3-1彼女は変わりたい
ランチタイムに突如現れたギルバートから逃げてきたミーナは、ユーリと共にカフェテリアから離れた。ミーナはとにかくギルバートとアイリーンから離れたい一心で歩きを進めた。
するとユーリが、ねえさま、と声をかけた。ミーナははっとして振り向いた。
「あっ、なっ、何かしら…」
「どこまで行くんですか?」
ユーリに尋ねられて、ミーナは狼狽える。彼をあの二人から逃れる言い訳に使ってしまったことを申し訳なく思いつつ、あ、えっと…、と言葉を探した。
そんなミーナを見つめて、ユーリはにこっと微笑んだ。
「ここに座りましょう」
ユーリは、傍にあったベンチを指差した。ミーナは、え、ええ…、と頷いてそこに腰かけた。ユーリも後に続いてミーナの隣に座った。
ユーリはじっとミーナを見つめて、ねえさま、と話しかけた。
「聞きましたよ、ギルバートと結婚することになったんですね」
「えっ?」
「良かったじゃないですか。ねえさま、ずっとギルバートが好きだったから」
ユーリはそう言って目を細める。ミーナはそんなユーリから目を背ける。幼い頃から一緒にいたユーリには、ミーナのギルバートへの気持ちはいつのまにか知られていた。
ユーリは、浮かない表情のミーナにきょとんとする。
「…嬉しくない、んですか?」
「……」
「なにか、あったんですか?」
「えっ?」
「だって、ねえさまらしくないから。いつもならにこにこしてくれるのに、今日はなんだか暗い顔」
ユーリは不思議そうに首をかしげる。ミーナはユーリの瞳を見つめたあと、また目を伏せた。
「…なんだか、ギルバートに申し訳なくて」
「申し訳ない?」
ユーリはきょとんとする。
ミーナは自分のふっくらとした頬を両手で触れる。朝ご飯と夜ご飯を減らしても、昼ご飯を食べなくても、なかなか身体についた肉は落ちていかない。自分なりに頑張っているつもりなのに、自分は周りの女の子たちみたいになれない。
「こんなだらしない見た目で、性格も鈍臭い。…私なんかと結婚したら、ギルバートまで笑われてしまわないかしら」
ミーナはそう言ってため息をつく。ユーリは目を丸くして言葉を失う。
「……ねえさまって、そういう陰口を気にしない人かと思ってました」
「え?」
「いつも誰かにそう言われても、何でもない顔をしていたから」
ユーリの言葉に、ミーナは胸が痛くなる。言われたときには傷ついてもそれでも自分を可愛いと褒めてくれる両親と親友がいたから、だから気にしない選択肢をとっていた過去の自分を、今は愚か者のように見てしまう。
「大人になった…のかな。これまではずっと、自分が聞きたい言葉しか耳に入れてこなかったから」
ミーナはそう苦笑いを浮かべる。ユーリはそんなミーナをじっと見つめる。ミーナは、それに、と続ける。
「ギルバートは、アイリーンのことが好きでしょう?それなのに私なんかと、っておもったら、気持ちが重くなって…」
ミーナがそう言うと、ユーリが、えっ?と声を漏らした。
「僕もその話、クラスメイトから聞いてたけど、ただの噂でしょう?」
「ううん、私、直接ギルバートからそう聞いたから」
「聞いた…って何をですか?」
「アイリーンのことが好きだって」
「えっ…と、本当にギルバート本人から?」
「え?ええ、そうよ」
ユーリはミーナを見つめて一瞬固まる。しかしすぐに、へー…、と呟きながらミーナから視線を逸らした。
「なんだか嫌ですね。普段からあんなに硬派ぶっておいて、結局、みんなから好かれるわかりやすい美人を好きになるなんて」
ユーリはそう、立てた人差し指をくるくる回しながらミーナに話す。ミーナはユーリから視線を落として、目の前に広がる花壇をぼんやり見つめた。
「…でも仕方がないのよ。天性のものはあっても、美しい人はそれ相応の努力をしているものだから。そそに惹かれるのは仕方がないし、努力を怠っておいて、他人の努力の成果ばかり僻むのは間違っているもの」
ミーナはそう、アイリーンを羨む自分に、自分で言い聞かせる。ユーリはそんなミーナの横顔をちらりと見つめて、それから空を見上げた。
