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動揺

 大坂で奥羽平定の報告を済ませた吉継は年の瀬に帰国した。

 そして、大広間に人を集め上座に弟の吉勝と並び腰を下ろして二つの重大な発言をした。


 まず、吉勝を自らの後継とすることを宣言した。

 そして、自分の体が癩に冒されていることを明らかにした。


「業病ではあるが、わしはまだ元気じゃ。医者によれば養生すれば十年も二十年も生きられるらしい。太閤殿下も引き続き傍に仕えよと仰ってくださった。わしはまだ太閤殿下のために一働きも二働きもせねばならぬ。その方らもこれからも大谷家のために尽くしてほしい」


 背筋を伸ばして力強く言い放ったが、その吉継の顔には青白い斑紋と茶褐色の結節が禍々しく浮かんでおり、その体躯は遠征前に比べて明らかに痩せている。

 仕えるべき主が不治の病にかかった。

 しかも伝染病だ。

 家臣の間に腰の引けたうろたえがはびこり空気を重くしている。


 イツキと同様に、今の発言をあらかじめ伝えられていたのだろう。

 小石の方は広間に来てからずっと涙ぐみ、袖で目を押さえている。

 吉継を一番近くで支えるべき正室の悲嘆にくれた表情が大谷家の将来に対する不安を増長する。


 小石の方の隣に座っているイツキは奥歯を噛みしめ腹に力を入れた。

 大広間で大勢の家臣を前に口を開いた経験はないが、この沈痛な雰囲気を打破し、家臣の動揺を抑え、もう一度大谷家のために迷いなく奉公する気持ちにさせるためには力を持った人物が鼓舞する必要がある。

 ここは弁財天の末裔としてその神威を見せるときだ。


 そう思いイツキが口を開きかけたところに、偉丈夫の声が広間に響き渡った。


「うろたえなさるな、御一同!」


 雷のような声の主は五助だった。

 吉継に向かい合う家臣団の二列目の端にいた五助は居住まいを正して万座を圧する力強い言葉を放った。「この広間の内外を問わず、我ら家臣一同すべからく殿に命を預けておるはず。たかが病の一つや二つでその忠誠が揺らぐようなやわな仁は一人もおらぬであろう。癩であろうがなかろうが、殿は殿。我らがすべきことはこれまでと何一つ変わらぬ。全身全霊で殿のために働くこと。それ以外に道があろうや!」


 五助は豪胆に言い放った。

 しかし、見ればその表情は青ざめ、大腿に置いた手がぶるぶると震え肩まで揺れている。


 イツキは唇をわなわなと震わせた。

 ただただ五助の忠誠心が胸に熱く響いた。

 よくぞ、言ってくれた。

 その気持ちが胸に押し寄せる。


 五助はイツキと共に大谷家に入った、言わば新参者。

 古株の重臣が数多いる中で、先頭切って大谷家を支えることを誓い同輩を鼓舞する言葉を吐くのは相当の勇気が必要であったろう。


 イツキは両の手を握り締め、込み上げる涙を必死に堪えた。

 しかし、それは簡単に堰を越え、頬を伝ってその拳に落ちた。

 嗚咽が零れそうで親指を口に押し当てた。

 ありがとう、五助。

 五助がいてくれて良かった。

 五助がいれば大谷家は安泰だ。

 五助への感謝の気持ちがイツキの目に更なる涙を込み上げさせる。


 逆にイツキの隣にいた小石の方が涙を振り払い、気丈に立ち上がった。


「湯浅五助!よくぞ、申した。その方の忠義、痛いほどこの身に染みた。皆の者。今がこの大谷家の底力の見せどころじゃ。ここでその方らの裸の心を見せてみよ。よもや殿への忠誠が見せられぬ者はおらぬであろうな。おればわらわが即刻首を刎ねてくれる」


 家臣団を睥睨し、その眼力で戦国を駆け巡る荒武者を威圧する小石の方の小さいが大きな姿にイツキは再度勇気をもらった気がした。


 家臣一人ひとりの揺れた目に再び忠誠の炎が点り吉継に注がれるのが分かる。


 イツキは大きく息を吐き心を落ち着けて吉継に向き直り、「我ら死ぬまで殿のためにお仕えいたしまする」とひれ伏した。


 イツキに倣って、小石の方と家臣全員が「お仕えいたしまする」と広間を揺する声で忠誠を誓った。


「よう言うた。者ども、よく聞け!」


 上座の吉継の声も家臣団に負けてはいなかった。

 凛としていて、それでいて野太い。

 戦場でも遠くまで響き渡り兵を鼓舞する英傑の声だ。「太閤殿下におかれては、唐入りをご決断なされた。来春は我ら大谷家も肥前に向かう。心して準備を進めよ!」

 


 小石の方の侍女に呼ばれて部屋に行くと、そこで吉継と小石の方が待っていた。


「イツキ。先ほどはよう申してくれた。礼を言う」


 上座にいる吉継がイツキに向かって頭を垂れる。


「もったいないお言葉。私は御方様に勇気をいただきました。御方様のお言葉がなければ、あのような真似はできませんでした」

「そうじゃな。そのことは小石にも先ほど礼を言っておったのじゃ。小石の言葉には力があった。首を刎ねると言われて、わしも胆が冷える思いがしたぞ」


 笑って首のあたりを撫でる吉継に小石の方が冷ややかな視線を送る。


「殿。御病気のことと吉勝様のことは伺っておりましたが、唐入りのことは全く知りませんでした。イツキ殿は聞いておったのか?」


 キッと見つめられ、イツキは慌てて首を横に振った。


「まつりごとのことはその方らには関係あるまい」

「何を仰られます。殿のお体を案じるのは妻の役目。そのお体で戦など無理に決まっています。殿が肥前に行かれることは私は絶対に認めません」


 小石の方はもともと芯の強い性格だが、先ほどの大広間での自分の振る舞いに自信を得たのか、物言いにさらに力強さが増したようだった。


 吉継は首をすぼめ、「くわばら、くわばら」と小石の方とイツキの間を通って逃げるように去っていった。


 残された妻の二人は顔を見合わせて笑い、そして手を取り合って泣いた。

 正室と側室の絆が強まった瞬間だった。


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