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発症

 夜。

 アゲハが眠った後、イツキは誰にも悟られず静かに屋敷を出て鷹に変化し空に飛びあがった。

 月のない暗闇に夜目をこらして羽を動かした。

 目指すは長浜の南、石田三成が居城佐和山城。

 そこでイツキの定めの人、吉継が高熱で床に伏せているという。


 疲れが出ただけであれば良いが。


 イツキは胸騒ぎに心が落ち着かず、吉継のもとへと気が急いた。

 やがて、佐和山の城に辿り着き、その上空を旋回していると、目印の大の字に動く松明を見つけた。

 五助に違いない。


「ご容体はいかがか?」


 五助の近くに飛び降り、周囲に気を配る余裕もなく人に変化して五助に問いかける。


「熱が引きませぬ。イツキ、イツキとうわ言を」


 闇夜に五助の苦渋に満ちた顔が浮かぶ。

 五助は嘘をつかない男だ。

 本当に吉継の容体は芳しくなく、苦しくてイツキを求めているのだろう。


 イツキは先導する五助の後ろについていきながら、心を引き締めた。

 神畜として全身全霊で吉継を支える。

 その気持ち以外にもイツキを懸命にさせることがあった。


 五助が案内した部屋に吉継は横になっていた。

 心許ない蝋燭の灯りでも額や首筋に玉のような汗が浮かび、唇が土色なっているのが分かる。

 そして、親指ほどの青い痣のような斑紋が三か所、右眉の上、左頬、左顎に認められた。

 そのうち左頬には小さな赤い結節ができているようだった。

 眠っている吉継の呼吸音がぜーぜーと苦しそうに響く。


“殿”


 枕元に座ったイツキは胸が詰まり思わず嗚咽が零れそうで、手で口元を強く覆った。


 吉継の呼吸音が止まった。


“イツキか?”

“はい。遅くなりまして、申し訳ございません”

“何を言う。わしこそ、無理をさせてすまない”


 吉継の呼吸が少し楽になったようだ。

 目は開かないが、表情から苦しさが消えている。


“殿。ご安心ください。私が参りましたからには、このような熱などすぐに治してご覧にいれます”


 イツキは脇に置いてある桶の水に手拭いを浸し、吉継の汗を拭った。

 そして掻巻の中に手を差し込み、吉継の腕に触れようとした。


“触れてはならぬ!”


 吉継はイツキの手から逃れるように自分の手を腹の上へ動かした。


“殿?”


 イツキは吉継の言葉が理解できなかった。


“触れてはならぬ”


 カッと開いた吉継の目は濡れていた。


“殿?いかがなされました?”

“イツキ。わしの顔が見えるか?”

“はい”

“青い痣が浮かんでおろう”

“はい”

“……癩なのじゃ。触れればそなたにもうつってしまうかもしれん”


 吉継は無念そうに目を閉じた。

 閉じられた双眸から涙が零れ落ち、枕へ垂れていった。


 癩。

 その怖ろしい病気のことはイツキも聞いたことがあった。

 皮膚という皮膚が崩れ落ち、視力を奪い、最後は死に至らしめる。

 不治の病であり、伝染病と言われていた。


“殿……”


 イツキはもう嗚咽を堪えることができず、声を上げて泣き、吉継の枕元に顔を埋めた。“殿。私を召し上がってください”


“何を言う、イツキ。気を確かに持て”

“殿は癩などではありませぬ。私の牙の毒が業病となって殿のお体を苦しめているのです。蛇の毒を消すには、その蛇の胆を食べるしかないと聞いたことがございます。五助を呼んでまいります。今ここで、私の胆を取り出させますので、薬と思って召し上がりください”


 嗚呼。


 イツキは泣きじゃくった。

 自分の不用意な行動により定めの人が死を覚悟するほどの苦しみに喘いでいる。

 死んで詫びるしかない。

 神畜としても定めの人のために命をもって尽くすのは本来のあるべき姿。

 事ここに至っては吉継の体に取り込んでもらって吉継と真に一心同体となりたい。

 それしか、吉継を、そして自分を救う手立てはないとイツキは考えた。


“早まるな、イツキ。わしはそなたを死なせてまでして生きたいとは思っておらぬ”

“何を仰せです。私の命は殿のためのもの。殿のために死ねるなら本望にございます”

“それを早まっておると言うのじゃ。わしの病はイツキの毒と関係があるかどうかは分からぬ。そうである以上、そなたの胆を食ったところで治るとは限らん。医者の見立ては癩じゃ。イツキは医者ではない。病に関しての知識はさすがの神畜も医者にはかなうまい”

“ですが、殿……”


 イツキには吉継の言葉が、その場限りの慰めにしか聞こえなかった。

 吉継の言うことは分かるが、イツキとしては自分が命を投げ出せば治る可能性がある以上、そこに賭けたいという思いでいっぱいだった。


“それにな、イツキ。癩に罹ったと言っても、養生して暮らせば十年も二十年もまだ生きられるらしい。業病ではあるが、すぐにどうこうというわけではないようだ。わしは、そなたともっと生きたい。そなたがおらぬ世をわしだけが生きても味気ない。だから、これからもわしの傍で生きてほしい。もちろん、癩がうつらぬよう少し離れてな”


 吉継は目を少し開き、微笑んで見せた。


“殿”


 イツキは横になっている吉継の胸元に飛び込み、その首筋にすがりついた。


“イツキ!離れよ!”

“離れませぬ。癩がうつってもかまいませぬ。むしろ、殿と同じ病であれば、罹りたいぐらいでございます。こうしておれば、熱はすぐにひきまする。十年、二十年生きられるおつもりであれば、まだまだお働きになられるのでしょう。であれば、大人しく私の言うことを聞いて、熱を下げてくださいませ”

“イツキ。……良いのか?”


 イツキが吉継の頬に頬をすり寄せて大きく頷くと、吉継は掻巻から熱い腕を出し、イツキの背中に手を回した。


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