ミーナは、ごめんなさい、と言うとベンチから立ち上がり、ユーリを振り返った。
「そういうわけでギルバートと顔を合わせづらくって、あなたを頼ってしまったの。…時間を取らせてしまってごめんなさい」
「ギルバートと何かあったんだろうなとは思ってましたよ。大丈夫です。僕、ねえさまのお役に立てて嬉しいです」
椅子に座るユーリは、ミーナを見上げて微笑む。ミーナはそんなユーリのことを相変わらず素直で可愛い弟だと思って微笑む。
「…そうだ、お父様とお母様が、ユーリに会いたいって。あなた、めったに家に帰らないから」
ミーナはそうユーリに話しかける。ユーリは、ああ…、と呟く。
「前は学校の用事で忙しくて…。次はきっと帰ります」
「そうしてあげて。来月は親戚で集まる会を開くらしいから。ユーリが来たら、お父様とお母様、とびっきり喜ぶわ」
ミーナはそう微笑むが、ユーリは口元を緩めるだけで目は笑っていなかった。そんなユーリに、ミーナが少しきょとんとしていたら、彼も立ち上がった。
「さてと、僕も帰ります」
ユーリはそう言うと、それでは、と微笑んで立ち去った。ミーナはその背中に、本当にありがとう、と重ねて感謝を伝えた。ミーナはユーリを見送りながら、小さくため息をつく。
「(…とってもいい子だし、お父様とお母様とも仲良しなのに、それなのになぜか家に帰りたがらないのよね…)」
ミーナは少し不思議に思いながらも、まあ彼は忙しいから、と思いなおすと、軽く伸びをして、そして女子寮の方へ戻った。
朝おきて、ミーナは鏡の前の自分と向き合った。体は重く、寝ても寝ても気だるさが抜けない。やる気が起きなくて、ふとした時に嫌なことを考えてしまう。
最近ずっとこうだ。周りの景色が灰色で、世界が自分に冷たくなったような気分。
「(…いいえ、前から冷たかった。自分が見ようとしなかっただけ)」
世界は当たり前に、鈍臭い豚には冷たい。それを優しい身内の親心と、友人だと自分だけが思い込んでいた女性の甘言を信じてしまっていた愚かな自分。
「(ああだめだ、最近こんなことばかり。いやなことをずっと考えてしまう)」
ミーナは癖のある髪にくしを通す。髪を整えようにも、寝癖ともともとの癖でなかなかきれいにならない。髪すら醜いなんて、とミーナは泣きたくなる。
ミーナはくしをテーブルに置いてベッドに倒れ込むと、何もしたくなくて、ギリギリの時間まで寝込むことにした。
午前の授業が終わって、ミーナはいつものように一人で中庭にきた。そして、ベンチに座って空を眺めながら、ぼんやりと時間が過ぎるのを待った。
「(…今は春…。あと半年もせずに5年生が終わる。そうしたら次は6年生。それが終われば卒業。そうしたら……)」
ミーナはさーっと顔が青くなる。本当の本当に、このままギルバートと結婚してしまう。こんなわだかまりばかりのままで良いのだろうか。
空腹のこの時間が早く過ぎればいいと望むのに、卒業はしたくない。ミーナは青い顔を両手で覆った。
「…ミーナ・ワイアット」
誰かが自分の前に立った。
恐る恐る顔を上げると、そこにはギルバートの友人のジェームズが恐ろしい形相でそこにいた。
ミーナは短い悲鳴をあげて、身を固くした。ジェームズは、じっとミーナを無遠慮に見た。
「お前…ここ数日で何度か見かけたが…そこから察するに、…昼を食べてないな?」
「えっ?え、…ええ…」
「それはなぜだ?腹の調子が悪い?それとも……痩せようとしているのか?」
ジェームズはそうまじまじと、ミーナを睨むように見ながら尋ねた。ミーナは恐る恐る頷いた。
「え、ええ…そうよ…」
「ほう、…それはなぜだ?」
「な、なぜ…」
ミーナは自分を見下ろすジェームズを見上げる。大柄な体格の赤髪の男性が刺すような視線で自分に問い詰めてくる。その状況にミーナはひるむ。自分の周りには、こんな男っぽい人物があまりおらず、ミーナは彼に対して恐怖すら感じた。
