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 上杉景勝からの返書を吉継は五助に読ませた。

 簡潔で明快な文面だった。


 心配ご無用。

 我らに叛意などない。

 毘沙門天に誓う。

 内府様に疑われるは迷惑千万。


 家康との対決姿勢を崩さないぶっきらぼうな物言いにイツキは心の臓が縮む思いだったが、吉継は対照的に声を上げて笑った。


“何が面白いので?”

“いや、景勝殿らしいと思ってな。分かりやすい御仁じゃ”


 景勝からの返書を吉継の膝もとに差し出しながら、五助が表情を強張らせて口を開いた。


「内府様におかれましては、先日、上杉景勝様、直江兼続様に対し、大坂に上って会津での上杉家の不可解な行動について釈明し、謀反の企てなどないと誓約書を差し出すよう求める使者を送られました」

「そのことは知っておる。そろそろ使者が帰ってくるころであろう」


 吉継は受け取った返書をイツキに預けた。


 イツキは政の場でも同席するよう吉継から命じられていた。

 傍にいないと体調が優れないということだけではなく、逐一周辺の物事の様子を心の声で伝えるイツキは視力のほとんどを失っている吉継には欠くことのできない存在となっていた。

 五助以外の者がいるときは小さな鼠などに姿を変えて梁の上などに身を隠し役目を果たしている。


「本日帰参したようにございます」

「ほう。首尾はどうであったかな」

「景勝様のお返事は、此度の殿へのお返事と同じような内容であったようです」

「そうか。しかし、それでは内府様は納得されまい」

「納得どころか……」


 五助が言い澱む。その表情は陰を帯びていた。


「どうした?」

「直江様からの返書が何とも好戦的で」

「ほう」

「上杉家に逆心はないが、最初から怪しいと決めてかかっている人に弁明しても意味がなく、そのような無駄骨を折る暇はない。力ずくでも言うことを聞かせたいのなら、好きになされよ。お相手仕る、と」


 五助の言葉にイツキは戦慄した。

 これは決闘状ではないか。

 こんなことを言われたら、言われた方が黙ってはいられないだろう。


「それはまことか」


 先ほどまで機嫌の良かった吉継の声も重くなった。「解せぬ。幾ら上杉でも強気にも程がある」


 そこへ誰かが廊下を走ってくる音が聞こえた。

 障子の向こうから「申し上げます」と上ずった声が聞こえた。


 五助が「どうした?」と廊下に控えている家臣に返事をする。


「内府様より使者が参られました」

「用件は何じゃ?」

「急ぎ登城せよとのこと。火急の用向きとのことです」


 五助はハッと吉継を振り返った。

 火急の用向きとは上杉家に対する処置に違いない。

 戦支度を命じられることも考えられる。


「どうなさいますか。吉勝様にお命じなさいますか?」


 吉継の病気のことは公知の事実で、最近は後継の吉勝が体の不自由な吉継の代理として登城することが多くなっていた。


「いや。わしが行こう」


 吉継は体をふらつかせながらも立ち上がった。


 イツキが即座に吉継の体を支える。


“殿。御無理は禁物でございます”

“分かっておる。分かっておるが、此度は直に話を聞かねばならぬ”

“城で何か、あるのですか?”


 吉継はイツキを黙って見つめた。

 その白濁した瞳にはぼんやりとしかイツキの姿は映っていまい。

 しかし、吉継の瞳には覇気があった。


“何もないことを願っておるがな”


 吉継の言葉にイツキは戦慄した。

 吉継は何かが起こると感じている。

 天下を、大谷家を揺るがす何かが。


 イツキは吉継の意志が固いことを悟ると小さな鼠になって吉継の懐に潜り込んだ。


 五助が吉継を介助して城へ向かう。


 城の大広間に諸侯が集まっていた。

 誰もが吉継が姿を見せたことに驚きの声を上げる。

 ある人は、元気そうではないか、と軽口を叩き、またある人は、無理をするな、と吉継の身を案じる。

 その一つひとつの言葉のやり取りが温かく感じられた。

 伝染すると疑われる癩病に苦しむ吉継の登城を迷惑がる声の武将は一人もいない。

 吉継が同輩に信頼されていることが感じられて、懐で聞いているイツキは吉継の人柄に惚れ直す思いだった。


 急に周囲が居住まいを正したかと思うと場が静まり返り、上座の方から足音が聞こえてきた。

 家康が現れたのだろう。


「おお。刑部殿ではないか。お体は大事ないのか?」


 家康までもが何をおいても吉継の身を案じているようだった。


「はっ。ご心配おかけして申し訳ございません。体調は大事ございませぬ」


 吉継は頭を低くして、腹から広間中に響き渡る声を発した。

 その声に驚いたのは一番近くにいるイツキだった。

 このような張りのある声を聞いたのはいつ以来だろうか。


“殿。御無理をなさいませぬよう”

“これぐらいでびっくりするな。今、この場では弱みを見せるわけにはいかん。大谷吉継ここにありと知らしめておかねば”


 弱みを見せることがどうしていけないのかイツキには理解できなかったが、それを訊こうとする前に家康のしゃがれた声が広間に朗々と響き渡った。


 イツキには家康の言うことがよく分からなかったが、要するに豊臣家に対して弓を引く上杉家を討伐するため軍を起こすということのようだった。


 城からの帰りの籠の中で吉継が独り言を言った。


「全ては内府様の思い通りに運んでいる」


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