計略
海風に吹かれて過ごす吉継の敦賀での安穏とした日々は長くは続かなかった。
徳川家康暗殺計画が明るみになったのだ。
首謀者は敦賀と目と鼻の先の加賀金沢城を本拠地とする前田利長。
浅野長政や大野治長、土方雄久らと一計を案じ、登城途中の家康を弑し謀反を起こそうとしていると密告する者があったという。
本当だろうか。
疑念を抱きながら吉継はイツキを連れて伏見に向かった。
しかし、吉継が伏見に到着したときには家康は豊臣秀頼を警護するという名目で多数の兵を率いて大坂城に入城し、浅野長政らに蟄居などの処分を済ませてしまっていた。
さらに前田利長はまだ謀反の企みを捨てていないとして、大坂城に諸侯を集め、加賀前田家討伐軍を編成している。
これに驚いた利長は直ちに家老を大坂に派遣し、二心のないことを家康に弁明させた。
しかし、家康はそれだけでは満足せず、利長に母親の芳春院を人質として差し出せと要求。
討伐軍の解散は未だ命じていない。
徳川家には及ばないとは言え、加賀前田家は八十一万石の大大名。
身に覚えのない嫌疑を掛けられたうえ、謝罪をしたのに母親まで人質に出せと無理難題を押し付けられては、さすがの利長も五大老利家の息子として意地を見せるのではないかと京、大坂に緊張が走った。
「前田家はどう動くでしょうか?」
伏見の大谷家屋敷に顔を出した幸村が吉継に問う。
幸村は大谷家屋敷によく顔を見せる。
アゲハを親に会わせるためもあるだろうが、吉継と天下の情勢について話をすることを楽しんでいる様子が見えた。
癩に冒された吉継に近づくことを忌避したい気持ちが垣間見える家臣もいる中で、自ら大谷家に足を運び吉継と面と向かって話をしたがる幸村の姿勢をイツキは嬉しく思っていた。
「秀頼君を手にして大坂城に君臨する内府様に立ち向かうことはできまい。すぐにでも母親を差し出すだろう」
吉継の読み通り、間もなく利長は芳春院を大坂へ送った。
これを受け戦準備が解かれ、大阪城周辺にほっとした空気が流れた。
しかし、それも長くは続かなかった。
今度は会津に火種が見つかったのだ。
越後から会津へ転封となった上杉家が徳川と一戦交えようと会津領内の防備を固めているらしい、との噂を幸村が吉継にもたらした。
「会津領に近い出羽の戸沢政盛、上杉家の後に越後を治める堀秀治らが、上杉景勝に謀反の疑いありと内府様に注進したようです」
「馬鹿な」
吉継は吐き捨てた。
小田原征伐以後吉継は景勝と懇意にしている。
正室の小石の方は上杉家の重臣だった須田満親の娘だ。
大谷家と上杉家は縁戚同様の付き合いをしている。
「あの実直な景勝殿に叛意などあろうはずがない」
「ところが、上杉家の藤田信吉という武将が会津を出奔し江戸城に逃げ込んだよし。その藤田も上杉様が内府様と戦う準備を固めていると報告しているとのこと」
「ふむぅ」
吉継はしばらく黙り込んだ。
「前田家、上杉家と天下に名を轟かせる大名家に次々と謀反の疑いが掛けられています。おかしいとは思われませんか?」
幸村は挑むような目で吉継を見つめる。
「どういうことかな?」
「つまり、これらは内府様が仕組んだ計略ではないかと考えているのです」
「と言うと?」
「この藤田殿は内府様に使嗾させられ出奔したとも聞きます。私には内府様があらぬ嫌疑をでっちあげ諸侯に喧嘩を売っておられるように見えます。己に靡けばよし。靡かねば力ずくで靡かせる。内府様は大坂城にいらっしゃいます。秀頼君の名を使い容易に征討軍を起こすことができます。そうやって少しずつ徳川家に対抗できる大名の力を削いでおられるのでは。そして、もう自分に対抗できる大名が……」
「婿殿」
吉継が幸村の言葉を制する。
「はい」
吉継は声を潜め前傾して顔を幸村に近づけた。
「大谷家屋敷の外でそのようなことは口にしてはならぬぞ。そなたの兄上は内府様の御養女を娶っておられる。真田家の中でもご用心めされ」
「承知しております」
「ならばよし。して、わしの考えも婿殿と大方同じじゃ。しかし、今回のこと、内府様にはもっと深い考えがあるように思う」
「それはいかような?」
幸村は爛々と目を輝かせて義父の顔を見る。
しかし、吉継はスッと前傾していた姿勢をもとに戻した。
「それはもうちっと御自分で考えてみなされ。取りあえず、わしは景勝殿に文を書くとしよう。すぐに大坂にお出でになり内府様に弁明なさるようにとな。婿殿の指摘通り秀頼君を掌中にしている内府様に上杉家だけで抗うのは破滅の道じゃ」