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5-1届かない想い

ギルバートと再来週の家族での集まりについて話した翌日、ミーナはアイリーンと教室を移動していた。

鏡で見て自分でわかるほど痩せると、身体が軽くなったような気持ちになれた。

心まで軽やかになって、明るい気持ちで歩いていたら、ふと視線を感じて顔を上げると、窓からこちらを見ているギルバートが見えた。口元を緩めて優しげな顔をしており、ミーナは途端に気持ちがずんと重くなった。


「どうかしたの?」


アイリーンがミーナの顔を覗き込む。ミーナは、ううん、と頭を振って笑顔を見せた。


「(わかる…とてもわかる。アイリーンを見てたら笑顔になるって、わかる…けど…)」


同意できるからこそつらい、とミーナは思う。ミーナは、もう窓の方は見上げないように決めて、アイリーンと一緒に足早にこの場を去った。







そして日は過ぎて、とうとう明日に家族の集まりをひかえた金曜日がやってきた。

ミーナはジェームズに付き添ってもらいながらいつも通り散歩をした。最初はついていくのがやっとだったこの運動も、だんだん慣れてきた。ミーナはジェームズの方をおずおずと見上げた。


「実は明日、私とギルバートの親戚が集まる小さなパーティーがあるんです。そこで軽く、結婚する予定ってことを親戚たちに知らせるみたいで…」

「そうか!」


ジェームズは、ミーナの方を見てうんうん、と頷いた。


「自信を持っていったらいい!…まあ欲を言えば、ランニングができていればもう少し絞れたんだが…まあいい、及第点だ!俺のお墨付きと思っていい!」

「あの、本当にありがとうございました。本当にご親切に…」

「何をこれで最後みたいな締めくくりなんだ!まだまだ続く!先は長い!」


はっはっは!と笑いながらスピードを上げたジェームズに、慌ててミーナは追いつく。その背中を必死に追いかけながら、がんばるぞ!と自分自身を奮い立てた。






ジェームズとの散歩を終えて、ミーナは一度校舎に戻った。そして、化粧室で制服に着替えると、鏡の前で、運動をしたために乱れた髪を整えた。


「あら、なんだか少し痩せた?」


声がして、ミーナは体をこわばらせる。恐る恐る視線を動かすと、鏡越しにガーベラと目が合った。

ミーナは笑顔を貼り付けて、無理やり口角を上げた。


「う、うん、ほんの少しだけ、少しだけね…」

「ふーん」


ガーベラはミーナの隣に立って、遠慮なくミーナの全身を頭から爪先まで眺めた。ミーナは鏡のほうを見たまま動けずに固まる。


「(…怖い…)」


あの日の恐ろしい笑顔を浮かべるガーベラを思い出して逃げ出したくなるけれど、長い間自分がなついてきた優しい少女も紛れもなく目の前の人物で、この人は安全な人だよ、と頭が信じ込ませようとするから、混乱して足が動かない。


「あなたが多少痩せたとて…よね」


ふふ、とガーベラが意地悪く目を細める。ミーナは目を泳がせながら、そ、そうだよねえ、となんとか笑う。そんなミーナに、ふふ、とまたガーベラが笑う。こんなに彼女が怖いのに、彼女が笑ってくれて嬉しいと思ってしまう自分に、ミーナは更に混乱する。

ガーベラはミーナを見て美しい顔に笑みを深めると、化粧室から去っていった。その足音が聞こえなくなってやっと、ミーナは体の力が抜けて、深い安堵のため息をついた。













そしてようやく土曜日がやってきた。

ミーナは用意されていたドレスに身を包んで、化粧や髪を整えた。

ドレスアップしたミーナをみて、両親は手放しに褒めていた。痩せ細ってしまって心配してたけど、こうみると綺麗ねえと母は目を細めた。父も父で嬉しそうにミーナのことを褒めている。2人の言葉を真に受けたらいけない、とは思っても、なんだかんだ2人にこうして褒めてもらえることを、ミーナは嬉しく、そして幸福に思った。


