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自殺志願者な私とアクマ

 それは、ある日の出来事だった。

 美しい夕陽が空を赤く燃やし、ゆっくりと、だが確実にその姿を地平に飲み込まれようとしている──そんな時間。

 逢魔が時。

 そんな呼び方をすると知ったのは、もう少し後になってからだった。

 誰もいない校舎の屋上。

 普段は生徒の立ち入りが禁じられているこの場所に、私は居た。

 時期外れにずぶ濡れの私を、まるで嘲笑うように風が吹き抜ける。

 まだ五月にもならない今の季節。こんな格好なら感じる筈の寒さを、このとき私は感じなかった。

 どうでも良かったのかもしれない。

 ただ、神経が研ぎ澄まされていくような、そんな不思議な感覚。

 真っ直ぐ見下ろす硬質な大地は、思いの外遠くに見えた。

 動く人影はまばらだ。

 頭上にいる私に気づいている人間など、誰もいないだろう。

 それはそうだ。彼等が見上げたところで、私の姿など見える筈もない。

 だって、私は()()()のだから。

 私は、存在しない。

 クラスメートも、教師も、誰一人として私を見ない。空気のように、私はただ、そこにあるだけだ。

 完全な無視。

 いわゆる“イジメ”というやつだ。

 最初の標的は、クラスでも目立たない大人しい女の子だった。

 私はそこに居合わせ、その子を助けた。

 それをきっかけに標的が私へと変わっていった。

 今でも、間違ったことをしたとは思っていない。

 最初は抵抗もした。

 それでもソレは止むことはなく、毎日毎日繰り返され、エスカレートしていく。

 合気道をやってるおかげで、直接的に手を出されることはほとんどなかったが、その代わりに陰湿さは極まりない。

 最初は下駄箱に虫。上靴に画ビョウ。トイレに入っているときに頭から水をかけられることも度々あった。教科書や靴、私物が無くなったことも、一度や二度ではない。他にも色々……挙げればきりがない。

 クラスメートからは徹底的に無視をされている。みんな、巻き添えを食らうことを恐れているのだろう。私が助けたあの子さえ、目を合わそうともしない。

 今日、私が登校すると机には「額に入れられた写真」と「花が活けられた花瓶」が置かれていた。

 どうやら、私は「死んだ」らしかった。

 まともな精神状態なら声を張り上げ、写真や花瓶をその場で叩き割っていたかもしれない。でも、そうはしなかった。

 一年。たったそれだけの時間が、私の精神を蝕み、疲弊させていた。

 私はそのまま席につき、朝礼を受け、授業を聞いた。担任や教師たちも、誰一人としてその事には触れようとしなかった。

 理由は簡単。主犯核の女子生徒の親が、この学校の理事だからだ。その上、祖父は有力な政治家さんらしい。まるで、つまらない漫画みたいな話。

 両親を早くに事故で亡くした私は、男手一つで私を育ててくれた祖父の他界を切っ掛けに、この学校の寮で生活をしている。逃げ場はない。

 教師までもが荷担する現状に対抗する手段を、私は他に思い付かなかった。

 たった一つ、思い付いたのがこれだ。

 ここから一歩踏み出すだけで、私は解放される。

(コンクリート……当たったら、痛いかな……)

 私は、ボーッとそんなことを考えていた。

(痛いのは嫌だな……じいちゃん、怒るだろうな……父さんや母さんには会えるかな……)

 色々な事が、浮かんでは消えていく。

 怖い、とは思わなかった。

(……もう、いいよね……行こう……)

 そう思った、その時だった。

「行くって、どこへ?」

 突然かけられた声。

 聞いたことがない、男性の声だ。

 虚をつかれ、私はその一歩を踏み出すのを躊躇した。

 声には出してないつもりだったけど、無意識に声に出してしまったのだろうか?

 でも、関係無い。

 誰に見られても構わないじゃないか。

 どのみち直ぐに人には見つかるんだ。それがたまたま落ちる前だったってだけだ。私がすることは、変わらない。

「自殺なんて止めときなよ。自分でその一歩を踏み出せば、お祖父さんには会えないよ」

 低音で、ハスキーだが優しさを含む柔和な声。

 そう言われ、私の時が止まった。

 始めて聞くはずの男の声に、何故か聞き覚えがあるような……そんな懐かしさを感じた。

「殺人を犯せば、キミの魂は地獄に繋がれる。天国にいるお祖父さんには会えないさ」

「私は人殺しなんてしてない」

 ゆっくりと声のする方へ振り向きながら私は言った。

 そこに立っていたのは、黒いスーツを着たボサボサ頭の男だった。

 白のワイシャツに黒いネクタイ。首まわりは気崩しているが、まるで礼服だ。手中の煙草からは白い煙が揺れている。

「これからするつもりだった。違うかな?」

 真っ直ぐ私を見る男の瞳は紅かった。一瞬、黒と見間違う程の深い紅(クリムゾン・レッド)

