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無駄

“おらぬか?”

“それらしきお方は見当たりません”


 大谷軍は琵琶湖に沿って北上していた。

 病状芳しくない吉継が出陣するということで、特に家康から許しを得てのゆっくりとした行軍だった。

 病床にありながら馳せ参じた吉継の心意気を家康は激賞し、佩いていた太刀を吉継に贈るほどであった。


 しかし、吉継はもらった太刀を屋敷に捨て置き、自軍が他の隊からどんどん後れをとっていることを全く気にする素振りも見せず、鷹となって上空を飛ぶイツキに行軍の周囲に不審な人物はいないか常に探索させていた。


 不審な人物とはどのような人を指すのか、吉継は教えてくれない。

 ただ、いつになくそわそわした様子で、しきりにイツキに周囲の様子をうかがわせる。

 イツキが異常ないと返事をすると、腹から息を漏らし、またしばらくすると、周囲の様子を訊ねてくる。

 吉継は一体何を待っているのか、何を恐れているのか。

 イツキは吉継の頭上を旋回しながら思案を巡らせた。


 石田三成の居城佐和山城の向こうには琵琶湖が雄大に広がっている。

 きらきらと陽光を弾き返す湖面は穏やかだ。

 視線を北にやると微かに竹生島が見えた。

 久しぶりに帰って、タキと話をしたいと思うが、今は片時も吉継の傍を離れることはできない。

 後ろ髪引かれる思いはするが、生まれ育った竹生島を遠くに見るだけでもイツキは体に力が漲ってくるようだった。


“イツキ。どうだ?”

“はい。変わりありません”

“そうか”


 吉継は少し苛々した様子で手にした軍配で小刻みに自らの膝を叩く。


「五助!」


 吉継の目の前を行進している五助が馬上のまま吉継を振り返る。


「何か?」

「今、いずこのあたりか?」

「佐和山を過ぎたところでございます。これから進路を東に取り、美濃へ入ります」

「わかった」


 五助は小首を傾げて視線を前に戻した。

 五助も吉継から何度も同じことを訊かれている。

 今日の殿はどうなされたのだろうか。

 そう思っているに違いない。


 殿は何を考えておられるのか。

 イツキの胸に不安が膨らんでいく。


 このまま近江を出て美濃へ入り東山道を進むと次は信濃。

 自軍の先頭は馬首を東に向け、いよいよ琵琶湖を背にした。

 これからは一歩一歩琵琶湖から離れていくことになる。

 そう考えるだけで、喉のあたりに渇きを覚えるようだった。


“殿”

“どうした?誰か現れたか?”


 吉継がサッと頭上のイツキを見上げる。

 頭巾のため、その表情は全く分からない。


“いえ。何事もございません”

“そうか。……で、いかがした?”

“我が軍は間もなく美濃に入ります”

“知っておる”

“美濃を抜ければ飛騨、上野。会津はそのはるか向こう”

“そうだな”

“おそらく私がお供できるのは美濃の出口あたりまでかと。信濃の中までもつかどうか自信がありません”


 小田原征伐での道程で三河から体調が崩れたことを考えると美濃と信濃の境あたりでイツキの体は変調をきたすだろう。

 それ以上先には吉継の共をしてついていくことはできない。

 そして、イツキが近くにいなければ吉継の体調も悪化することは間違いない。

 そうなれば吉継はそのまま会津まで向かっても上杉軍相手に戦を指揮することは相当難しい。

 まさに死出の旅だ。

 それでも吉継が軍を進めるというのならイツキもどこまでもついていくつもりだった。

 神畜として、それが務めであり、吉継のためなら死ぬ覚悟は以前からできている。

 武家の本懐が戦場に没することにあるのと同様に、イツキも定めの人である吉継の傍で最期を迎えられれば本望だと思っていた。


 しかし、無理をして会津で死ぬことが吉継にとって良いことなのかという思いが頭から離れない。

 上杉と戦うことは吉継も気が進まないはず。

 それなのにその上杉との戦いで命を落とすなど、死に場所としてはふさわしくないのではないか。

 何故、会津まで行くのか。

 何故、上杉と戦って死にたいのか。

 今一度、イツキは吉継の本心を訊ねておきたかった。

 そして、その答えが納得できないものであれば、何とか吉継を信濃に入るまでに引き返らせたいと思っていた。


“分かっておる。そうなれば差配は吉勝に任せ、わしも伏見へ引き返す”

“何と!”


 イツキは驚いた。

 吉継はもともと会津まで行く気はなかったということなのか。

 それなのにわざわざ軍を起こし体調が優れないなか輿に揺られて信濃まで無駄骨を折りに行く。

 その意味は何なのか。

 その姿勢を見せることが忠義というものなのだろうか。


“無駄なことだと思っておろう”


 吉継はイツキの考えを見透かしていた。


“まことに無駄としか思えません”


 イツキは半ば怒っていた。

 もっと体を労わってほしい。

 屋敷から出ることすらままならない体をどうして自分で痛めるような真似をするのか。


“これは無駄であって、無駄ではないのだ”

“どういうことでございますか?”

“わしが何事もなく信濃まで行って伏見に戻る。それで天下の安寧が続くのだ”


 吉継が信濃まで行って伏見に帰れば天下安寧。

 イツキには全く意味が分からなかった。

 しかし、何を訊いてもそれ以上吉継は答えてはくれなかった。


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