2-2白い結婚
「(……白い結婚……)」
ミーナから爆弾発言をされた翌日の放課後、ギルバートは机に突っ伏して悶々と考え込んでいた。
前の席にいるジェームズ・ハミルトンが、そんなギルバートを横目にため息をついた。
ジェームズは、ハミルトン侯爵家の嫡男で、赤い髪を爽やかに短髪で整えた、高い身長と大きな体格を持つ、はきはきとした性格の人物で、デリカシーのないところは多々あれど、ギルバートは彼のことを友人としてそれなりに気に入っていた。
「まあ…ショックだよな、わかるよ」
ジェームズはそう、同情した顔でギルバートに言った。ギルバートは、ばっと顔を上げて、ジェームズの顔を見た。
「なっ、なんでお前…」
婚約が決まってから即、婚約者から白い結婚を申し出られたことをなぜジェームズがすでに知っているのか、ギルバートは顔面蒼白で彼を見上げた。ジェームズは、当然だろ、と言った。
「あのミーナ・ワイアットとお前とじゃあ、全く持って釣り合ってない。お前ががっかりするのも仕方がない」
ジェームズはそう、哀れなものを見る目でギルバートを見た。ギルバートは、なんだ、と呟いた。
「そんなことか…」
「そんなこととはなんだ」
ジェームズはむっとしてギルバートを見た。ギルバートは腕を組んで、椅子に軽く背中をもたれかけた。
「家格はたしかに差があるが、事業の関係やその他諸々、ビジネスではそれなりにうまい話なんだよ、この結婚は」
「…そういうことを言っているんじゃない」
ジェームズが呆れた顔でいった。ギルバートは、ならなんだよ、ときょとんとする。ジェームズはギルバートと向き合った。
「ミーナ・ワイアットだぞ?鈍臭い性格に年頃の女のくせにだらしない体格、昔から皆の笑われものじゃないか。なんだあの体は、生活習慣のだらしなさが丸出しだ。俺はああいうのが一番気に食わない」
「お前な、男が女性の体のことを値踏みするようにとやかく言うもんじゃない。…というか、なんだお前、ミーナをそういう風にじろじろ見てるのか?やめろ今すぐにやめろ!人の婚約者を無闇矢鱈に見るな!遠くにある山でも見ておけ!」
ギルバートはそうジェームズに言い放ったあと、はっとした。人にそんな御高説をたれておいて、自分はクラスメイトたちの、見た目が好みの女子生徒の話題に乗ってしまっていたではないか、と。
ミーナが好きだということが周りに知られそうで慌てて、違うと言い張るために咄嗟にあんな話に乗ってしまったあの日の自分を、ギルバートは呪う。
あの日男らしくどっしり構えていれば、クラスメイトたちのあんな話に乗らずに済んだし、あの夏の日にミーナにしょうもない嘘をつかずに済んだのかもしれない。
突然固まるギルバートを、怪訝そうな顔でジェームズは見つめる。
「…なんだそれは。お前は昔からミーナを庇っていたが、それはあの女が好きだったからか?」
「なっ、ち、違う!男として…、紳士として忠告しているんだ!そういう物言いはお前の品性を貶めるぞ!」
ギルバートは焦りながらジェームズにそう言い放つ。ジェームズは、ギルバートがミーナを好きではないことを確認して少しだけ安心したのか、小さく息をついた。
「…まあ、親が決めたことだ。家のための結婚なんだから、それに従うほかない…けれど…」
ジェームズは無念そうにギルバートを見つめる。ギルバートは、ジェームズの言葉に、はっと息を呑む。
「…そうだ、従うほかない、…その通りだ」
ギルバートは勢いよく椅子から立ち上がった。ジェームズは少し驚いたようにギルバートを見上げた。
「それじゃあ、また明日」
ギルバートはそう言い残すと、颯爽とジェームズの前から去った。ジェームズはそんなギルバートに首を傾げた。
「(…そうだ、結婚は家のためにするんだ、その意味を考えれば白い結婚なんて許されるわけがない)」
ギルバートはそう考えながら、ミーナの姿を探した。寮に戻っていなければ、校内を歩き回れば見つかるかもしれない、そう思いながらギルバートは校内を回った。
