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役目

 幸村とアゲハが屋敷に顔を見せた。

 幸村が信州の真田家に一旦戻り上杉征伐に出陣することとなり、その報告に来たのだ。

 真田家に嫁して初めての戦とあってアゲハはひどく不安げだ。

 その気持ちはイツキにも痛いほど分かる。


「此度の戦は早く終わるでしょう。天下の軍が相手ではさすがの上杉家もすぐに降参するでしょう。幸村殿もすぐに帰っていらっしゃいますよ」


 努めて明るくアゲハを励ますが、アゲハはイツキの言葉にも顔を曇らせたままだ。


「武人の妻であろう。そなたが晴れやかに見送ってやらねば幸村殿も槍働きに専念できぬ。しっかりいたせ」


 吉継はイツキとは違って厳しくアゲハを叱った。


 アゲハは幸村に「行き届かぬ妻で、申し訳ございません」と頭を下げた。


「何の、何の。心配してもらえるのは、嬉しいもの。拙者は果報者じゃ」


 幸村は終始にこやかだった。

 さすがは家康に苦杯を舐めさせた経歴を持つ男。

 大戦を前にしてのその落ち着きぶりは器の大きさを如実に示している。


“イツキ。我らはこの上ない男を婿として迎えたようじゃ”


 吉継の言葉には男として幸村に惚れたような響きがあった。


「義父上は此度の戦、どうなされるおつもりですか?」


 幸村の問いかけに吉継は即答した。


「わしも出張る」


 驚いたのはアゲハだった。


「何を仰せです。そのお体では会津までの長旅は到底無理にございます。ご自愛くださいませ」


 アゲハの言い分はもっともだった。

 伏見の屋敷内でさえ介助なしではままならないのに、遠い会津まで遠征をして、そこで軍勢の指揮を執るなど死にに行くようなものだ。

 イツキはイツキで散々止めたのだが、吉継は「まあまあ、そう怒るな」とはぐらかすばかりで取り合ってくれない。

 娘のアゲハの言葉なら少しは効くかもしれないとイツキは期待して吉継の反応を待った。


「アゲハ。武士の本懐は戦場で散ることじゃ。陣中に没するは本望、本望」


 吉継はアゲハの説得を軽くいなすように、「のう。幸村殿」と幸村に同意を求める。


 幸村はアゲハに厳しい視線を向けられ、「いや、それは……まあ」とはっきりしない。


「母上も母上です。これでよろしいのですか?」


 アゲハのきつい口調はイツキにも向けられた。

 しかし、これまで何度翻意を促しても吉継は聞く耳を持たない。

 娘が言っても駄目なら、イツキとしてももうお手上げで、ため息をついて首を左右に振るだけだった。


“殿。何度も申し上げますが、私は琵琶湖から遠く離れることはできず、会津まではとてもお供できませぬ。私がいなければ殿のお体はたちまち不調となりましょう。それでも御出陣なされるのですか?”


 イツキは琵琶湖からある程度離れると途端に体調が崩れる。

 喉が渇き、体が乾き、眩暈がして動けなくなる。

 北条征伐のときは駿府で引き返したが、三河を過ぎたあたりから体調がおかしくなっていた。

 今回も同じことが考えられる。

 それはもちろん吉継も知っている。


“くどいぞ、イツキ。わしは出陣する。おぬしはついてこれるところまでついてきてくれれば、それで良い”


 にべもない返答でイツキとしては、これ以上何も言えなかった。


「では、義父上。御武運をお祈りいたしております」


 幸村は吉継とイツキに食って掛かろうとするアゲハを諌め強引に連れて屋敷を出て行った。


 吉継は戦のため主だった家臣や兵士を敦賀から集め、同時に小石の方を伏見に呼び寄せた。

 上杉家征伐のため軍備を整える諸侯が水面下で上杉家と結び天下転覆を企図することを防ぐため、人質を京、大坂へ差し出せとの豊臣秀頼の名を使った家康の命令だった。

 人質は子か妻でなくてはならなかった。

 イツキも妻だが、側室ではその用を為さない。


「このような仕儀となったこと、わしの力不足じゃ。許せ」


 伏見の大谷家屋敷に到着した小石の方に吉継は頭を下げた。


 小石の方は上杉家と豊臣家との橋渡しのために吉継の正室に納まった経緯がある。

 しかし、今、内実は家康の命ではあるにせよ形として豊臣家は上杉家を征討するため軍を起こした。

 しかも、大谷家も会津へ攻め入り上杉軍と干戈を交える軍勢の一翼を担わされている。


「殿のせいではございませぬ。ひとえに上杉の傲慢さが招いたこと。自業自得にございます」


 小石の方は毅然と言い放った。

 兄を改易し、父親を自害させた上杉。

 小石の方にとって上杉家はもはや肉親の仇ではあっても、大恩ある主家ではなくなっているのだろう。


「須田家はそなたの実の弟の長義殿が跡を継ぎ立派に上杉家のために働いておられるとのこと。本意ではないが、その長義殿とも刃を交えることになろう」

「私のことはお構いなきようお願いいたします。殿は殿の御役目を果たされませ。私は須田家の人間ではございません。大谷吉継の妻にございます。長義も殿に討たれれば本望にございましょう」


 気丈に顔色一つ変えず三つ指をついて見送る小石の方を背に吉継は戦装束に身を固め三千余の兵を率いて伏見を発った。


 馬に乗れない吉継は竹の輿に乗っての行軍となった。

 しかも思うように動かず疼痛がひどい左腕を首から垂らした白布に吊っている。

 頭巾から垣間見える顔色も悪い。

 こんな状態でも上杉征伐軍に加わらなくてはならないのか。

 イツキは吉継の頭上を鷹の姿で旋回しながら吉継の悲愴な姿に胸を痛めていた。


 大谷軍は琵琶湖を西に見ながら北上し、東山道を下って会津を目指すことになっている。

 病をおしての参陣で遅々とした進軍となることから他の軍勢に迷惑を掛けないよう最後尾での出発である。


 京を出て近江に入った頃、吉継は心の声でイツキに話し掛けてきた。


“今回、わしは内府様から大坂での留守居を命じられた。病篤い身で無理をするなということだ”


 吉継の言葉はイツキに衝撃を与えた。

 てっきり家康に強引に召し出され、断り切れないゆえの出陣であるとばかり思っていて、イツキは家康の思いやりのなさに憤りを感じていたのだった。


“では、何故?このような御無理をされれば病状はますます悪化するばかり。今からでも遅くはありません。徳川様に伝令を出して、伏見に戻りましょう。きっと吉勝様が立派に殿の名代を務められます”


 イツキは懇願の体で吉継に屋敷に戻るよう迫った。


“いや。わしが行かねばならんのだ。わしにしかできぬ役目がある”

“そのお体でもですか?”

“そうだ。わしにしかできぬし、この体でも、頭さえはっきりしていればこなせる”


 吉継はイツキのいる上空を見上げた。


“それは一体どのような役目なのですか?”

“それは言えぬ。しかし、役目を果たすのはもう間もなくじゃ。それまではこの命ももつであろう”

“何を弱気な。殿にはもっと生きていただかなくてはなりません。敦賀の領民もそれを願っております”

“敦賀を治めるのは余人にもできよう。しかし、あやつを止めるのはわしにしかできん”

“あやつ?あやつとはどなたでございます?”


 吉継はイツキの問いに扇子の方角で答えた。

 吉継がぴたりと向けた扇子の先には小高い山があった。

 佐和山だ。


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