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7-1過去は襲いかかる

ギルバートと話していたはずのアイリーンに連れ去られながら、ミーナはよかったの?と尋ねた。アイリーンは、え?とつぶやくと立ち止まった。そして、ミーナの目を見た。

ミーナは、彼女のきれいな瞳を見ていられずに目を伏せる。


「ギルバートと話していたのに…」

「…どういうこと?」

「…好き、なんでしょ?ギルバートのこと…」

「…」


アイリーンはミーナのほうを見つめた。ミーナは目を伏せて、彼女の答えが怖くて身構えた。

アイリーンは、ミーナの手を取ると両手で包んだ。


「そんなわけない。私はギルバートなんか好きじゃない。そもそも、大切な友だちの、その婚約者だなんて好きな人の選択肢にすら入らないわ」


アイリーンはそう真剣に言うと頭を横に振った。ミーナはそんなアイリーンをおずおずと見つめる。


「アイリーン、…私のことは気にしなくていいのよ。好きなら好きだと言って。私はあの人と結婚はするけれど、…それだけ。何の関わりも持つ気がないの」

「…ねえミーナ、私ね、ギルバートが私のことを好きだっていうのはもとから知っていたわ。この学園のみんなが知っているんだもの。それを聞いたときはなんとも思わなかった。でも、あの男があなたの婚約者になったって知ったときは私、…とっても心細かった。大好きな人の婚約者が私のことを好きだなんて、とてもつらかった。だってこれまで何度も、友だちの好きな人が私を好きになって、そのたびに私が嫌われたから。勝手に私を好きになったのは向こうなのに、私ばかりが悪者にされた。せっかくミーナと仲良くなれたのに、また同じ轍を踏んじゃうんじゃないかって考えたら私…」

「…アイリーン…」

「私はねミーナ、私が怖いのは、婚約者がいるのに執拗に私を諦めない不誠実な男のせいで、大切なあなたを失うことよ」


アイリーンはそう瞳を揺らして言うと、ミーナに抱きついた。

ミーナは、頼りない彼女の姿に胸を締め付けられる。ミーナだって彼女が好きなのである。嫉妬なんかしたくない。彼女とこれまでみたいに笑っていたい。

ミーナは、ごめんね…、とアイリーンに謝った。


「私、あなたのことを疑っていたわ。私の知らないところで2人は付き合ってるんだって。…本当にごめんなさい…」

「ううん、誤解させてごめんね。私の方はなんとも思ってないの。それは信じてね」

「うん」


ミーナはアイリーンを見つめて頷いた。アイリーンは嬉しそうに目を細める。ミーナはそんなアイリーンにつられて口元を緩める。


「…それより、結婚をしても関わりを持たないって、それって所謂…白い結婚ということ?」


アイリーンがそう、ミーナに確かめるように尋ねた。ミーナは、え、ええ…、と苦笑いをもらした。するとアイリーンは、目を輝かしてミーナを見つめた。


「とっっても素敵だと思う。そうするのがいい。結婚したら、ミーナだけ別荘に住んだらいいのよ。そこが気に入らなければもう一軒家を建てさせるの。ギルバートの家なら容易いでしょう」


勢いよく話すアイリーンに、ミーナはすこし気圧されながら、え、ええ…、と頷く。アイリーンは、今一度ミーナの手を取った。


「あんな男にあなたの全てを許しては駄目。男なんてみんな信用ならなくて、利己的で、女性にどうやって手を出すかということにしか頭が働かないの」


アイリーンはそうミーナに説き伏せる。ミーナはアイリーンの主張に圧倒されながら、そ、そうなのね…、と頷いた。

アイリーンはミーナの様子に満足すると、さ、いきましょ、と手を引いて歩き出した。ミーナはアイリーンと手をつないで歩きながら、ぼんやりと考える。  


「(…アイリーンのことがただの噂でよかった…。けれどそうなると、ギルバートは片思いだったんだ)」


ミーナは、アイリーンに声をかけて話しかけたり、手をつないだりしていたらしいギルバートに意外な気持ちになる。アイリーンにその気がない、ということは、ギルバートが一方的に迫っていたということになる。


普段から男は恋愛にうつつを抜かさない、そんなのはみっともない、だの、男は女性に馴れ馴れしくしない、だの、堅苦しく古いことをずっと言っていた彼が、好きな人に対してはかなり大胆になるんだなと、ミーナは心のなかで思う。意外だなあ、と思う反面、彼にとっての特別な人への対応に胸が痛くなる。それは自分には向けられないものだと想えば、ミーナはまた自分が虚しくなった。










午後の授業を終えて、ミーナはなんとなく宿舎に戻りたくなくて、当てもなく校舎内を歩いていた。

もうすぐ夏が来る静かな風が頬を撫でる。真っ青な空を廊下の窓から見上げて、晴れない自分の心に余計に気持ちが沈む。


すると、前方からガーベラとその友人たちが歩いてきた。

ミーナは窓から視線を移して、はっと姿勢が伸びる。こちらをみてにやにやと笑う彼女たちに、合わせてミーナも口角を上げる。心は怖いはずなのに顔は笑わなくてはいけないから、頭が混乱する。