「あっ…」
カフェテリアについた時、ミーナの姿をギルバートはみつけた。ギルバートは歩みを速めて彼女の背中に近づく。
ミーナに声をかけようとした瞬間、ギルバートは彼女が友人と2人でお茶をしていることに気がつく。
「(…流石に今は、駄目か…)」
ギルバートはそう思い、声をかけるのをやめた。
すると、ミーナと向かい合って座る女子生徒と目が合った。ギルバートは彼女が、今日の昼に話した人物だと思い出す。
「(…本当によくミーナといるな。仲がいいんだな…)」
ギルバートがそんなことを考えていると、友人の視線に気がついたらしいミーナが、どうしたの?と声をかけた。友人は、ええっと…、と曖昧に笑う。不思議そうにミーナが振り向くと、ギルバートと目が合った。
ミーナはギルバートと目が合うと、目を丸くして、そしてどこか気まずそうに友人を見た。
ギルバートは、すまない、とミーナに声をかけた。
「通りがかっただけだ、もう行く」
ギルバートはそう言って去ろうとした。しかしミーナが、待って、と呼び止めた。
ミーナは立ち上がると、どうぞ、と自分の座っていた席にギルバートを促した。ギルバートは、えっ、と目を丸くする。
「い、いや、俺は…」
ミーナの友人の輪に混ぜてもらうのはさすがに気が引けて、ギルバートは頭を小さく横に振る。するとミーナは、お気になさらず、と、ギルバートに笑顔を向けた。
「私、もう行きますから」
ミーナはそう言うと、荷物を持って歩き出した。ギルバートは意味が分からずに動揺する。
「ま、待っ…」
「あっ、ユーリ、ユーリ!」
ミーナは、向こうから歩いてきた弟のユーリに近寄った。ユーリはミーナを見ると、あっ、ねえさま、と嬉しそうに目を細めた。相変わらず、自分には決して向けないユーリのきらきら輝く笑顔に、ギルバートは何度見てもとんでもない違和感を覚える。
「どうかされたんですか、ねえさま?」
「あの…、ユーリとお話がしたいなって…。構わないかしら」
「えっ?いいんですか、ねえさま!僕とっても嬉しいです!」
ユーリはにこにことミーナと話す。自分といるときと違って素直で健気な姿に、この二重人格め…、とギルバートは心の中で悪態をつく。
ユーリはギルバートの姿に気がつくと、意地悪そうに眉を上げた。そしてまた可愛い弟の顔をしてミーナの方を見て、早くいきましょうねえさま、と甘えた声を出した。
「(…あいつ、俺がミーナから避けられたのをわかってなおミーナの誘いを受けたな…!)」
「…こんにちは」
ギリギリと歯ぎしりをするギルバートを、ミーナの友人が見上げて微笑んだ。
ギルバートは、友人の方を見ると、あ、ああ…、と曖昧に返した。昼間、いきなり初対面の男の手を触ってきた彼女のことがギルバートには理解ができず、なんとなく警戒してしまう。
「すまなかった、2人の邪魔をしてしまって」
ギルバートはミーナの友人に謝りながら、そもそもなぜミーナは彼女を置いて自分だけ去ったのだろう、という疑問が浮かぶ。
「(…友人を置いていく違和感を考えられないくらい、俺とは顔を合わせたくなかったのか…。オリバーと結婚できず渋々俺と結婚することになったから…!)」
ギルバートは、そんな考えに至り、項垂れたくなる。
するとミーナの友人は、いえ、と頭を振りながら赤い瞳をゆっくり細めた。
「私、一度あなたとちゃんとお話がしてみたかったから」
ミーナの友人は、そう妖艶に微笑むと、ギルバートを上目遣いで見つめた。ギルバートは、そんなミーナの友人に怪訝そうな顔をする。
「今からお時間ありますか?」
ミーナの友人はそう尋ねる。ギルバートは眉を少しだけひそめると、失礼、と彼女から目をそらした。
「俺には婚約者がいる。それなのに他の女性と、深い意味はなくとも2人きりでいることは俺の信条に反する。それに君も、あらぬ誤解を周りから受けてしまいかねない」
ギルバートはそう言うと、邪魔をして申し訳なかった、と再び謝り、ミーナの友人の前から去った。