家にあるパーティーホールに、ミーナはユーリとともに向かった。ユーリはミーナの姿を見て、目を丸くしたあと、わあ…!と驚いたような声を上げた。


「すごいねえさま、とっても綺麗…!」

「ありがとう、ユーリ」


ミーナはにこりと微笑む。そんなミーナをちらりと見たユーリが、でもどうしたの?と尋ねた。


「なんでまた、やせようと思ったの?」

「このままじゃ駄目だなって、思ったから…かな…」

「どうしちゃったの?ねえさま、ずっと気にしてなかったのに」


ユーリがまた驚いたように目を丸くする。ミーナは、ガーベラの顔が浮かんで、どう話したらいいかわからずに困って苦笑いを漏らすことしかできなかった。

すると、ユーリとの話の途中で会場に着いた。


扉を開けると、飾られた綺麗な会場が目に入った。中には招待客がたくさん集まっている。その中に、ギルバートの姿もあった。


「(あ…)」


ミーナは急に緊張してきた。いてもたってもいられなくなって、もぞもぞと、お腹の前で両手を握りしめた。

ユーリはそんなミーナをちらりと見たあと、ギルバート!と手を振った。すると、気がついたギルバートが、こちらへやってきた。ミーナは緊張から背筋が伸びた。


パーティ用のスーツを着たギルバートが、ミーナの目の前にやってきた。制服とは違う格好に、彼がいつもより大人っぽく、そして格好良く見えた。


ミーナはなんとなく恥ずかしくて、目を少し泳がせた。ギルバートが何を言うか想像がつかなくてさらに緊張する。ミーナは心臓が大きな音を立てて脈打つために、周りの話し声すら耳に入らなくなっていた。


しかし、ギルバートはミーナを見ても何も言わなかった。ミーナは恐る恐るギルバートを見上げた。目が合ったギルバートは、いつものように淡々と、やあ、とだけ言った。

ミーナの頭が真っ白になった時、見かねたらしいユーリが、ミーナの手を握ってギルバートの方を見た。


「じゃーん、ドレスアップしたねえさまです」


ユーリはそう紹介した。するとギルバートは、ああ、と短く返すだけだった。


「(…興味が…ない…)」


ミーナは、ギルバートの声に厳しいリアルを知る。

彼はアイリーンが好きなのであって、周りから豚と笑われるミーナが多少痩せたところで何の興味もないし関係がないのだ。

少しでも綺麗になったと思ってくれないだろうか、なんて期待していた自分が馬鹿すぎてミーナは泣きたくなる。ガーベラから言われた、あなたが多少痩せたとて、という言葉が改めて響く。

自分なんかが多少痩せたって周りから見て何も変わらないし、アイリーンやガーベラのように美しくなれるわけではないのだ。そんなことすら頭から抜け落ちていた。


「挨拶に回るぞ」


ギルバートはそうミーナに呼びかけると歩き出した。ミーナは、うん…、と言うと、それじゃあね、とユーリに言って彼の手から抜け出した。ユーリは気まずそうに、う、うん…、と頷いて手を振ってくれた。ミーナは呆然とした気持ちでギルバートの背中を追いかけた。







お互いの親戚に、2人で挨拶に回った。

ギルバートは相変わらずスマートに受け答えをしていて、ミーナは愛想よく笑っていた。親戚たちはみんな、おめでとうと祝福してくれた。ミーナはそう言われるギルバートの顔をみられないまま、なんとか笑顔を作り続けた。


会場にいる人たちへの挨拶が無事済むと、ギルバートはミーナから少し距離を取った。ミーナが、あれ、と思ったとき、遅れて会場に着いたらしいオリバーとその妻ナディアが笑顔でこちらへやってきた。


「ミーナ!ギル!久しぶり!」


ナディアは笑顔でミーナの前に立つと、わあ…、と感嘆のため息を漏らしてミーナを見つめた。


「もちろん昔から可愛かったけど…なんだか本当に綺麗になったわね…」


ナディアが感慨深そうにミーナを見つめて言う。ミーナは微笑んで、ありがとう、とお礼を告げる。

ナディアはオリバーの幼馴染で、ミーナが小さい頃から何度か会ったことがあるけれど、ミーナにとって親しみやすい優しいお姉さん的な存在だった。


「本当だなあ、綺麗になった!年頃だからなあ」


オリバーが、うんうん、と頷きながら言う。ミーナは小さく微笑んでオリバーを見上げる。オリバーはギルバートの親戚で、よく一緒に遊んでくれていた優しいおにいさんだった。

