落城
一階の入り口の前には惟安が槍を構えて立っていた。
その横に狼の姿でサヨリも立つ。
惟安を見上げると、惟安は一瞬目の力を抜き、再び閂のかかった扉に視線を戻す。
外から何人もの雄叫びと足音が近づいてきた。
そして扉に大槌のようなものが激しく打ち付けられる音が響いた。
惟安が槍を持つ手に力を込める。
サヨリも歯を食いしばり身を低くして待ち構えた。
今頃、久政は久右衛門と最期の言葉を交わしているだろう。
二人は長い付き合いだ。
死に向き合った今、この世で語っておきたいことも少なくないはず。
何人も久政の最期の邪魔はさせない。
そして、久政の首は私が島へ持ち帰り供養するのだ。
大槌の音が鳴り響く。
いよいよ閂がへし折れ、外側から扉が蹴り破られた。
雑兵が五人、それぞれ抜身の獲物を引っさげ、なだれ込んできた。
誰もかれも手柄を得んがため敵将の首を掻き切ろうと血に飢えた目をしている。
しかし、欲に眩んだ目にも狼の姿は驚きだったようだ。
反射的にビクッと身体を強張らせる。
その隙を惟安とサヨリは見逃さなかった。
一瞬の間に惟安が先頭の敵兵の首元に槍を突き立て、素早く引き抜くと、その背後の兵の右足を貫いた。
驚いた表情で槍が突き刺さっている己の右足を見下ろす男の首筋にサヨリが飛びかかる。
怒りに身を任せ、首の肉を頸動脈ごと噛みちぎる。
目に男の血しぶきが飛び散ってきたが、構うことなく、さらにすぐ横の背の低い男の脇腹に食らいついた。
バリバリと鎧を噛み砕いた牙はそのまま肌を貫いた。
力任せに首を振ると小男の身体は軽々と振り回される。
ベッと吐き出すと、目を剥いたまま息絶えた男の胴からだらだらと血が流れ、はらわたが露わになった。
一瞬にして三人がやられたのを目の当たりにした四人目の兵士が「ば、化け物」と叫びながら外に逃げ出た。
サヨリは素早く追いすがり、その背中に飛び乗って押し倒した。
倒れた拍子に陣笠が地面を転がっていく。
無防備な後頭部に牙を突き刺すと生ぬるい脳漿が溢れ出て兵士の四肢から力が抜けていった。
振り返ると惟安が刀で大柄な敵兵と鍔迫り合いをしていた。
圧力に押され壁を背に苦戦している。
サヨリはその敵兵の背中に食らいつく。
隙だらけとなった大男の胸元を惟安が袈裟懸けに切り捨てる。
「助かりました。お方さ……」
銃声が何発も轟き、頬を緩めた惟安の表情が固まる。
目をカッと見開き、口から夥しい血を吐いた。
惟安殿!
サヨリは心の中で惟安の名を叫び、大きく吠えた。
惟安の身体がゆっくりと壁に倒れ、ずるずると崩れ落ちていく。
振り返ると、扉のすぐ外で三人の兵士が硝煙のあがる種子島を構えていた。
その背後に槍を手にした五人の足軽風情。
サヨリは対峙した兵士をギリリと睨み付け、怒りに任せて「ウォオオ」と咆哮をあげた。
兵士たちが自分たちの身に何が起きたか分からないような目をして顔をひきつらせ硬直している。
サヨリの怒りを込めた咆哮は標的となった者の身体を麻痺させる。
サヨリは土の上を疾駆した。
敵兵に容赦なく頭からぶつかっていくと、骨が砕ける鈍い音が聞こえる。
サヨリになぎ倒された兵たちは悲鳴もあげられず横倒しになる。
倒れた兵士を踏みつける。
至る所に牙をたて、周囲はあっという間に血の海になった。
サヨリは倒れている男たちの息がないことを確認して、周囲に視線を飛ばした。
“さらばじゃ、サヨリ”
久政の覚悟の声がサヨリの胸に響いた。
“殿!殿!”
しかし、呼びかけても返事はなかった。
その時、虎口の反対側の土壁を雄叫びとともに新手が何人も乗り越えてきた。
サヨリは溢れる涙をそのままに敵兵に照準を絞り、全速力で駆けた。
敵に構える時間を与えず、集団に突入する。
頭突きで骨を砕き、牙で肉を抉り、爪で首を切り落とす。
血しぶきの中心でサヨリは乱舞した。
息絶え倒れてきた兵がサヨリの身体にのしかかってくるのを跳ね除けると、視界にまた土塀を乗り越えてきた新たな敵を認める。
サヨリは懸命に足を動かし、敵兵に迫った。
瞬時に眼前に現れた狼の姿にヒッと恐れを浮かべた兵士の顔に牙を突き立てる。
骨ごと噛み砕き、吐き捨てると、隣の男の右腕に飛びかかる。
苦痛に顔を歪めるのを見ながらサヨリは顎に力を加え噛みつぶす。
逃げ出す三人目の兵士を追いかけ、尻に食らいつく。
サヨリを追い払うように振り回された種子島を避け跳躍すると、足の鋭く硬い爪で男の首を薙ぎ払った。
血が迸り、サヨリの視界を紅く染める。
その眼で小丸を振り返ると、どこから湧き出てきたのか数人の兵士が扉の中に駆けこんでいくのが見えた。
次から次へと。
忌々しい。
サヨリは大きく吠えながら、それを追った。
その時、横から銃声が聞こえた。
サヨリの胴や、左の後脚に激痛が走った。
銃声がした方を見ると虎口のところで四人の兵士がこちらに種子島を構えている。
銃口からは煙がたなびいていた。
サヨリはグルルと呻き、痛みを堪えて地面を蹴った。
小丸に入っていった雑兵に追いすがり、最後尾の兵士の脇腹を噛みちぎる。
さらに跳躍し両の前足を伸ばして爪で別の兵の首を抉る。
「犬ころがぁ!」
背中に鈍い痛みが走った。
種子島で殴られたのだ。
殴りつけてきた男の股の下をくぐり、背後に回って背中に噛みつき太い背骨に牙をたてる。
「な、何なんだ、こいつ」
声を震わせる最後の男を一歩一歩壁際に追いつめる。
すると背後で銃声があがり、先ほど弾を受けた左の後脚に再度激痛が走った。
ぐらっと身体が揺れ、残った足でも支えきれず横転する。
震えあがっていた男が目を血走らせて駆け寄ってきて、倒れたサヨリの腹を蹴りあげた。
サヨリの口から血の混じった胃液が溢れ出た。
男はサヨリの目元に唾を吐き捨てるとサヨリに背を向け、二階への階段に上がろうとする。
行かせぬ。
サヨリは痛めた後足では立てないことを悟り、鷹に変化し羽を懸命に動かして男の肩にまで飛び、頸動脈を狙って嘴を突き刺した。
叫び声をあげて男がサヨリを振り払う。
血しぶきをあげて暴れる男の拳がサヨリの首筋にまともに当たり、サヨリは壁に吹き飛んだ。
その衝撃で意識が遠のきかける。
視界が歪む。
その視界の中にまた別の兵士が現れ、横たわるサヨリの前を駆けていく。
きりがない。
敵方の兵は倒しても倒しても雲霞のごとく現れてくる。
横たわったサヨリの目に赤々と揺れるものが見える。
炎だ。
小丸の二階が燃えているのだ。
あの中で久政は既に自害しただろう。
燃える小丸を枕に冥土に旅立ったのだ。
“殿……。必ず私も後ほど追いかけます”
心で呼びかけても久政からの言葉は返ってこなかった。