その日、ギルバートはミーナと話すことは叶わず、すごすごと宿舎に戻ると、日課の勉強を始めた。いつもなら決まった時間になれば眠たくなるのに、今日はどれだけ時間が過ぎても眠気が訪れなかった。
「(…あああ…)」
ギルバートはペンを置くと、頭を抱えて後ろにのけぞった。すると、もう眠ろうとしていたらしい同室のレーガが、大丈夫?と心配そうに声をかけた。
彼は、オーガス男爵家の次男で、おとなしく目立たない雰囲気の生徒である。
ギルバートは背筋を伸ばすと、すまなかった、静かにする、と、先ほどのことがなかったかのように凛として、また机に向かった。レーガは小首をかしげたあと、む、無理はせず…、と呟くと、布団に入った。
ギルバートはしばらく勉強を続けたが、やはり眠くなどならない。ギルバートは頬杖をついて小さく息を吐いた。
ーーーギル、
幼いミーナの声が頭に響く。両ひざをたたんでうずくまる幼いギルバートを、ミーナが優しく包み込む。
ーーー大丈夫だよ。もうこれ以上、1人で苦しまなくて良い。
ギルバートは、はっとして息を呑んだ。懐かしい記憶に胸が痛くなって、もう勉強など頭にはいらなくなった。ギルバートは諦めてペンを置いた。
「(…ランニングでもしてくるか……)」
ギルバートはそう思い立つと、椅子から立ち上がった。もう夜だけれど、校舎内ならば特に危険もないため、消灯の時間まで宿舎の周りを走ることはよくあった。
ギルバートはすでに就寝していたレーガを起こさないように静かに部屋から出ると、宿舎の廊下を歩いた。
すると、ロビーにあるソファーに、ユーリが座っていた。
「ギルバート、どうしたのさこんな夜に」
ユーリが意地悪く目を細める。ギルバートはムッとした顔で彼に近づく。
「お前、俺がミーナに避けられたのを知ってて彼女の誘いに乗っただろ」
「ねえさまがギルバートを避けたそうだったから、逃げ道を作ってあげたまでだよ。ここで僕がねえさまを突き放したら、ねえさまがあんまりにもかわいそうだ」
ユーリはそうわざとらしい口調で言うと、またにやりと目を細めた。ギルバートは口を固く結んで、恨めしそうにユーリを睨みつけた。
ユーリは、でも…、とつぶやいて腕を組んだ。
「なんだかねえさま、普段と雰囲気が違ったなあ」
ユーリの言葉に、はっとしてギルバートはユーリを見た。
「そう…だよな、そうだよな!やっぱりおかしいよな?」
ギルバートはユーリの方に詰め寄った。ユーリは、少しギョッとしながら、近すぎるギルバートを怪訝そうに、うん…、と頷いた。
「なんていうか、いつもならもっとぽわぽわしてて、にこにこしてるのに、今日はずーんと暗くて、…うーん、とにかくねえさまらしくなかったな」
「やはり…。何かミーナにあったのだろうか…」
腕を組んで考え込むギルバートを、ユーリがじとーっと見つめる。ギルバートは、なんだ、と尋ねる。
ユーリは人差し指を立ててくるくる回しながら、まあさー、と口をひらいた。
「よっぽどショックだったのかもね、ねえさま。たいして好きでもない男と結婚させられることになっちゃってさ」
「うっ」
「うーん、でもあんなに落ち込んじゃうってことは、ギルバートのこと苦手…なんなら嫌い、なのかな?無理もないよね、ギルバートって暑苦しいとこあるし、古臭いし煩いし」
「あああ暑苦しっ…古臭っ…!?俺のどこがだ!」
「男ならとか、男らしく、とかそればっかだし。ねえさまっておっとりしてるから、そういうのニガテそー」
ユーリは自分の顎に手を添えると、ギルバートの反応を楽しそうに見据えた。ギルバートは、ユーリから言われたことの衝撃で、一時停止する。
するとユーリが、時計を見て、あ、と声を漏らした。
「もうちょっとしたら消灯の時間だよ。それじゃあね、ギルバート」
ユーリはそう言うと立ち上がり、手をひらひらと振ると、いまだに止まったままのギルバートを置いて立ち去った。
残されたギルバートは、消灯を知らせる鐘が鳴り響くまで硬直し続けた。




