金吾
「申し上げます」
五助の声が鋭く書院に響く。
吉継の口述を書にしたためていたイツキの手が止まり、吉継も五助の方に顔を向ける。
しかし、吉継の目はもうほとんど五助の姿を捉えていない。
おぼろげにそこに人影を認める程度だと吉継は言う。
「五助。いかがした?」
「石田三成様から密使が届き、殿宛ての文を受け取りましてございまする」
「ほう。読み上げよ」
吉継は五助と向き合って座り直し、イツキもその傍に控えた。
五助が読み上げた文は「毛利輝元が去る七月十六日に大坂城へ入城した」ことを伝えるものだった。
安国寺恵瓊の説得工作が実を結び、五大老の毛利が石田方の大将として豊臣秀頼のいる大坂城の守護に入ったということである。
また、文には毛利と同じく五大老の宇喜多秀家も今回の義挙に賛同し打倒家康のため立ち上がることを約束してくれたことも書かれていた。
「まずは重畳」
珍しく吉継が機嫌良さそうに眉尻を下げた。
石田三成に与して徳川家康に対し兵を挙げると決めてから吉継の体調は不思議と良好だった。
全身から生気がみなぎっているようで、その表情も豊かになった。
死に場所を見定めたことで、迷いや憂いがなくなり快活さが戻ってきたということであれば、皮肉としか言いようがないのだが。
「これで一気に我らが優勢になりましたな」
五助も顔をほころばせる。
「いや、そこまでは言えぬ。せいぜい内府様に笑い飛ばされぬ程度に形が整ったというところじゃ。形勢はまだまだ我らが不利と見ねばならぬ」
吉継の言葉はイツキには少し意外だった。
イツキは吉継とともに敦賀に舞い戻るや、越前と加賀の諸侯への勧誘工作の文の推敲や作成を手伝った。
その返事が昨日、今日と続々と届いているのだが、すでに小松城の丹羽、大聖寺城の山口、東郷城の丹羽、丸岡城の青山、北庄城の青木、安居城の戸田、今庄城の赤座と多くの諸大名が吉継の味方を約束してくれていた。
つまり戦わずして加賀の西半分と越前の大半を幕下に組み込んだことになる。
吉継も手ごたえを感じているものと思っていた。
しかし、吉継はそれでも家康にはまだまだ及ばないと見ている。
イツキは家康に対する恐怖が胸を圧迫してくるのを感じた。
どれだけの武将を味方につければ家康と五分に渡り合えるのか。
三成からの文には吉継と大坂で会見し同志たちと今後の戦略を練りたいと書いてあった。
吉継は三成の呼びかけに応じて、すぐさま敦賀を発った。
大坂城へ着くや吉継は小部屋に通された。
そこには石田三成の他にイツキが顔を知らない武将が五人座っていた。
その中に一人異質な武将がいる。
若いと言うよりは幼い。
他の武将がいかにも武人らしい強面であるのに対し、その人物だけは瓜実顔で、弓よりも毬の方が似合いそうな公家っぽいひ弱さが漂っている。
さらにその目はどこか卑屈さ、神経質さが浮かんでいるように感じさせる。
“上座に座っているのが、五大老の宇喜多秀家。宇喜多の右手、佐吉の一つ上座が小早川秀秋で、金吾中納言と呼ばれている。佐吉と金吾の向い側が増田、前田、長束の三奉行だ”
吉継は三成の隣に腰を下ろし、心の中でイツキに武将の名を紹介した。
小早川秀秋。
金吾中納言。
イツキの心にその名前が妙に強い印象を残した。
思わず心の中で吉継に問いかける。
“小早川様は御大身なのですか?”
“金吾は太閤殿下の御正室高台院様の甥にあたる。太閤殿下の養子でもあってな、あの若さで中納言。筑前に三十万石を領しておるわ。何か気になるか?”
“いえ。少し他の方とは違う感じがしまして”
“あいつは血筋に頼ってばかりで功を上げようとはせん。そういうところが目について佐吉なんかは特に嫌っておるな。しかし、あいつの一声で一万五千余の兵が動く。そういう意味では決して侮れんし、ないがしろにはできんのだ”
「良い知らせと悪い知らせがある」
吉継が座に着くや三成が開口一番そう言った。
全員が吉継の顔に視線を浴びせる。
「では、悪い方から聞こうか」
「悪い方か。悪い方はな……」
三成は言いにくそうに周囲の顔を見渡す。
三成に見られた武将たちは皆、三成から視線を逸らし誰も口を開かない。
「細川ガラシャ殿のことか?」
「平馬。知っておったか」
三成が驚いた顔を見せる。
「嫌でも耳に入ってくるわ。あれこそ武人の妻の鑑よと巷の評判じゃ」
丹後の領主、細川忠興は家康に従って会津討伐に向かっている。
その妻ガラシャは大坂の屋敷にあって石田方の人質になることを拒み、屋敷に火を放ち、家臣の手によって壮絶な最期を遂げた。
「他にも加藤清正や黒田如水の室を人質に取ることができなかった」
三成は下唇を噛んで悔しさを滲ませた。
大阪近辺に残っている大名の妻子を屋敷に押し留め、人質とし、石田方に帰順するよう勧誘するという目論見は崩れた。
それどころかガラシャの件が悪評となり、石田方に反発する武将が増えたとも聞こえてくる。
元々評判の悪い石田三成には痛い誤算だった。
「残念だが、悔やんでも仕方ない。良い方の話を聞こう」
吉継は場の雰囲気を明るくするかのように朗らかに言った。
「刑部。陣立ては着々と整ってきておるぞ」
雄々しく言い放ったのは上座に座る若々しい偉丈夫だった。
「宇喜多様。いかほど集まりましたでしょうか?」
「わしの一万八千を含めてざっと九万、いや、もう十万になろうとしておる」
秀家の言葉に三成が自信に溢れた声で続く。
「毛利様、宇喜多様のお力添えを得て、三奉行連署で各地に檄文を出したところ、こちらの小早川殿を始め小西行長、島津義弘、鍋島勝茂、長宗我部盛親、脇坂安治など諸大名が続々と我らに呼応して大坂城に入ってきている。平馬。約束した通り、十万の兵を集めて見せたぞ」
「やるな。さすがだ、と言っておこう」
「なんだ、平馬。あまり気が乗っていないな。十万では不満か?」
「いや、そうではない。十万は大したものだ。しかし、兵の数だけでは戦は勝てん。肝心の秀頼君の御出馬はどうなっているのだ?」
「それか。それは……まだ良い返事をいただいておらぬ」
「やはり淀の方様が首を縦に振ってくれぬか。しかし、ここは何とか説き伏せねばならんぞ、佐吉」
淀の方と聞いて、三成は渋面を見せ小蝿を払うように言い放った。
「とにかく、そちらの方はもう少し粘ってみるわい」