の命を受け麾下の兵が気勢を上げる。


“殿”


 イツキは吉継の体調が心配だった。

 行軍を急がせては吉継の体に負担がかかる。


“わしのことは案ずるな。今は一刻も早く越前に入り、味方の諸侯を落ち着かせねばならん。加賀、越前の我らの味方はみな小勢力。五大老前田利長が二万五千の兵で押し寄せてきたと聞いて慌てておるのだ”

“前田様が小松城を迂回してその先の大聖寺城を目指すのは何故でしょう。小松城の丹羽様に背後を突かれれば大聖寺城の山口様からも攻められ挟み撃ちにされてしまいますが”


 イツキの頭の中には加賀と越前の城の配置が頭に入っている。

 そして、吉継から手ほどきを受け、戦略上挟み撃ちにされることの危険性を知っていた。

 イツキには利長がわざと腹背に敵を置いて自ら苦境に立とうとしているように見えて仕方がない。


“小松城の丹羽は城からは出ん”

“どうしてでございますか?”

“小松城は沼地に立つ難攻不落の名城。だから城主丹羽長重は三千の兵でも前田軍に抗える。しかし、城から出てしまえば、兵力がものを言う。いくら背後から攻めかけても二万五千の前田に返り討ちにあうだろう。丹羽は小松城あっての丹羽なのだ”


 そして、吉継が敦賀城へ到着するや否や大聖寺城落城の報が届いた。

 吉継は「くそっ!」と珍しく語気を荒げて床を叩いた。


「すまぬ。山口殿」


 悔しさが滲む謝罪の言葉を口にしたが、吉継はすぐに気を取り直したかのように覇気のある声で越前にいる味方の諸侯に伝令を送るよう指示した。

 大谷吉継が敦賀に舞い戻ったことを知らせ、大谷軍が救援に向かうまで城門を固く閉ざし防御に専念するよう指示するためだ。

 さらに、大坂から更なる援軍が間もなく到着するという情報を拡散し前田側の動揺を誘った。


 そこへ前田軍の動向が敦賀城にもたらされた。

 前田軍は勢いに乗って北庄城を目指しているという。


「殿。北庄城の青木様が殿を待っておられます。既に救援に向かう旨の伝令を出しております。一刻も早く御出陣を」


 五助の激しい催促に吉継は意外なほど落ち着いた物腰で悠然と答えた。


「まあ待て。焦ってはならん。大聖寺城は救いたかったが、今は一人の兵も失いたくはない」

「しかし、このままでは北庄城の落城は時間の問題。さすれば、前田軍は破竹の勢いで越前深く入り込んできましょう」


 五助の深刻な表情を吉継は笑い飛ばした。


「前田はそこまではせぬ。大将の内府様はまだ関東におられる。つまり尾張、美濃まで出てこられるまでまだ日数がかかる。もし前田がこのまま越前を攻略したらどうなる?」

「南から来た石田様の軍勢とぶつかります」

「そうじゃ。前田は自軍だけで石田方の十万近い兵を敵に回すことになる。そんなことを前田がすると思うか?おそらくは加賀、越前の城を二つ、三つ落としながら内府様の到着を待つという算段じゃ。前田は本気で石田方本隊と一戦構えるつもりはあるまい。先だっての汚名を雪ぎ、内府様に義理が立つ程度に戦果を挙げられれば良いと考えておる。そんな相手にこちらから本気にぶつかりに行っては互いに余計な血を流すだけぞ。わしに策がある」


 そして吉継は五助に近く寄るように言った。


 越前深く入り込んだ前田軍の隙をつき、大谷軍が海路、前田家の本拠地金沢城を急襲する。


 偽報である。五助は吉継の命を受け、この偽情報を前田軍に流した。


 これが見事に功を奏し、北庄城を囲んでいた利長は兵をまとめて急ぎ金沢へ戻っていった。

 そして金沢撤退中に小松城の丹羽長重の奇襲を受け大きな損害を出したのだった。


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