6-1変われないのなら
土曜日のパーティーのあと、ミーナは一晩実家に泊まり、昼頃まで家にいた。
最後に家に帰ってきたときよりも痩せてしまったミーナを見て心配した両親が、ミーナにどんどん美味しそうなものを食べさせた。最初は抵抗感があったものの、1日くらいなら、と思いミーナは久しぶりに甘いものやこってりしたものを食べた。
昔から大好きでよく食べていたけれど、ジェームズによって禁止されていたものは涙が出るほど美味しく、ミーナは感動に震えた。
ケーキを頬張りながら、こんなに美味しいものを歯を食いしばって我慢してきた結果が昨日のギルバートの反応か、と冷静に思うと、ミーナは急激にやる気をなくした。こんなに美味しいものをやめてまで頑張っても、自分は所詮痩せた豚にしかなれないのだ。そう思うと、どうせたいして変われないのなら、美味しいものを食べたほうがいいや、という結論に至った。
細い美女はこんなもの食べないのだと諭されても、自分は痩せたとて美女にはなれないのだから。
こうしてミーナは、あっさりとダイエットをやめてしまった。
そして月曜日のランチ時、ミーナはアイリーンとカフェテリアに向かった。そして、クリーミーなパスタにケーキを2種類も頼んだ。アイリーンは、ミーナの持つトレーを見て目を丸くした。
「もうダイエットはやめたの?」
アイリーンに尋ねられて、…うん、とミーナは少しだけ後ろめたい気持ちで答える。するとミーナは、ぱっと顔を明るくした。
「なら、また一緒にケーキが食べられるのね」
アイリーンは嬉しそうに微笑んだ。そんな彼女に、ミーナはつられるように笑う。
2人で空いている席について、楽しくおしゃべりをしながらランチタイムを楽しんだ。
すると、いつものあの男が、ぬっとミーナのトレーを確認しに来た。
「ん、んんんん?」
ジェームズの目がぎろりと光る。ミーナはかなり気まずい気持ちで目を泳がせる。
「おい、ミーナ・ワイアット、これはなんだ?羽目を外すにしても限度があるぞ?これでは明日、かなり調整しないといけなくなるぞ?」
「…もう、やめたんです、ダイエット…」
「はあああ?!」
かなりお怒りモードのジェームズがミーナにメンチを切る。ミーナは、ご、ごめんなさい…、と謝る。
「散々手伝っていただいたのに…」
「そう思うなら、今すぐそれを食べるのをやめろ!俺のランチプレートと交換だ!!」
「も、もうやめようって、お、思って…」
「何を?!」
声を裏返して怒るジェームズの肩を、あとから来たギルバートが引いた。
「もういいだろ、本人が止めるって言ってるんだから」
ギルバートはそうジェームズをたしなめた。ジェームズは、よくない!とかなり激怒した様子で言った。 ギルバートはミーナのほうをちらりと見たあと、ほらいくぞ、とジェームズをひっぱってどこかへいった。ジェームズは引っ張られながらずっと、そんな根性なしとは思わなかった!がっかりだ!などとミーナに向かって叫んでいた。
ミーナは、これまでお世話になったジェームズに申し訳なく思いながら目を伏せる。すると、アイリーンが、やっといったわ、と安堵のため息をついた。
「本当に煩いわねあの男。乱暴そうだし、声が大きくて野蛮よ。それになんだかバカっぽい。…私、ほんっとうに心配してたの、ミーナがあんな男と2人でトレーニングしてるなんて。終わってくれて安心した」
アイリーンはミーナを見つめて微笑む。そして、さっ、と言ってデザート用のフォークを手に取った。
「さっきのは忘れて、頂きましょう」
「え、ええ…」
ジェームズのことを思い出して罪悪感にしゅんとするミーナを見て、もう、とアイリーンが口をとがらせた。
「ミーナは全然不健康じゃないもの。なんであの男があそこまでうるさいのか意味不明よ。気にしなくていいの。これから私とたくさん甘いもの食べましょうね」
アイリーンはそう言って微笑む。ミーナは、う、うん…、とぎこちなく微笑んで、ケーキを一口口に運んだ。
ミーナは食事制限をやめ、放課後のジェームズとの運動もやめてしまった。
すると、あんなに努力して痩せた体型はいとも簡単に戻ってしまった。それでも、もういいか、とミーナは思ってしまっていた。今は投げやりになってしまい、もうなんでもどうでもよくなっていた。
