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左近

 大谷軍は美濃の垂井に宿陣していた。

 夜の帳が降りて間もなく、間借りした禅寺を中心に野営をしている大谷軍に使者が訪れた。

 目通りを願っている者がいると五助が伝えると吉継は扇子を膝に強く叩きつけた。


「やはり、来たのか」


 吉継の声には待っていたものが現れた喜びはなく、来ないでくれればという淡い期待を裏切られた失望感が滲み出ているようだった。


 隣に座っていたイツキはすぐさま鼠に変化して吉継の懐に入り、使者が現れるのを待った。


“殿がずっと気にしておられた方なのですか?”

“おそらくそうであろう”


 やがて、陣幕をくぐって現れ吉継の前で膝をついた使者は平塚為広の家老某と名乗った。


「平塚?因幡守殿か?おお。そう言えば、ここ垂井は平塚殿の所領であったな」


 吉継の四肢からこわばりが解けていくのがイツキに伝わる。


「いかにも。我が主は大谷様をこのような荒寺に寝泊まりさせるわけにはいかぬと申しております。是非とも城に足を運んでいただき、我が主のもてなしを受けていただければと」

「わしの方こそ、因幡守殿の所領に陣を張っておきながら、挨拶にも伺わず御無礼致した。ご厚意痛みいる。早速、参るとしよう」


 平塚の家老は吉継が乗るための籠を用意していた。

 吉継はイツキを懐に忍ばせたまま籠に乗り込み、五助と少しの供回りを連れて垂井城に向かった。


 籠の中でイツキは吉継に問いかける。


“平塚様とはどなたでございますか?待ち人ではないのですね”

“因幡守殿は古くからの戦友じゃ。亡き太閤殿下がまだ信長様にお仕えだったころからの知り合いでの。此度は少し早とちりであったな”

“殿の読みが外れるとは珍しいことでございますね”

“わしも焼きが回ったかな”

“これは、殿のお言葉とは思えません。そんな弱気でどうなさいまするか”

“イツキ……。さすがにわしももう無理はできぬ。明日、飛騨まで行って陣を張り、皆の前で家督を吉勝に譲り、隠居することを話そうと思う”

“殿……”

“今後はイツキと敦賀でゆるりと過ごしたい”


 吉継の言葉がイツキの胸に沁みた。


“そういたしましょう。越前には芦原、三国、玉川などの良い湯治場があるようです。以前からご一緒したいと思っておりました”


 漸く、吉継と戦乱の憂いなく時を共にすることができる。

 イツキは万感胸に迫る思いだった。


 籠は無事城に入り、吉継は為広のいる一室に通された。


「おお。因幡守殿。お久しゅう」

「刑部殿。体の加減はいかがなのか?」

「良くはない。しかし、何とかかんとか生きながらえている。そういうところでござるな」

「その体で此度の出陣。さすがは刑部殿。武家の鑑じゃな」

「そのような大層なものではござらん。いざ出てみるとやはり体がきつくてのう。家督を譲って領国へ引っ込もうかと考えておったところじゃ」

「そうか……」


 為広の声が沈んだ。


「ん?どうかしたか?」


 その時、室の襖が開き、何者かが膝行してくるのが聞こえた。

 何者かとイツキは吉継の懐の中で身構える。


「刑部殿。実は、こちらに呼び立てたのはわけがあってな。その、なんだ。この者が是非とも刑部殿に目通り願いたいと申しておるのじゃ」


 為広が吉継を呼んだのは衆目の前ではない場で引き合わせたい人物がいたためだったようだ。

 半ば騙すような真似をしたことに罪の意識を感じているのか為広の言葉は歯切れが悪い。


「御無沙汰いたしております」


 吉継よりも年嵩の男のしゃがれた声がイツキの耳に届いた。


「左近殿。手の込んだことをなさるものよ」


 吉継の声は落ち着いていた。

 その落ち着きが逆にイツキには怖かった。

 吉継が恐れていたことがとうとう現実のものとなってしまったようだ。


 島左近。

 その名はイツキも聞いたことがあった。

 石田三成が禄の半分を与えて召し抱えたという知略も武勇も兼ね備えた歴戦の猛将である。

 その左近が為広の名で吉継を呼び寄せ姿を現した。

 つまりは左近の主君三成が吉継に用があるということだ。


「刑部様には余計な説明は無用と心得ておりまする。まことに勝手ながら今から佐和山へお越しください。我が主がお待ち申し上げておりまする」

「左近殿」

「はい」

「わしは病で目がろくに見えぬようになってしまった。しかし、左近殿。そなたは病に冒されたこのわしよりも世の中の物事が見えておらぬのではないか?」

「家臣というものは仕える主以外は見えぬものにございまする」

「盲目の忠義ということか。それでは道を踏み外すぞ。主を支える家臣団が物事をしっかり見極めねば家もろとも傾いてしまう」

「その時期は過ぎました。今、石田家は主を頂点に一つの方向だけを向いております。家臣一同道なき道を進む覚悟」


 左近の圧倒的な気合いに圧されイツキは身震いした。

 一歩も引く気はなく、逆に吉継をも飲み込もうとする気構えがその声に迸っている。


「あい分かった」


 吉継は扇子で膝を叩き、五助を呼んだ。


“イツキ。懐の生地を少し食い破って前が見えるようにできるか?”


 イツキは鋭い歯を利用し、微かにだが吉継の懐から前面に視界を確保した。


“少しなら見えるようになりました”

“よし。わしは相手の細かな表情までは見えぬ。よってイツキにはその目でしっかり見ておいてもらいたい。そして感じたことを率直にわしに伝えてほしい”

“承知しました”


 吉継は五助の介助を得て立ち上がった。


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