(……綺麗な瞳……)

 そんな場違いな感想を抱きながら、私は男の言葉を改めて否定する。

「私は誰も殺さない」

「そう。誰も殺さないだろうね。キミ自身を除けば」

 そう言いながら紫煙をゆっくり吸い込み、フーッと溜め息を()くように吐き出した。

「自殺も、『自分』という人間を殺すんだから結局は『殺人』さ。罪は罪。神って奴は案外、潔癖症でね。些少の罪すら赦さない。天国の門は受験競争も真っ青なほど狭いのさ」

 煙草をその場に投げ棄て、革靴で踏みつけながら男は言葉を続けた。

「だから自殺なんて止めろって言うの?天国に行けないならそれでも構わない。生きていたって、地獄であることにはかわりないもの。私はもう疲れたの」

「生きることに絶望した? でもね、生がある限り戦えるし、周りの環境は変わるんだよ。永劫の地獄に繋がれることと比べれば遥かに短いし、それに何より希望がある」

 私は男の言葉を私は声を上げて笑っていた。

「希望? 下らない。貴方、何者なの? まるで聖職者ね」

 そんな私の言葉に今度は男の方が笑い始めた。

「くくっ……聖職者か。なかなか面白いジョークだけど……残念だな。悪いけど、不正解だよ。むしろその逆さ」

「逆?」

 聞き返した私の瞳をじっと見つめながら、男は真剣な眼差しで答える。

「俺はね、悪魔だよ」

 視線が外せない。

 私は男の言葉の真意が理解出来なかった。

 見覚えがない顔だけど、普通に考えれば教師だと名乗ると思っていた。

「キミ、名前は?」

 男の問いに答えるべきか否か一瞬だけ迷い、

「みこと。山口(やまぐち) (みこと)

 と、本名を名乗る。

 どうせ死ぬつもりなんだ。隠す必要なんてどこにもない。

「みこと、か。いい名前だね」

 柔らかな微笑み。

 少しだけ、動悸が早くなった気がした。

「ふざけてるの?」

「まさか。俺は至って真面目だよ」

「嘘。何者だって聞いてるのに真面目に答えもしないじゃない。悪魔なんて、居るはず無い」

 悪魔なんてフィクションの中にしか出てこない空想の産物。当然の事だと思って言い放った私を、彼は愉快そうに見つめた。

「本当にそう思う? じゃあ試してみようか?」

「なにを言ってるの?」

「俺が君の望みを叶える。君はその死後、俺に魂を差し出す。君自身が『必要いらない』って言ってる命なら僕が貰っても構わないよね? それに地獄に繋がれても良いとも言った。僕らのあるべき場所に、ね。だったら神に落とされるのも、悪魔とともに行くのも変わらない筈さ。悪い話じゃ無いと思うけど」

 彼の表情をジッと見つめ返していたけど、真実なんて見えてはこない。

 『嘘』だと解っているのにそうは聞こえない。とても悪魔的な不思議な話術。

 私は彼の言葉に乗ることにした。

 嘘でも真でも、何も変わらない。そう思ったから。

「いいわ。だったら私を助けてみなさい。自称『悪魔』さん」

 それだけ言って、コンクリートを蹴った。真後ろへ。身体が浮く。身体は横になり、私の視界からは男の姿が消えて空の茜色だけを捉えた。

 落ちる・堕ちる・お・ち・る──

 目に写る全てがスローモーション。

 ゆっくりと流れていく一瞬の中で、私が手に入れたモノは求めていた「開放感」ではなく「死への恐怖」だった。

 怖い・恐い・こわい──

 頭の中でグルグルと渦を巻く言葉。私は何て事をしたんだろう?

 もう戻れない。助からない。

 死ぬ・しぬ・死──

 全身が石のように堅くなっている。声すら出なかった。

 そんな私の視界に、あり得ないモノが飛び込んでくる。

 彼だ。あの男が、屋上を蹴った。

みことっ!!」

 初めて会う私のために、彼が身を投げていた。

 助けて・たすけて・タ・ス・ケ・テ──

「助けてっ!」

 次の瞬間、あんなに堅かった身体が嘘のように動いた。届くはずないと分かっていても、声に出して叫びながら必死で手を伸ばしていた。

「OK。これで契約は成立だ」

 その声は、私の耳元で聞こえた。

 伸ばした手が空を切る代わりに、全身が浮遊感に包まれた。

「全てはアナタの望みのままに。我が君」

 私の身体を抱き抱えながら囁く彼の背中には、深い、でも優しい闇色に包まれた漆黒の翼があった。

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