授業が終わった放課後、ミーナは一人で図書館まで歩いていた。すると、前方でガーベラと数人の女子生徒が輪になって話しているのが見えた。
ミーナは気まずい気持ちで緊張感を走らせながら、なるべく彼女たちを見ないように通り過ぎようとした。すると、ガーベラが、ねえ、と話しかけてきた。
ミーナは立ち止まると、笑顔を作って、なあに、と恐怖から震える声を抑えて返事をした。ガーベラは薄い唇に小さな笑みを浮かべてミーナを見ていた。
「なんだかあなた…太った?」
ガーベラがそう言うと、周りの女子たちもくすくすと笑った。ミーナは、うん、と苦笑いを浮かべた。一刻も早くこの場から去りたくてたまらなかった。ガーベラは、ふふ、と微笑んで目を細めた。
「一度だけ痩せたって、変われるわけないわ。あなたは性根から豚なんだもの」
ガーベラはそう言ってミーナの肩をぽんと叩いた。女子たちは、あの足、二の腕、などと指をさして笑う。彼女たちに嘲笑されながら、ミーナは昔を思い出す。ジャックを含むたくさんの男子に囲まれて笑われたあの日。どんなに苦しくてもガーベラの優しさに支えられてきた。それなのに、あの頃の彼女は幻想だった。
「(…早くいなくなりたい、ここから…)」
ミーナはなんとか笑顔を保って、それじゃあね、と言って去ろうとした。しかしガーベラは、アイリーンだけど、とまだ話しかけてきた。ミーナは立ち止まって振り返る。
「知らない?アイリーンの噂話」
ガーベラが楽しそうにミーナに話しかける。ミーナは頭を横に振る。そして、目を伏せる。
「あの…あんまり聞きたくない…かもしれない…」
ミーナはそう遠慮がちに言うと、苦笑いを漏らした。するとガーベラは、あら、と眉をひそめた。そんな彼女にミーナは怯む。
「せっかく善意で教えてあげるのに」
「ご、ごめんね…」
「知っておいたほうがいいわよ」
ガーベラに強引に言われて、ミーナは困惑する。ガーベラは、あの子、と笑いながら話を続けた。
「友だちの好きな人を尽く奪っていっちゃうんだって。人のものが好きなのよ」
「え…」
ミーナは声を漏らす。ガーベラのそばにいた女子生徒が、あなた知らないの?とあきれたように言った。
「有名な話よ。仲良くなった友だちの好きな人を知ってて、その人を自分の物にしてしまうのよ。周りの女の子たちは皆敬遠してるわよ?」
「ほんとうに鈍臭いのね、あなたって」
ねえ、と女子生徒たちは顔を見合わせて笑う。ミーナは、彼女たちの恐ろしい顔を呆然と見つめたあと、目を伏せる。
「あなた知らないの?」
ガーベラはそうミーナに囁く。ミーナは、えっ、と声を漏らす。
「私何回か見かけたわよ、ギルバートとアイリーンが2人で仲よさげに話してるところ」
ふふ、とガーベラは微笑む。ミーナは、動揺しながらも笑顔を見せて、そ、そうなんだ…、と返す。
「でも、…私があれこれ言うことじゃないから…」
ミーナは目を泳がせてそう返す。するとガーベラは、そうよねえ、とわざとらしい声で言う。
「まだ婚約中なだけだものね。学園の人たちも、婚約者がいても自由に恋愛を楽しんでる人はたくさんいるし。ましてやあなたなんかに、2人のことをつべこべいう権限なんかないわ」
ガーベラはそう言うと、行きましょうか、と周りの女子生徒たちに言って歩き出した。女子生徒たちはそれに続いて歩く。ミーナはしばらく呆然としていた。
その翌日、ミーナはアイリーンと2人で、カフェテリアで宿題をしていた。
ミーナは難しい宿題に頭を悩ませながら、昨日のことをふと思い出してしまった。
「(…そういえば、ギルバートはアイリーンが好きだけれど、アイリーンはどうなんだろう)」
ミーナはちらりとアイリーンを見つめてそんなことを思う。手をつないでいたという話も聞いたことがあるし、アイリーンもギルバートに気があるのかもしれない。もしも自分がいるから彼女が遠慮していたらどうしよう、ともミーナは思う。
「(…友だちの好きな人を奪うのが好き…)」
ミーナはそんな噂を思い出して、駄目だ駄目だと頭を振る。ただの噂に振り回されてはいけない。ましてや友だちのことなのに。
そうは思うけれど、友だちとはいえギルバートの好きな人であることは確かなので、ずっと胸のそこで複雑に抱えていた彼女への嫉妬が湧き上がる。ミーナはペンを止めて、考え込む。
すると、そんなミーナに気がついたアイリーンが、どうしたの?と首を傾げた。
「わからないとこがあるの?」
