伏見
予想外に伏見城の抵抗は激しかった。
守兵は石田方の動きを事前に読んで、十分に籠城の準備を整えていたようだった。
城を守るのは家康が今川家の人質だったころから仕えている老臣鳥居元忠とおよそ千八百の兵士。
対して攻め手は毛利、宇喜多、小早川、島津を主力とする四万。
赤子の手をひねるようなものだと笑い合っていた攻め手の油断をつくかのような玉砕覚悟の奮戦ぶりで、後詰めとして待機していた吉継も一向にはかどらない攻城に苛立ちを募らせているようだった。
“伏見城とは余程堅固な城なのでしょうか”
隣に座る吉継に扇子で風を送り、吉継の顔色を窺いながらイツキが問いかける。
攻め手は守兵の二十倍の戦力で十重二十重と城を囲んでいる。
どうして落城しないのか不思議でならない。
“攻める気がないからだ”
吉継は物憂げだった。
“攻めているふりということですか?”
“ふりとは言わんが、毛利も小早川も島津も自軍に損害が出ることを恐れてか、本気で攻めかかっていない。宇喜多様だけが真面目に攻めているが、守備兵もそれを見越して宇喜多様の方面に戦力を集中させている。宇喜多様にとっては、やる気がないなら下がれ、と毛利や小早川を怒鳴りつけたいところだろう。いくら大勢いても気のない兵では邪魔でしかないからな。宇喜多隊だけで四方から攻めかかれば、今頃とっくに落城させているはずだ”
吉継の分析にイツキは暗澹たる思いだった。
吉継が危惧していたことが当たってしまったのではないかと空恐ろしくなる。
毛利も小早川も兵力は出してきた。
しかし、それが戦う姿勢に直結しているかと言うと、そうではなかったようだ。
まだ本気を出す場面ではないと思っているのか。
それとも……。
その時、大谷家の本陣に伝令が入ってきた。
石田三成が面会を求めていると言う。
吉継が了承し、白頭巾を被る。
イツキは慌てて鼠に変化して吉継の懐に飛び込んだ。
間もなく、駆け込むように三成が入ってきた。
「平馬!」
「どうした、佐吉」
吉継はゆらりと扇子で首筋を扇ぎながら三成と応対した。
「どうしたもこうしたもあるか。何故、伏見城が落ちない?一日二日で落ちると言っていたのが、もう五日も経つのだぞ。あやつらは戦う気があるのか」
「そういうこともある。戦とは予想通りにはいかぬものだ」
「そんな悠長なことを言っておる場合か。さっさと伏見城を落とさねば、我らは先へ進めん。東の上杉と呼応し、家康を挟み撃ちにするという我らの目論見が崩れてしまうぞ」
三成は口から唾を飛ばしながら言った。
大分落ち着きを失っている。
吉継は扇子をパチンと閉じて、少し姿勢を正した。
「先へ進めぬことはない」
「何?」
「伏見城など相手にせずとも良いと前々から言っておるではないか。守備兵はたかが千八百。生かしておいても何もできぬ。内府殿を挟み撃ちにすることにこだわるなら、伏見城は五千ほどで囲んでおいて、主力は先へ進むべきだ」
吉継はいたって平静だった。
慌てた方が負けと思っているかのように、どっかり腰を据えている。
先ほどは苛立っている様子だったのだが、三成と同様に昂ぶりを見せても良いことはないと努めて冷静さを保とうとしているのだろう。
「いや。伏見城は何としても落とす。我々に五千の兵を割く余力はない。それにこれは緒戦だ。しっかり叩いておかねば、士気にかかわる」
「士気か……」
そんなものは一部の兵を除いて初めから高くない。
吉継の言葉の間にはそういう意味が込められているようにイツキは感じた。
「もう良い!」
三成はギリギリと奥歯を噛みしめ、顔を赤らめた。「前線に行ってくる!」
「行ってどうする?」
「気合いを入れてくるのだ。どうも宇喜多様以外の兵にやる気が見られん」
「やめておけ。お前が動くと逆効果だ。金吾などすぐにへそを曲げるぞ」
「いや。その金吾にこそ今のうちに厳しく言わねばならん。あの優柔不断男の退路をしっかり断っておかねばな」
「そこまで言うならわしが行こう。おぬしはどんと座っておれ」
「わしが行く。じっとなどしておられん」
三成は吉継の制止を無視して去っていった。
吉継が空を仰ぎ嘆息を漏らす。
“大将が軽々に動いてどうする”
“殿……”
戦を知らないイツキにはこういう時にかける言葉を知らなかった。
三成と入れ替わるように、またもや伝令が「申し上げます」と駆けこんできた。
「加賀の前田家に不穏な動きあり。大阪城の秀頼公を石田方から救い出すとして越前方面に向けて軍勢を押し出している模様!」
報告を受けた吉継は「何?」と驚いた声を出した。
「して、兵力は?」
「その数、およそ二万五千!」