「(…お父様は見た目も中身もほんわかしてるし、ユーリは見た目からして小柄で可愛らしいし、ギルバートは言うことは男がどうとか暑苦しいことをいうけど、見た目は繊細な方だし…)」
「理由を聞いているんだ!」
「ひっ!えっ、えっと…み、醜いから……」
ミーナは勢いのままそう答えた。ジェームズは、ああ?と首を傾げた。
「醜い?」
「ふ、太っていてどんくさくて、わ、笑われるから…。そ、そんな私がギルバートの婚約者だなんて、も、申し訳なくて、だからせめて、見た目だけは…と思って……」
「……」
ジェームズはミーナの言葉を聞いて、目をかっぴらいた。ミーナはさらに目の前の男の形態が変わったと驚き、体をがたがたと震わせた。
すると、ジェームズのごつごつした太い腕が、ミーナの両肩を勢いよく掴んだ。痛いほどの力に、ミーナは恐怖から失神しそうになる。
「……見直したぞ、ミーナ・ワイアット……」
「えっ…え?」
「俺はお前を勘違いしていた。怠惰で向上心のないデブだと…」
「でっ…」
「見直した、見直したぞ!」
ジェームズはミーナの肩をさらに強く掴んだ。ミーナは目が回るような気持ちで目の前の大男を見上げる。
「そんなお前にひとつアドバイスだ。いいか、痩せたいのなら、食わないのは良くない。食わなければ体型が悪い方へ行く。きちんと食ってきちんと痩せろ。いいな」
「あっ、えっと…」
「いいな!!」
「は…はい…」
怯えながらミーナは返事をした。ジェームズは満足したように頷くと、ミーナから手を離した。そして、背中を向けて去っていった。ミーナはその背中を見つめる。
ジェームズは服の上からでもわかるほど、鍛え上げられた体をしていた。そんな人が言うのなら、食べたほうがいいのだろう、とミーナはじわじわと納得した。すると、お腹がぐうと大きな音を立てた。
「(…食べよう、うん、食べよう…!)」
ミーナはそう思うと、最近どんよりしていた心が少し晴れた。ミーナはまだランチの時間がのこっているのを確認すると、慌ててカフェテリアに向かった。
カフェテリアにて、ミーナはお気に入りのパスタと、コーンスープと、そして、鮮やかで可愛いケーキまで頼んだ。胸がわくわくとして、心が躍るとはこういうことかと、自分が持つトレーに乗った美味しそうな食事を眺めた。
「あっ、ミーナ!」
声の方を見ると、最後のデザートを食べようとしていたアイリーンが手を挙げていた。ミーナはアイリーンに近づいた。
「アイリーン、ここいいかしら」
「もちろん!久しぶりにミーナと食べられて嬉しい」
アイリーンは目を細めて人懐っこく笑った。ミーナは少し照れた気持ちで笑った後、食事を食べ始めた。アイリーンはそんなミーナをじっと見つめた後、上目遣いになり、おずおずと話しはじめた。
「ねえミーナ、これからはまた、一緒にお昼を食べられる?」
「ええ、もちろん」
「本当?うれしい!私ね、最近ずっとさみしかったの…」
アイリーンははにかんだ笑顔でミーナを見た。ミーナはそんなアイリーンの可愛らしさに胸を射抜かれる。それと同時に、こういう可愛い人がギルバートは好きなんだなと再確認して胸がえぐられる。
「(…アイリーンもギルバートも、2人とも好きな人だから、複雑…)」
ミーナはパスタを口に運びながらそんな事を考える。アイリーンはにこにことご機嫌な様子で、ミーナと一緒にデザートを食べたいから待ってるね、と言った。そんなアイリーンを見つめて、ミーナは彼女の可愛らしさのあまり笑みをこぼした。
食事を終えて教室へアイリーンと戻りながら、ミーナは、頭がすっきりしているのを感じた。これまでは心が暗くて身体が重かったのに、アイリーンと楽しく好きなだけ食事を楽しめば、胸は春が来たことを思い出すように暖かくなった。
「(…こんな楽しい時間を削っていたなんて…)」
ミーナはそんなことを思う。この楽しい時間と引き換えにしてまでも、あんなに暗い気持ちになったのは何だったのか。
ミーナは心の中で、よし、とやる気を出すと、ジェームズに言われた通り、食べて痩せるぞ!と心に決めた。