ナディアは笑顔でミーナに近づくと、ひそひそと話しかけた。


「ギルバートと結婚するから、でしょ?気合はいっちゃうわよね!頑張ったじゃない」


ナディアの言葉に、ミーナは目を丸くする。ナディアはにこにこ笑いながら、隠したって駄目よ、見てたらわかるんだから、とミーナの背中をなでる。

ミーナは、ナディアの言葉を聞きながら、いつの間にか自分が、ギルバートの隣に立っても恥ずかしくない程度に、ということではなく、ギルバートに綺麗になったと思ってほしくて今日まで頑張っていたことに気がついた。


2人の話を聞いていたオリバーが、えっ?えっ?と目を丸くする。


「なっ、どっ、どゆこと?」

「もー本当に鈍いんだから。見てて分からないの?」

「えっ、つまり…えっ?ギルバート!お前は本当に幸せ者…あれ、どこいった?」


オリバーが周りを見回す。ミーナも、え、と声を漏らして周りを見た。すると、いつの間にかギルバートはいなくなっていた。


「なんだあいつ、どこいったんだ?」

「さっきまでいたのに…」


不思議そうにするオリバーとナディアをぼんやり見ながら、ミーナは自分という存在が虚しくてたまらなくなる。

ミーナはどんどん考えたくないことを考えて、自分で自分を責め立てた。

綺麗になれると思った?笑われ者のミーナが?考えが甘すぎる。だから笑われ者のままなんだ。

私のことなんかギルバートは興味がない。だって私はアイリーンにはなれないんだもの。


「ねえ、ギルは何か言ってた?」


ナディアに話しかけられて、ミーナは動揺しながら、えっ、と声を漏らす。ナディアは笑って、あなたのことを見てよ、と言った。

ミーナは屈託なく笑うナディアに、つられるようになんとか口元を上げる。笑わなくちゃ駄目だ、笑わなくちゃ。空気が悪くなる。ただでさえ駄目駄目なのに、笑うことすらできなくちゃ一体私は何なんだ。


「え、ええ…き、きれいになった、…って…」


ミーナは自作自演の台詞を吐くしかなかった。ナディアは頬に手を当てて、やだー!と自分のことのように嬉しそうに笑う。オリバーが、幸せだなあ、と目を細める。ミーナは2人に合わせて笑うことしかできない。


「そうだ、実は私、妊娠したのよ」


生まれるのはまだまだ先だけど、とナディアはお腹を撫でる。ミーナは、ええっ!と目を丸くして、おめでとう!とナディアの目を見ていった。ナディアは嬉しそうに、ありがとう、と返した。


「まだまだ先だけど、気が気じゃないよ。ナディアの体調も気がかりだし、迎える準備のこともあるし…」


オリバーが心配そうに、しかし幸せそうに言う。ナディアが、大丈夫、なんとかなるわよ、と笑顔で言う。ミーナは幸せそうな2人を見つめて微笑む。



ナディアとオリバーと別れて、ミーナは会場を一人で歩いた。見えるのは、自分の両親、親戚の夫婦たち、親戚とその婚約者。皆仲良さそうに2人で歩いている。

彼らはなんて幸せそうなんだろう、とミーナは思う。どうしたら彼らみたいになれるのだろう、と考えれば考えるほど虚しくて、ミーナは顔を伏せた。

ミーナは彼らを見ないように無心で歩いて、そしてバルコニーへ逃げ出した。







夜空が広がる景色を眺めて、ミーナは荒い心臓の鼓動を抑えようとした。

建物の方からは賑やかな音楽が聞こえてくる。ミーナは星を見上げて、こみ上げる涙を零さないようにした。


「ねえさま?」


声がして、振り向くとユーリがいた。ユーリはミーナの傍に来ると、自分の上着を脱いで、ミーナの肩に掛けた。


「ユーリ…」

「ここは冷えますから」


ユーリはミーナを見つめてそう優しく言うと、隣で星空を見上げた。ミーナはその横顔を見つめた後、目を伏せた。


「なんだか疲れちゃいました。僕、こういう集まりって苦手です」


ユーリはそう言った。ミーナは、え?と呟いた。


「そんなに社交的なのに?」

「社交的に振る舞えるだけ、ですよ」


ユーリはそう言って笑う。ミーナはバルコニーの手すりに手を添えて、また星を見上げた。


「ねえさまは?」


ユーリがそう尋ねた。ミーナは咄嗟に言葉が出なかった。言いたいことと、言ってもいいことと、言ってはいけないことそれらの境界が曖昧で、そして、苦しい感情で胸がいっぱいで、どんどん何も言えなくなる。ミーナは苦笑いを漏らして、むずかしいなあ、と呟いた。