「まだアイリーンと仲良くしているの?」


ガーベラの友達がミーナに意地悪い顔で言った。ミーナは、苦笑いしか返せない。


「そんなにアイリーンが好きなら、ギルバートをあげたらいいのに」


ねえ、と友人たちがくすくすと笑う。

ミーナは口角だけ無理にあげているから、唇がひくひくと痙攣する。

するとガーベラが、だめよ、と友人たちを制した。ミーナは、はっとしてガーベラを見上げた。窓から差し込む太陽の光がガーベラを照らす。ミーナはどこか期待して彼女を見つめる。しかしガーベラは、可笑しそうに目を細める。


「もうとられてるのよ、とっくにね」


ガーベラはそう言って窓の外を見た。そして、ほら見なさい、とミーナの髪を引っ張った。ミーナがされるがままに窓の外をのぞき込むと、ギルバートと2人で何やら話しているアイリーンを見かけた。アイリーンはギルバートの手にある紙袋から何かをもらって嬉しそうに笑っている。

ミーナははっとして、窓から視線をそらした。するとガーベラがミーナの耳元で囁いた。


「あなたって、人を見る目がないのね」


ガーベラはそう言うとミーナの髪から手を離して、距離を取った。ミーナは、そ、そうなのかなあ、と苦笑いを漏らすしかなかった。ガーベラは情けないミーナを鼻で笑うと、友人を引き連れて去っていってしまった。














ミーナは、ガーベラから離れたあと、中庭のベンチに座ってぼんやりと空を見上げていた。


「(…あの時、期待しちゃった。ガーベラがまた私に、優しくしてくれるんじゃないかって……)」


こんなことになってもまだ、ガーベラにかつての面影を求める自分の未練たらしさにミーナは悔しくなる。ミーナは未だに、あんなふうに自分に冷たくしてくるガーベラを受け入れられなくて、もしかしたら次会ったときは優しくしてもらえるのかもしれない、なんて期待してしまっている。


「(…なんで、こんなことになっちゃったんだろう…ガーベラ……)」


ミーナはため息をついて目を伏せた。風に髪を揺らされながら、ミーナは、重い気持ちを抱える。


「(…なんだか、何もかもうまくいかない。…好きな人は友達が好きで、大好きだった友達からは嫌われて…)」


なんだか、世界から爪弾きにされてしまった気分である。いや、もとからこの世界の一員になれていたことなんかなかったのかもしれない。いつも笑われて、馬鹿にされて、でも必死にへらへら笑ってなんでもないふりをして、しがみついていただけ。


「こんなところにいた」


声がして、振り向くとギルバートがいた。ミーナは、ギルバート…、と声を漏らした。

ギルバートはミーナの前に来ると、少し安心したように息を吐いた。そして、まっすぐにミーナを見つめた。


「(…この人はいつも、私を弾き出す人たちを怒ってくれてたな)」


そんなことを思い出して泣きそうになる。自分ですら、笑われてもしょうがないんだと受け入れるしかなかったのに、ギルバートは真正面から笑う人たちを怒ってくれた。


「(…優しい人だから、好きな人だから、だからこそ、私なんかのせいで不自由になってほしくない)」


ミーナは口の中を噛んで、必死に涙をこらえる。すると、ギルバートがミーナの前に紙袋を差し出した。


「これ…」


見覚えのある紙袋だと、受け取りながらミーナは思う。


「(…前もらった紙袋…、さっきアイリーンにあげてたやつかな…)」

「前の話の続きがしたくて、…時間あるか」


ギルバートはバツが悪そうに言う。ミーナは、前の話、と言われて身体に力がはいる。ミーナは、手にある紙袋を見つめて、中身を確認した。そこには、かたちのきれいなフィナンシェが入っていた。


「…ねえ、食べ物で釣ろうとしてるの?」

「え?甘いもの好きだろ?」

「好きだけど…」


ミーナは、なんとなく食べ物で釣られることが恥ずかしくて赤面する。やっぱりギルバートにとって自分はそういうイメージなのか、と思うと更に恥ずかしくなる。

ギルバートはミーナの返事を待たずに隣に座った。そして、食べないのか、と聞いた。

ミーナは、自分に対する何とも色気のない彼からのイメージに今更ショックを受けたため、なんとなく食べにくく、うん…、と言葉を濁した。するとギルバートが、ん?と怪訝そうにミーナを見た。


「まさか君、また減量を始めたのか?」 

「えっ?は、はじめてない、はじめてないよ…」


ミーナはそう答えると、紙袋からフィナンシェを取り出して大きめにかぶりついた。そして、もぐもぐと、別に痩せようなんてしてません、というアピールをした。そんなミーナに、なぜか安心したようにギルバートが目を細めた。


