プロローグ:監史者
燃えるように紅い太陽が建物の影に消えてたから随分経つ。辺りはすっかり闇色へと姿を変えていた。
しかし、暗いとは思わない。
何故なら、眩い光がギラギラと、色とりどりに輝いているからだ。
「夜だというのに、煌びやかなことで⋯」
呆れたように呟く。
ビルの屋上の手すりに腰掛け、眼下を見下ろす。
人と車が、せわしなく行き交っていた。
これが、この世界の日常的な風景。
“ピピッ”
耳元で小さな音がした。
それは鳴ったというより、耳に直接響いたと言った方が正しいかもしれない。
翡翠色のピアスに触れる。
『どうだ?』
触れたと同時に声が聞こえた。
ピアス型通信機。
小型だが、ノイズキャンセリングを搭載し、暗号化なども出来る超高性能機械。
「変化なし」
『そうか』
その時、空気が震えた。
「──来たみたい」
『それじゃ、手筈通りに。気をつけろよ、カグヤ』
「もちろん! ヒスイもヘマしないでね」
『しねぇよ』
愉しげに笑ってそう告げると、ヒスイからの通信が切れる。
大気が不自然に歪んだ。
カグヤの視線の先、歪んだ空間から、黒い影が現れた。
それは、フードを目深に被っているため年齢は不明だが、背丈とガタイの良さから男だと推察出来る。
男は悠然と姿を現すと、辺りを見渡す。
あれ程不自然な現れ方をしたというのに、周りにいる人間は、誰一人男に気づかない。男を避けて人が通っている。
避けて通るということは、何かがそこにいることは認識しているのだろう。ただ、見えていないだけで。
男が不敵な笑みを浮かべる。
それから肩が震え、堪え切れずに声が漏れた。
一度漏れた声は、もう抑えが効かない。
大きな声で笑っている男に、しかし誰も見向きもしなかった。それは、とても異様な光景だった。
「みーつけた」
カグヤがニヤリと笑う。
そのまま、カグヤは手すりの欄干を蹴った。結構な高さのビルから、何の躊躇もなく飛び下りる。
一瞬の浮遊感のあと、急降下。
だが、地面が迫り激突すると思われたが、落下の途中で突如スピードが緩まった。
そのまま、フワリと着地する。まるでハンカチが落ちた時のように何の音もしない。
悦に浸ってバカ笑いをしていた男の背後に、カグヤは静かに舞い降りた。
その瞬間、音が消えた。
「────」
あれだけ騒がしかった雑踏から、まるで切り離されたように人がいなくなった。
その気配を察し、男の笑い声が止んだ。
辺りを見渡し、そしてゆっくりと振り返る。
男の視線と、カグヤの視線がかち合った。男の顔に驚愕の表情が広がる。
「──馬鹿な⋯」
呆然としたまま、男が呟く。
それは、見えるはずのないものが見えた時のような恐怖を含んでいた。
「大人しく捕まってくれる?」
「────っ⋯俺は、捕まらない!!」
男が懐に手を入れたのとほぼ同時に、カグヤは何も無い空間に手を翳す。
すると、いつの間にかカグヤの手には白と蒼を基調とした二対の扇子が握られていた。
男が取り出したモノを構えるよりも速く、カグヤは男の懐に入り込む。
「遅い」
その言葉と共に、手に持った扇子を男の右手に叩き込み、持っていたモノをはたき落とす。
落ちた──銃のようなものを蹴飛ばして遠ざけると、蹴った勢いのまま体をクルリと一回転。
今度は逆の手に持った閉じたままの扇子を、男の左頬に叩き込む。
「──ガッ!」
男が数歩後ろに下がった。
左頬を押え、ギラついた目をカグヤに向ける。
「俺は、間違っていない!!」
そう言った男の足元に、魔法陣が展開する。
複雑な紋様が幾重にも描かれている。
魔法陣から現れたのは無数の銃火器だった。
「────あれが最善だったんだ!!」
絶叫のような男の言葉に呼応するように、無数の銃口から弾が飛び出す。
カグヤに向けて弾幕が雨のように降り注ぐ。
────フゥ⋯。
一つ深呼吸。
それから、カグヤは扇子を開く。
シャランと澄んだ音で鉄扇が鳴った。
ゆっくりと一歩、また一歩と歩き出す。男に向かって。
まるで舞を踊っているような軽やかなステップを踏みながら、カグヤは銃弾の嵐の中を男へと近づいていく。
「うそだ、嘘だ嘘だ嘘だァァァ────!!!」
男の絶叫が響く。
そして、カチャカチャと虚しく響くのは、銃弾をうち尽くした音だった。
「チェックメイト、かな?」
男の首元に、扇子の刃を突きつける。
ツーっと一筋血が流れた。
「⋯俺は、正しいんだァァァ!!!」
男は諦めが悪かった。
まだ懐に持っていたらしい銃の銃口をカグヤに向けて引き金を引いた、つもりだった。
だが、引くことが出来なかった。
「体が、動かない⋯⋯?」
そう、男の体が固まっていた。
特に石化しているという訳でもない。
だが、指先一本すら、ピクリとも動かない。
「────いい加減諦めろ」
カグヤと男だけの空間に、第三者の声が響いた。
それは、先ほどピアス越しに会話した人物。
「ヒスイ」
ヒスイはカグヤに笑いかけたあと、男に向き直る。
カグヤに向けた微笑みからは想像できない程底冷えする冷たい目。
「⋯⋯お前は────っ」
ヒスイを見た瞬間、男の顔が恐怖に歪む。
あれ程諦めが悪かったはずなのに、今はガタガタと小刻みに震えていた。
口を開いたまま、言葉を紡げない。
「────お、俺は⋯⋯⋯⋯」
「お前を裁くのはオレたちじゃない」
ヒスイのその言葉に、男が顔を上げる。
「俺たち、仲間だろ?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「同じ監史者だろ?」
男は懇願するように、仲間だと訴える。
そんな男の訴えを、ヒスイは絶対零度の微笑みで黙らせる。
「お前は、その仲間を殺したんだ」
「────あ、あれは!」
「“捕らえろ”」
そうヒスイが告げると、男の足元に魔法陣が展開する。
複雑に描かれた紋様が幾重にも交差している。
先ほどの男のものとはまた違う。
魔法陣から現れたのは、黒い鎖だった。
「いやだ、助けてくれ!! 嫌だー!!」
男がもがけばもがくほど鎖は男の体に絡みつく。
そのまま、暴れようとする男は鎖ごと魔法陣の中に沈んでいく。
男の姿が消えると、辺りには静寂が戻った。
「また、正史変革者か⋯⋯」
カグヤの小さな呟き。
ヒスイはその事には何も答えない。
「帰るか」
「──うん」
男が消えるのを冷たい目で見届けたのが嘘のように柔らかくカグヤを見る。
その変わり身の速さに笑いそうになるのを堪えて、カグヤは頷く。
「“転移門展開、発動”」
足元に展開された魔法陣は、先ほどのどの魔法陣とも違っていた。
また新たな魔法陣から光が溢れ、二人を包む。
光が収まると、そこには誰もいなかった。
そして、また騒がしい音が戻っていた。
何事もなかったかのように、人々が行き交う。
戦いなどなかった。
そう、行き交う人々にとっては、本当に無かったのだ。
何も────。
シリーズものになる予定です。