アイリーンは大きな瞳でミーナをじっと見つめる。吸い込まれそうなほどきれいな瞳に、この目を見てギルバートはどんなふうに胸を揺らされているのだろうかと思うと胸が痛んだ。
ミーナは、む、難しいねえ、と苦笑いをもらした。アイリーンは、ほんとよね、と声を出して頬杖をついた。
すると、あ、とアイリーンが声を漏らした。アイリーンの視線の先を見ると、紙袋を持ったギルバートがいた。
「あ…」
ミーナはぎこちなく会釈をした。ギルバートは、すぐ帰る、差し入れを持ってきただけだ、と早口で言うとミーナに紙袋を差し出した。ミーナは、ありがとう、と受け取って中身を確認した。中には美味しそうなカップケーキが2つはいっていた。
「これ…」
ミーナは不思議な気持ちで見つめる。ギルバートは昔から甘いものを食べない。そんな彼がこれを持っていることが不思議だった。
「友人からもらった。2人で食べるといい」
「えーっ、いいの?」
甘いものに目がないアイリーンは、目を輝かせてギルバートを見た。ミーナは、中の1つをアイリーンに手渡した。アイリーンは、ありがとうギルバート、と言うと、幸せそうに頬張りだした。ミーナはそんなアイリーンを見つめて小さく微笑む。
「…食べないのか?」
ギルバートに尋ねられて、えっ、とミーナは声を漏らした。
「減量は終わったと聞いていたんだが…」
「え、ええ、う、うん、頂くね」
ミーナはそう言うと慌ててカップケーキを一口食べた。食べたことがないほどふわふわで、ほどよい甘さのこのケーキは、驚くほどおいしかった。ミーナは、えっ、おいしい…、と真剣な声を漏らした。
するとアイリーンが、ね!なにこれ、ほんとに美味しいんだけど…!と目を輝かせてミーナの目を見た。ミーナは、本当にね…、と本気で感動しながらケーキを頬張った。
すると、なにやらアイリーンとギルバートが会話を始めた。ミーナははっとして、2人の会話を耳に入れないようにケーキに集中した。
「(…私の知らないうちに、2人がどんどん親しくなっていくんだ……)」
ミーナは、自分が入れない2人の仲を感じで置いてけぼりにさせられる。自分の知らないところで2人はきっとたくさん会っているのだ。2人が気を使って内緒にしているだけで、ミーナの知らない2人の空気がどんどん作られていくんだ。そう思うと、ミーナはどんどん頭が真っ白になった。
ガーベラの話を信じたくはないけれど、ミーナはあの日から、ギルバートを避けるようになった。
婚約が決まる前からずっと、校内で会えば軽く挨拶する程度の仲だったのだから避けたって変わらないだろう、と思いつつ、ミーナはギルバートと目が合うと会釈だけして逃げるようになった。
そんな日が続いて数日、ミーナはとうとう廊下でギルバートに呼び止められた。ミーナは笑顔をつくって、どうしたの、と返した。ギルバートは眉をひそめて、君…、と言った。
「なんだかおかしくないか?」
「おかしい?そ、そうかな…」
ミーナは、そんなつもりないんだけどな…、と苦笑いを漏らす。ギルバートがそんなミーナを訝しげな顔で見つめる。
ミーナが背中に冷や汗をかいていると、ふと、周りの人から見られていることに気がつく。
「(…違う、私じゃない、ギルバートが目立つだけ、私が見られているわけじゃない…)」
そう自分を落ち着かせようとするけれど、すればするほど、自分が笑われているような錯覚に陥る。ミーナは手に汗をためる。恐ろしくて、怖くて、足が震える。
あのガーベラでさえ笑っていたんだ、私のことを。それが世界の答えだ。
「(…私がアイリーンだったら、こんなふうに逃げたり、臆病になったりせずにいられただろうにな)」
ミーナはそんな残酷なことを考える。ぼんやりとしていたら、目の前をギルバートの手のひらが揺れた。
「聞いているか?俺は君と話が、」
「あっ!約束があったの、ごめんなさい、急がないと…」
ミーナはそう態とらしく言うと、ギルバートの前から歩きだした。するとギルバートが、それなら、とミーナを呼び止めた。
「放課後、中庭で待ってるから」
「あ…放課後も…予定が…」
「終わってからでいい」
待ってるから、とギルバートは言うと、ミーナの前から去った。ミーナは唇をかみしめて、大きなため息をついた。
