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母子

 家康討伐のため東進するにあたり、石田方の最初の標的となったのは大坂城の目と鼻の先にある伏見城だった。

 太閤秀吉が築き政務を執ったこの城は今は家康の老臣鳥井元忠が守っている。


 毛利輝元の名で開城勧告を行い、元忠が素直に受け入れればよし。

 受け入れなければ即刻総攻撃を開始する。

 落城の暁には、諸侯それぞれ方面別に東へ向かって進軍する。


 軍議で方針が決定され、吉継はイツキを懐に、急いで屋敷に戻った。

 早速戦支度を整え伏見へ軍勢を押し出すことになる。


“小早川様は一言も喋られませんでしたね”


 イツキは小早川秀秋のことが気になっていた。

 喧々諤々の軍議の間、秀秋一人だけが興味なさそうに手元をじっと見つめていた。

 まるでこの場に座っていることが本意ではないような、手持無沙汰な様子だった。


“金吾はいつもあんな風なのだ。全て他人事のように一歩離れたところにおる。それよりも信州の幸村殿にも文を出さねばな。是が非でも我らが軍に加勢してもらわねば”


 幸村の名前を聞いて、たちまちイツキの胸に一抹の不安がよぎる。


“幸村殿のお兄様は内府様の家臣の娘を嫁にしておられるとか”

“乱世の倣いじゃ”

“はい”


 イツキは俯くしかなかった。


 石田方は吉継と幸村の縁戚の関係を頼りに真田家へ勧誘を行う。

 当然徳川方も幸村の兄信幸に対し手を伸ばすことになる。

 結果として真田家が真っ二つに分かれ兄弟が相争うことになるかもしれない。

 そんな辛い未来を押し付けることが分かっていても、自軍の多数派工作のためには遠慮している暇はない。

 戦いは既に始まっていた。


 吉継は五助と戦支度に余念がなかった。

 イツキは取りあえずすることがなく自室に戻った。

 その自室の障子の向こうに鳥が降りたつ影が映る。

 鳥はすぐに人の形となった。

 するすると障子が開く。


「アゲハ!」


 入ってきたのはアゲハだった。

 焦燥した顔つきで駆け込み、イツキの膝にすがりつく。


「どういうことでございますか?何が起きているのですか?」


 母上、と叫ぶアゲハの目には涙が浮かんでいた。


 イツキはアゲハが変化したのを久しぶりに見た。

 アゲハは幼いころから獣の姿になることに抵抗があるようだった。

 蛇の形で生まれ落ち、母や姉が次々に獣に姿を変え野を走り空を飛ぶ姿を憧れをもって見つめたイツキとは違い、アゲハは人として生まれ、敦賀城でも神畜であることを意識することなく暮らしたからだろうか。

 そのアゲハが変化をして一人でここまでやってきた。

 自分の、幸村の、真田家の将来をそれだけ案じているのだろう。


「落ち着きなさい、アゲハ」

「屋敷の周りを石田様の兵が取り囲み、外出させてくれませぬ。家の女どもは皆震えて暮らしております。父上は石田様の朋友。母上も何が起きているのかよく御存知なのでしょう?教えてください。何がどうなっているのですか。幸村様はどうなるのですか?」


 アゲハがイツキの両腕を痛いぐらい強い力で掴む。

 アゲハも戦っているのだ。

 イツキは腕の痛みにそう感じた。

 既に真田家も戦乱に巻き込まれている。

 この国の諸大名は否応なく徳川方か石田方のどちらにつくか選択を求められる。


「石田様が兵を起こされました。独断専行で政をほしいままにする内府様と戦うためです。そしてあなたの父、大谷刑部少輔吉継様も石田様の参謀として、この戦いの中心にいらっしゃいます」

「何故!何故内輪で戦わなければならないのですか?今は豊臣家の総力を挙げて上杉家を討伐する時ではありませんか?」

「母にも難しいことは分かりません。しかし、もう事は起きているのです」


イツキは腕を掴むアゲハの手に手を重ねた。「父も母も覚悟はできています。あなたもこの戦国の世に大谷家に生まれ真田家に嫁した者として覚悟をなさい」


「母上。まさか……」


 アゲハは瞠目して表情を強張らせた。

 イツキの覚悟がその手を通じてアゲハに伝わったようだ。


 イツキとしても大坂を出て伏見に進軍する前にはアゲハの顔を見に行くつもりだった。

 アゲハが今日訪れたことで、それが少し早まったようだった。

 吉継の死は近い。

 吉継が死ぬ以上、自分も生きてはいられない。

 そのことを言葉にして伝えるかどうかは迷っていたが、聡明なアゲハは何も言わなくても気付いたようだ。


「アゲハ。あなたは幸村殿を信じ、全てを任せなさい。幸村殿の進む道に従いなさい。あの方は明晰で勇猛果敢。私やあなたの父上よりも、あなたのことを理解し慈しんでくれるでしょう」

「真田が大谷と戦うことになっても、ですか?」


 アゲハが絞り出すように訊ねた。


 イツキは気丈に頷いた。

そうだ。

この乱世では親子であっても、母と娘であっても戦わねばならないときがある。


「アゲハ。あなたにとっては幸村殿が全てなのです。私にとって殿が全てであるように」


 そう。

神畜は全身全霊で定めの人を支えるのだ。

 その縁は親子のそれを上回る。


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