「(…そして、なんでこんなに美味しいのこのお菓子…)…また例の友達にもらったの?」

「ああ。宿題を見たら、お礼にとくれたんだ」

「その友達、あなたが甘いものを食べられないこと知らないの?」

「いいや」

「…でも相手はくれるし、あなたももらうの?」

「まあ」


ミーナは不思議そうにギルバートを見る。ギルバートはバツが悪そうに目線を泳がせる。

しかしすぐに、ミーナは、甘いものに目がないアイリーンのことを思い出す。甘いものを嬉しそうに食べる彼女の愛らしさをほぼ毎日目の当たりにしているミーナは、すぐにギルバートの意図がわかって落胆した。


「(…そっか、アイリーンにあげるためか…)」


同性からみても度が過ぎて可愛いのに、異性から、ましてや好意を持つ相手から見たら、あの可愛さはどれほどになるのだろう。想像するだけ虚しいから、ミーナはやめた。そして、これ以上ギルバートに聞くのはやめようと、ふーん…、とだけ返して終わらせた。


「(…私が甘いものでつられたら食い意地が張ってて、アイリーンなら可愛いとイメージしてしまうのはなんでだろう……)」


ミーナはふと、自分の頭に浮かぶイメージに不思議になる。

悶々としていたら、それで、とギルバートが話しかけた。


「俺は今日、前の話の続きがしたくて」


ギルバートの言葉に、ミーナは喉を詰まらせそうになる。ただでさえ口のなかの水分が奪われていたから、ミーナは飲み込むのにやっとだった。

なんとか口の中を空にして、ミーナは恐る恐るギルバートの方を見た。ギルバートは、ミーナの方ではなく、前を向いたまま話し続けていた。


「俺は別に、君に跡継ぎだけを期待しているとか、そういう話がしたかったわけではなくて…」


ギルバートはそう言いながら言葉を詰まらせる。

ミーナは、そんなギルバートの横顔を見つながら、前に彼とした話をじわじわと思い出してきた、


「(…そういえば私、跡継ぎは生みますとか言っちゃったんだっけ…)」


急に思い出した過去のトラウマから動揺して、とにかく逃げたくてそんなことを口走ったけれど、なかなかに生々しいことを自分が彼に言っていたのを今更理解して、ミーナは顔が熱くなり、背中にだらだらと冷や汗が流れた。


「(…それはつまり、私はギルバートと…そういう…)」


そこまで想像して、ミーナは脳内の映像処理が知識の限界を超えてクラッシュした。ミーナは、額に垂れた汗を手でばっとぬぐう。


「(…いや、好き放題増量している場合ではなかったのかもしれない…)」


ミーナは現実的な問題にぶちあたり、顔を青くする。興味を持たれていない相手とは言え、自分は恋心を確かに抱いている相手なので、全てをさらけ出さなくてはいけなくなったらと思うと、少しでも良いように見られたいと思ってしまう。

冷や汗をダラダラかくミーナの隣に座るギルバートは、真面目な顔でミーナの目を見つめた。


「俺は君と、前向きに、普通に結婚がしたいんだ」

「…え…」


ミーナは、ギルバートを見つめて固まる。ギルバートは真剣な眼差しでミーナを見つめている。


「(…あ、アイリーンが、好きなのに…?!迫るくらい好きなのに?!)」


ミーナは内心でそう仰天する。ミーナとの婚約が決まってなおアイリーンに好意を向けて彼女の気を引こうとしているのに、それなのになぜ、ミーナと普通の結婚がしたい、などと言えるのだろうか。


ミーナは咄嗟に、アイリーンが言っていた、男は信用ならない、という言葉が浮かぶ。しかしすぐ頭を振って、いやギルバートはそういう人ではない、と思い直す。


もとより真面目で、そして優しいギルバートが、ミーナと結婚しておいて他の人とどうこうするということは自分の良心が許さない行為だったのだろう。彼のあの厳格な父親だってそんなこと許さないだろう。

そんな心と、本当はアイリーンが好きだという本心が彼のなかでせめぎ合って、混乱してしまっているのではいか、とミーナは察する。


「(…困らせたくないのに…)」


ミーナは急にギルバートが気の毒に思える。きっと彼の優しさゆえ苦しんでいることがたくさんあるだろう、ミーナはそれを想像して、自分までつらくなる。

ミーナは、まだ何かを話しつづけているギルバートの手を取った。そして、自分の両手で包み、彼の目を見つめた。ギルバートは言葉をとめて、ミーナの目を見た。


「わかった、あなたの気持ちはよく、よくわかった」

「…み、ミーナ…」

「大丈夫だよ、だからこれ以上、1人で苦しまなくて良い。私はコートネイ家の嫁として努めは果たします。だからあなたは自由にしたらいいの。私はそれでいい。それでいいから」


ミーナはそう言ってギルバートに優しく微笑むと、ギルバートから手を離した。そして、彼を置いて1人で歩き出した。

ミーナはお腹についた無駄な肉を確認して、…とりあえずちょっとずつまた頑張ろうかな…、とため息をつきながら考えた。






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