第二話:TRUSTとは
カタカタカタ⋯⋯。
生活感というものをまるで感じさせないほど整然と片付けられた静かな部屋に、キーボードを叩く規則的な打鍵音だけが響いていた。
先ほどまでの極楽気分が嘘のようだ。
シャワーを浴びてバスルームから出たカグヤは、黒の袖なしハイネックにショートパンツという動きやすい服に着替えると、迷うことなく愛用のノートパソコンの前に座り込んだ。
先ほどの通信で「さっさと提出しろ」と──脅しにも等しい催促を受けた報告書作りを終わらせるため、カグヤは取り急ぎ書類作成に追われていた。
「人使いが荒い上に容赦ないんだから⋯⋯」
ぶつぶつ文句をこぼしながらも、指先は滑らかにキーボードの上を走る。
止まる気配も、滞る気配もない。
報告書を書くこと自体は嫌いではないのだが、“めんどくさいこと”は基本的に苦手だ。後回しにできる時は、つい別のことを優先してしまう──そんなことが多々ある。
だが今回は、すでに途中まで作成してあったため、あとは仕上げを整えるだけ。作業時間はさほどかからなかった。
カタカタカタ⋯⋯。
カタカタ、カタ⋯⋯⋯⋯。
一定のリズムで打ち続けられていたタイピング音が、ふいに止んだ。
キーボードを叩いていたカグヤの手が唐突に動きを止めたことで、部屋には再び静寂が広がる。
「よし!」
打ち終えた文章をざっと確認し、その出来栄えに満足して小さく頷く。
完成したデータを暗号化して本部へ送信すると、漆黒のノートパソコンを静かに閉じた。
作業時間にして数分──特別大変な作業ではなかったが、ひと仕事終えたような小さな達成感が胸に広がる。大きく伸びをして体のこりをほぐしながら立ち上がると、部屋の隅に置かれた冷蔵庫から一本の瓶を取り出し、蓋をひねった。
ぱしゅ、と弾けるような音が、静かな部屋に心地よく響く。
瓶の口にそのまま唇を寄せて炭酸水を流し込むと、冷たい刺激が乾いた喉を一気に駆け抜けた。舌と喉をくすぐる炭酸独特の爽快感をしばらく楽しんでから、瓶を手にリビングへと歩き出す。
「さてと⋯⋯」
ローテーブルの上に置いてあった小型の機械を手に取り、ソファへ腰を下ろす。
掌サイズのデバイス──《ザウルスEX3/監史者仕様》は、TRUSTの監視者にのみ配布される専用機だ。
外見こそ普通の携帯端末と変わらないが、時空間を跨いでも個体識別が可能な量子認証や、歴史の歪みを検知する観測機能など、一般の世界では存在すら知られていない技術がぎっしり詰め込まれている。
そして、衝撃にもめちゃくちゃ強い。一体どんな素材で出来ているのだろうか。
どんなに世界が変わっても、持ち主を間違えることはない。本人以外には絶対に扱えず、外部からの干渉は量子暗号で完全に遮断される。さらに内蔵AIは使うほど持ち主の癖を学習し、勝手に最適化されていく“進化型”だ。
手首に近づけると自動的に装着される。しかも絶妙な締め付け具合。ベルトの好みまで学習してしまうのだから恐ろしい。
装着すると脈拍と網膜の血管パターンで本人確認が完了。画面に “welcome” の文字が一瞬だけ浮かんで、消えた。
「ザウルス、次の任務の詳細を表示して」
〈了解〉
デジタルらしくない流暢な日本語で返事を返し、ザウルスは文章と数枚の写真を空中に投影した。
──どこかで見覚えのある顔がいくつも並んでいて、思わず苦笑いが漏れた。
「今回の任務って⋯⋯本当にアーサー王の世界なんだ」
カグヤが所属する“TRUST”は、無数に存在する世界の歴史や物語を監視する組織だ。
重大な歪みや改変が発生した場合、彼らは調査と修正を行う。
今回の任務も例外ではなく、アーサー王伝説の時間層で観測された“歴史干渉の兆し”が原因らしい。
複数の人物の運命線が通常とは異なる形で絡み合い、放置すれば大規模な歪みに発展する可能性がある──と、記されていた。
監史者になれるのは、世界を越えられる因子を持つ者だけ。
カグヤもまた、その一人だった。
「⋯⋯侵入者の目的は?」
〈現在調査中〉
世界を改変しようとする者の多くは、「その世界を救うため」だと本気で信じている。
だが実際には──自分の願いを正当化しているだけのことが多い。
カグヤは改めて写真に視線を向ける。
劇画のように誇張された、中世を思わせる派手な甲冑姿の男たち。彼らは、悲劇的な結末を迎えることが確定している存在だ。
動いていた視線が、やがて一人の人物で止まった。
騎士の中の騎士と称され、アーサー王の最も忠実な臣下であり、そして親友だった男。
同時に、すべての悲劇の引き金を引いた人物。
「────ランスロット」
カグヤの呟きを拾ったザウルスがランスロットの写真を一番見やすいように配置する。
何故か、今回の事件の鍵はこの男が握っているような気がした。
根拠はない。ただの勘だ。
それでも、カグヤは自分のこの手の勘が外れた記憶を持っていなかった。
やり直したい過去は、誰しも一つや二つは抱えている。
普通は、それに折り合いをつけながら未来へ進む。人は良くも悪くも順応する生き物だからだ。
だが、過去を過去として切り捨てられない者も、確かに存在する。
破滅すると決まった未来。
実在したかどうかさえ曖昧な、空想上の物語。
それを変えたいと願うほどの執念とは、一体どのようなものなのだろう。
カグヤには、理解できなかった。だからこそ、今まで理不尽だと感じても飲み込むことが出来たのだろう。改変しようとまでは思わなかった。
「それにしても⋯⋯相変わらず大雑把な情報だなぁ」
〈申し訳ありません〉
「ザウルスは悪くないよ。────ありがとう」
【不明】や【調査中】といった単語が並ぶ資料を眺めて小さく嘆息する。
だが、与えられた仕事は遂行しなければならない。
カグヤは必要な情報を頭に叩き込む。ザウルスにお礼をいうと、意味を理解したザウルスが投影されていた画像を消す。画面には、「seeyou again」と表示されていた。
だいぶ炭酸の抜けた瓶を持ち上げると、そのまま窓辺へと移動する。窓枠に寄りかかりながら外を眺める。
開け放たれた窓の向こうに広がる外の世界。
真っ先に視界へ飛び込んでくるのは、この世界の中心に天高く聳える巨樹だった。
それは、世界樹。
この世界の象徴であり、神が住まうと云われる神聖な樹。カグヤがいるこの“箱庭”と呼ばれる世界は、神がTRUSTのために創り出したという。
カグヤはしばらくの間、その巨樹を睨みつけるように見つめていた。
────本当に、神はいるのだろうか⋯⋯。
カグヤは、そこに在るとされる神を信じられずにいた。
やがて何かを振り切るように、瓶に残っていた炭酸水を飲み干し、空き瓶をダストボックスへ放り込む。
喉を刺す、微かな痛み。
「──行きますか」
ソファーの背もたれに掛けてあった漆黒の外套を羽織る。
仕事は待ってくれない。
カグヤは合流地点へ向けて、静かに歩き出した。
説明が多くなってしまいました……。