放課後になり、ミーナは重い足取りで中庭に向かった。待ち合わせの場所にはすでにギルバートが腕を組んで待ち構えていた。ミーナは反射的に木の陰に隠れた。
「(…なんか、怒ってる…)」
ミーナは恐る恐るギルバートの様子をうかがう。たまに中庭を通り過ぎていく生徒たちが、ギルバートがものすごい形相で立っているのを、少しおびえながら見ている。
「(…そもそも話ってなんだろう…。話すことなんかあったかな…)」
ミーナは木にもたれて考える。考えてもわからず、そして、これ以上嫌なことを先延ばしにしても駄目だと観念して、ミーナは恐る恐るギルバートの傍に向かった。
「お、お待たせしました…」
「いや、いま来たところだ」
ギルバートはそう答える。ミーナは、今来たところの人が、この形相で腕を組みどんと構えるような仕上がりになるだろうか、と心のなかで思う。
ギルバートは手を腰に当てると、まあ座ったらどうだ、と言う。ミーナは、話が長そうだと察しながら、はい、と言ってそばにあるベンチに座った。ギルバートは人一人分ほどの距離を空けて隣に座った。
「…で、話なんだが」
ギルバートは軽く咳払いをした。ミーナは、肩に力が入ってしまうのを感じながら背筋を伸ばす。
「…の前に、なんなんだ最近の君は」
「え?」
「露骨に俺を避けている。…俺が君に何かしたか?」
ギルバートがじっとミーナを見る。ミーナはギルバートの方には視線をやらず、そうかなあ、ととぼける。
「そんなつもりなかったんだけど…」
「いいや避けている。婚約者に対してする態度じゃない」
ギルバートにそう言われて、自分はアイリーンが好きなくせに、とミーナはすこしむっとする。ミーナは目を伏せると、べつに、と言った。
「婚約者だからといって、格別に親しくする必要はないと思う。ましてや私たち、形だけの結婚になる予定なのに」
「そ、それを俺は認めていないと言っている!」
何をそんなにギルバートが嫌がるのか、ミーナには理解ができない。頑なに認めないギルバートに、ミーナはさらにむっとする。
「私別に、ギルバートとちゃんと結婚生活を送りたいとか、そんなこと望まないから。あなただって好きにしたらいいのよ。そのほうがお互い楽だから」
ミーナはそう言いながら、自分は不貞腐れているんだ、と思う。普段なら笑ってごめんねと言うところを、ミーナは譲れなかった。
「(…あのパーティーの日、ギルバートから何も言ってもらえなかったから、もう自棄になってるんだ)」
ミーナはそんなことを思う。ミーナは制服のスカートを握りしめて、息を吐きながら怒りを抑えようとする。
ギルバートはミーナに言い返されて一瞬固まったあと、軽く咳払いをした。
「…結婚はな、家同士がするものだ。俺たちだけの問題じゃない。安易に白い結婚だと言うけれど、それは果たして家族に対して誠実だろうか?」
ギルバートにそう言われて、ミーナははっとする。頭に優しい両親と可愛いユーリの顔が浮かんで、ミーナは息が詰まる。
両親が知ったらどれだけ悲しむだろう。ユーリは何も言わなかったけど、内心どんなふうに思っていたのだろう。改めて思うと、ミーナは胸が痛んだ。
そんなミーナの気持ちを察してか、ギルバートは椅子から立ち上がると、ミーナの前に立った。そして、片膝を立てて目を伏せるミーナの顔を覗き込んだ。
「卒業したら俺たちは結婚するんだ。君の気持ちもわかるけれど、白い結婚なんかに逃げないで、家のためにもその事実に向き合ってくれないか」
「……」
ミーナはギルバートの緑色の瞳を見つめる。きれいな瞳に映る醜い自分が見えて、反射的に息ができなくなる。
咄嗟に、笑いながら自分を指さす男の子たちの声がよみがえる。
不細工な豚だ、見たくない。
笑われる自分の背中を、ガーベラが撫でる。ミーナは安心して彼女を見つめる。けれどガーベラは言う、その通りね、と。
ミーナは、はっと息を呑んで、口元に手を当てた。深呼吸を繰り返して、なんとか気持ちを落ち着かせる。ギルバートが心配そうにミーナを見つめる。
「ミーナ?」
「…わかった、大丈夫、大丈夫よ。家のこと、そうよ当然よ。大丈夫。後継ぎのことはきちんと考えるから。だから何も問題ない。大丈夫。私のことは気にしないで」
ミーナはそう言うと立ち上がり、その場から逃げるように去った。思い出したくない過去の声に追い掛けられながら、ミーナは深く考えないように必死に足を動かした。




