告白
イツキは鷹に変化して屋根の甍から周囲の様子に気を配った。
本堂からは秀吉とその母のなか、妻のおね、そして爺と天海が談笑する声が聞こえてくる。
秀吉は先の賤ヶ岳での柴田勝家との合戦の戦勝報告に来たようだった。
普段からよく笑う秀吉だが、今日の機嫌がいつにもまして良いのは、勝家に勝ったことが余程嬉しいらしい。
勝家は織田家の宿老。
草履取りからなり上がった秀吉を長年蔑み嫌い顎で指示していたことは島で暮らすイツキも知る周知の事実。
その目の上のたんこぶの勝家を自らの手で冥土に送ったのだから、秀吉は雲一つない晴天を仰ぎ見るような清々しい心境なのだろう。
五助だけでなく重蔵となみも宝厳寺の雑事をこなす下男下女として秀吉の供回りの武士に冷たい水や汗を拭う手拭いを配るなど動き回っている。
明智軍を蹂躙した秀吉の家来衆には唾を吐きかけてやりたい心境だろうが、重蔵もなみもそんな様子を露見せないのは、さすが鍛えられた忍者というべきなのか。
その供回りの武士の中にイツキは平馬を見つけた。
車座になって水を飲んでいる。
イツキの心は強く跳ねた。
“平馬様”
じっと平馬を見つめ熱い想いをのせて心の中で呼びかけると、平馬はハッと驚いたように腰を浮かせ辺りを見回した。
“イツキ殿か?やはりこの島におられるのか?”
“やはり?”
平馬はおもむろに立ち上がると周囲の武士に軽く言葉を交わし、一団から離れた。
“この島に来ると、途端に体が軽くなったものだから。イツキ殿がおられるのではないかと思ったのだ”
“この島は神の島でございますれば、平馬様の体の変化はその霊験なのかもしれません”
平馬は寺の門まで歩きながらイツキの言葉に頷いた。
“確かに。この島には初めて来たときから不思議な力を感じておる”
“平馬様。お話がございます。そのまま森までお越しください”
イツキは屋根の上から飛び立ち、森の入り口の高木の枝に止まって待った。
平馬は一人で森に向かってやってきた。
“そのまま森に入っていただき、小道を右へ折れていただきますと、やがて薪を収める小屋が見つかります。そちらでお待ちしております”
イツキは心の中でそう告げると、一足先に小屋に向かった。
胸を高鳴らせイツキは待った。
今日こそゆっくりと定めの人と言葉を交わせる。
そう思うと胸が湧きたつのを抑えられない。
やがて、足音が近づいてきた。
小屋の戸を叩く音。
“イツキ殿はこちらか?”
“どうぞ、お入りください”
戸は開かれた。
西日が戸から鋭く差し込んでくる。
眩しく輝く陽光を背にした平馬の表情が見えない。
“イツキ殿?”
“戸を閉め、奥へ”
平馬はイツキに言われたとおり、小屋の戸を閉めた。
薪や筵、藁、漁の道具などが乱雑に置かれた小屋の中を奥へ入ってくる。
そして平馬は小屋の奥に佇んでいたイツキと目を合わせた。
「イツキ殿か?」
平馬の声が驚きに満ちている。
“そうです。この姿も私なのです”
イツキはあえて鷹のままの姿で平馬を待っていた。
羽を一度大きく広げ、ゆっくり畳んで見せた。
次に鷹から犬へ変化する。
先日長浜に行ったときに野良犬を見つけ変化できるようになったのだ。
間をおかず犬から鼠に変わる。
そして再び鷹に変化した。
「なんと……」
“私は神畜と呼ばれる一族の者。神がこの世に使わした弁財天の末裔にございます。神畜は神からこのように獣に姿を変える能力を与えられております。そして、神畜はこの世で神に選ばれしお方にお仕えする役目を負っております。私がお仕えするのは、大谷平馬様。あなた様にございまする”
“わしが神に選ばれし者?”
“そうでございます”
“何故、わしが選ばれたのじゃ”
“それは私にも分かりませぬ。ただ、畜である私が心の中で言葉を交わせるのはこの世に一人、平馬様だけ。このことが私と平馬様の深い縁を物語っておりまする”
“俄かには、……信じられぬ”
平馬の目がイツキとその周囲を行ったり来たりする。
それは何が真実なのか、目の前のことをどう理解すれば良いのか必死に考えているように見えた。
それがイツキには好ましく思えた。
平馬は正直だ。
信じられないのも当然だろう。
しかし、理解できないからと、頭から全てを否定するような愚かな人間ではない。
イツキを異形の者と闇雲に恐れ遠ざけることもしない。
“私を、お信じください”
“しかし……”
“先日私が触れたとき、体が楽になりましたでしょう。今日もこの島にお出でになり、私のそばにいらっしゃると体が軽くなられました。これが神畜の力でございます”
“それは認めるところだが”
“私がお傍にお仕えすれば、平馬様は常に元気に満ち溢れ、艱難辛苦も乗り越えられることでしょう”
イツキは平馬の眼前で鷹から人に変化した。
身に着けているものは薄衣の襦袢一枚。
「イツキ殿!その恰好は……」
平馬が顔を赤らめ慌ててイツキに背を向ける。
「平馬様。お許しください」
イツキは平馬の背に向かって手をつき頭を下げた。
「許す?」
「神畜はこの島を守る役目も担っております。我らの掟では我ら一族の誰か一人はこの島に残らなくてはなりません。島から畜の血が絶えることを神から許されていないのです。そして、今この島にいる畜の血を引く者は私一人。本来なら常に平馬様のおそばでお仕えしたいのですが、島の周囲に神の手による結界が張られておりますれば、平馬様について島の外へ出ることが叶いません」
「そうなのか?こないだは七尾山でお会いした。あの時、イツキ殿は島から出ていたことになるが」
「あの時は、島に姉がいたのです。ですが、姉は先日自らの子を亡くし半狂乱となって島から出て行ったきり……」
不意に涙が込み上げてきた。
タキのことを考えると、すぐに胸が苦しくなってしまう。
しかし、タキのためにも今は自分がしっかりせねば。
「そうであったのか……」
「平馬様。平馬様が私の定めのお方と知って以来、私の心は常に平馬様のことでいっぱいでございます。寝ても起きても平馬様のことばかりで胸が苦しいのです。どうか私をお救いください」
「救う?わしはどうすれば良い?」
平馬はイツキに背を向けたまま訊ねた。
“お情けを”
イツキは立ち上がり、襦袢を脱ぎ捨て、平馬の背中に抱き付いた。
イツキが頬を寄せた平馬の肩は燃えるように熱かった。