「なんて言ったら、いいのかなあ…」


ミーナはそう呟いて、鼻の奥がつんと痛み出すのを感じた。ユーリはそんな姉に、うん、と優しい相槌を打つ。ミーナはその声に堪らなくなって、小さな嗚咽を漏らした。泣かないように上を見上げても、こみ上げる涙が止まらずに頬にこぼれた。


「ギルバートに見てもらいたくて、頑張ったんだけどなあ…」


ミーナはそう漏らすと、両手で顔を押さえた。必死にこらえようとしても止まらない涙になす術がないまま、ミーナは肩を震わせる。


「私なんかが頑張ったって、どうにもならない。なんにもならない。だって私は私でしかいられない、残酷なくらいに」


ミーナはそう吐露した。どんなに嫌でも、どんなに苦しくても、自分は自分にしかなれない。生まれ持ったものを手放すことはできない。それが周りからどんなに笑われようとも、一生手に持ち続けるしかない。


ユーリはハンカチを取り出すとミーナの頬の涙を拭いた。ミーナは、ありがとう…、と鼻の詰まった声で返した。


ミーナがひとしきり泣いて少し落ち着いた頃、ユーリがミーナに話しかけた。


「…でも、ねえさまらしくないです。いつも誰に何を言われたってにこにこしてたのに、なんでそんなに自分が嫌いになっちゃったんですか?」


ユーリがミーナの鼻をハンカチで拭きながらそう尋ねた。ミーナは、…ガーベラに…、と呟いた。


「ガーベラに…言われたの。本当はずっと私のこと、影で笑ってたんだって。みんなと一緒になって、馬鹿にしてたんだって」

「…ガーベラが…」

「その時にようやくわかったの。私は恥ずかしい存在なんだって。周りから笑われるべき人間なんだって。私はガーベラの優しい言葉に甘えて見ないふりをしていただけだったから、彼女に見放されてやっと、私は自分をちゃんと見つめ直すことができた」


ミーナは赤くなった鼻をすする。そんなことを話しながら、ミーナは、別にこれまでだって自分のことなんかちっとも好きじゃなかったな、と思い返す。ガーベラという存在がいてなんとか保っていた自意識が完全に崩れてしまっただけで、もとから周りに笑われる自分なんか大嫌いだった。笑われても、笑顔でいることしかできない馬鹿な自分も。

ユーリはそんなミーナを見つめる。


「…とうさまもかあさまも、もちろん僕も、ねえさまが恥ずかしい人だなんて思ったことありませんよ」


ユーリの優しい言葉に、ミーナはまた顔をぐしゃりとする。そんなミーナに、ユーリは、あーあー、と言いながら顔をハンカチで拭いた。


「ありがとう、ありがとう、ユーリ…」

「ねえさま…」

「家族は私のことをそう思ってくれる。でも、ギルバートに申し訳なくて…」

「ギルバート?」

「こんな私の婚約者にさせられて、周りから彼まで笑われたらって思ったら…」


ミーナはそう言って目を伏せる。ユーリは少し目を泳がせた後、ねえさま、と話しかけた。


「ギルバートは、…うーん…うーん……」


ユーリは困惑しながら言葉を探す。ミーナはまた鼻をすする。


「…私、ギルバートには形だけの結婚にしましょうって伝えてあるの」

「えっ…?それ…はつまり、その…白い結婚…とかいう?」

「…そうしたら、他の人が好きなあの人の心までは縛らないでいられる。少しでも私の罪悪感がなくなる、かなって」


ミーナは夜空を見上げて静かに言った。ユーリは、へ…へー…、とまた目を泳がせた。ミーナはユーリの方を見た。


「お父様とお母様には言わないでほしい。心配かけたくなくて…」

「わ、わかりました…、というか僕、言えませんそんなこと…」


ユーリの動揺する様子に、自分がいかに極論を選んでいるか察してミーナは心が揺らぐ。しかし、こうするしかないのだ。

ミーナはまた静かな星空を見上げる。綺麗に輝く星を見つめて、私ではひっくりかえったってああはなれない、と確信した。



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