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大坂

 戻った五助は珍しく鼻息荒く語った。

 興奮が冷めやらぬ様子だ。


「羽柴様は大坂にて広大な、まことに広大な縄張りの城を築かれるようにございまして、あの威容を見れば、もはや天下は羽柴様のものと疑う者はおりますまい」


 それを聞いた天海は表情一つ変えなかったが、重蔵となみは渋面を作った。

 明智家を滅ぼした秀吉が天下を掌中におさめ、栄華を誇ることが許せないのだろう。


 その気持ちはイツキにも分からないではなかったが、今は秀吉のことなどどうでも良かった。

 定めの人が現れていなければ、重蔵やなみと同調して秀吉に対する悪口の一つや二つは口にしただろうが、腹に子を身ごもった今、気になるのはそんなことではない。


 しかし、五助は大坂城の普請の様子にいたく心を動かされた様子で、なかなか肝心なところに話を移さない。

 イツキは平馬のことよりも先に秀吉の城の話をする五助が憎らしかった。

 イツキは自分から平馬の名前を口にするのは恥ずかしいことと思ったが、ついにはしびれを切らして身を乗り出した。


「五助。して、平馬様には会えたのか?」


 イツキは平馬の名前を口にすると自分の顔が赤らむのが分かった。

 しかし、聞きたいのだから仕方がない。


 イツキの焦れた様子を面白がってわざと平馬のことに触れなかったのかもしれない。

 五助はイツキの心を弄ぶように、もったいぶってゆっくりと口を開く。


「はい。大谷様も大坂にいらっしゃいました」

「そうか。会えたか。して、どんなご様子じゃった?」

「大坂城の普請に大わらわの御様子。人夫、兵糧、材木、岩石などの調達に奔走されておいでで、少々お疲れが見えました」

「体調を崩しておられたか?熱があるのか?」

「熱が出て寝込むということではないようでしたが、この暑さにも閉口していらっしゃいました。ですが……」

「何じゃ?」

「イツキ様の文をお渡しすると、ことのほかお喜びで、急に顔色も良くなられ、声にも張りが出てくるといったご様子。何とも摩訶不思議と言うよりほかにございません」


 イツキは五助の言葉に頬が緩むのを止められない。

 咄嗟に顔を伏せたが、気持ちが浮ついたことを周りに知られてしまったのは明らかだった。

 首から上が逆上せたように熱くなる。


「イツキ様。嬉しそう」


 なみが口元に手を当てイツキをからかうように笑う。

 天海と重蔵も相好を崩してなみの言うことに頷いた。


 天海や重蔵、なみも五助が物見遊山で上方に出向いたわけではないことを知っている。

 イツキのお腹の子が誰の子なのかも。


「後はイツキ様がご自身のお体を御労りくださいませ」


 なみはイツキが赤子を産むのを楽しみにしているようだった。

 自分が子宝に恵まれなかったから、少しでも世話をさせてほしいと毎日のように言ってくる。


「間もなく秋になれば豆や芋ができます。たんと召し上がって精をつけてください」


 重蔵は寺の裏手の雑木林を少し切り拓き、そこで野菜を育て始めていた。


 芽をのばし青々と葉を茂らす野菜の成長はイツキの目に新鮮に映った。

 イツキは毎日のように重蔵の畑に出て、その周囲をゆっくり歩いて回っている。

 夏の暑さが一段落して収穫の時期が近づいてくれば畑仕事を手伝わせてもらおうと思っていた。

 近頃はつわりも治まり、体調も良い。

 お産には体力が必要だ。

 畑に出れば野菜も育ち、身体も鍛えられるから一石二鳥だと爺も言う。


「大谷様からイツキ様に御言付けを」


 五助が改まって座り直し、イツキに正対した。


 イツキも五助の様子に身が引き締まる思いがした。


「何と仰せか?」

「わしのことは何も心配は要らぬから体を労りお産に専念してくれ、と。そして、赤子の名前も島の皆で決めてほしい、と」


 イツキは五助の背後に平馬の姿を見るようで、嬉しさと同時に寂しさが急に胸に迫り、涙が溢れるのを口を引き絞って堪えた。


 その日は夜が更けてもイツキは眠れなかった。


 平馬に会いたいという気持ちだけが募って仕方なかった。


 庫裡から外に出て、満点の星空を見上げる。


 この空は大坂につながっている。

 平馬もこの夜空を見上げているかもしれないと思うと、イツキは心に少し余裕を持つことができた。


 五助の報告によれば、平馬はやはり仕事に没頭しているというわけではなさそうだ。

 自分の体調と折り合いをつけながら、課せられた役目を何とか果たそうと激務に耐えている。

 そういったところだろう。


 イツキとしては、自分がそばにいて支えたいという気持ちが強く、何もできない自分を情けなく思ってしまう。

 自分が近くにいれば平馬の体調も維持できることが経験上分かっているので、なおのこと島から出られないこの身の不自由さに焦りのような気持ちが胸をつく。


 その時庫裡の方から足音が聞こえてきた。


「眠れませぬか?」


 現れたのは五助だった。


「五助も眠れぬのか?」 

「疲れはあるのですが、妙に目が冴えてしまって」


 五助はイツキの横に立ち、一緒に夜空を見上げた。


「平馬様の御役目は厳しすぎて体調に障りが出ているのではないだろうか」

「私もそれを心配しております」

「秀吉に言って御役目を減らしてもらうようにできぬのだろうか」

「それは大谷様の本意ではありますまい。大谷様は体調さえ整えばもっと重責を担えるのに、と歯がゆい思いでいらっしゃるのです。ご自分の口から弱音を吐かれるようなお方ではございません」

「そうか。確かにそうだな」


 イツキは表情を曇らせて黙り込んだ。

 やはり、自分が少しでも早く平馬のところへ馳せ参じるのが一番だ。

 その思いが強くなる。


「イツキ様」

「ん?」

「私は今回の旅で、久方ぶりに大谷様とお話しさせていただきました」

「平馬様は五助のことを覚えておいでだったか?」

「はい。顔を合わせるなり、よう来てくれた、と笑顔で迎えてくださりました」

「以前、平馬様は五助に仕官の話もされておったな。きっと五助のことを高く買っていらっしゃるのだろう」


 五助はイツキを真剣な眼差しで見つめた。


「私は決めました。仕官するなら大谷様に、と。大谷様は情に厚いお方。家臣からも大層慕われておいででした。私もあのような方の下で働きたく存じます」

「そうか。五助が平馬様のために仕えてくれるなら私も心強い。時が来れば、ともに平馬様のところへ参ろうぞ」


 イツキと五助は二人で大坂の方角の空をいつまでも眺めていた。


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