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1-1世界が変わる日に

自分がこれまで見ていた世界が間違いだった、という経験はあるだろうか。ワイアット男爵家の長女、ミーナにはある。それもかなり最近の話。


ミーナは5年生として在学しているパブリックスクールにて、放課後、友人であるアイリーンに誘われて図書館へ向かう途中、昔からの親友だったガーベラが、彼女の友人と笑いながら自分のことを話していたのを聞いてしまったのだ。


季節は長い冬を越えた春。暖かい風に自分の赤茶色の髪が揺らされる中、いつもの優しい顔ではなく、魔女のように意地悪な顔をして笑うガーベラが目に飛び込んだ。


「ミーナ?ああいう豚が隣にいると私がよく引き立つでしょう?優しくしてたら私がいい人にも見えるし。便利なのよね、ああいう人って」


それに、ちょっと優しくしただけで尻尾ふっちゃって、と笑いながら話すガーベラに、ミーナは気が遠くなる。周りの音が瞬時にやんで、キーンという高音が脳内に鋭く鳴り響き続けた。


すると、ガーベラがミーナの方に気がついた。固まるミーナを見て、彼女はあからさまに顔をしかめた。

気まずそうな顔をしたアイリーンに支えられて、ミーナはその場を去ることしかできなかった。春の苦しいほど真っ青な空が、ミーナをどん底に突き落とした。



ガーベラは、ミーナと幼い頃から仲良くしてくれていた女性だった。すらりとした体躯に高い身長、凛とした美しい顔は皆の憧れで、それでも彼女はそれを鼻にかけることもなく、ミーナに対して優しく接してくれていた。


一方ミーナは、昔から普通よりも少しぽっちゃりとした体型で、おっとりとした性格と少し鈍くさいところから、同世代の男子たちからはからかいの対象になっていた。それに倣うように嘲笑する女子も少なくなかった。


どんなに笑われても馬鹿にされても、ミーナはつい笑顔を見せる癖があった。笑えばなんとなく周りの空気が和んで、その場が崩れないと思っていたからだ。どんなにからかっても泣かないミーナに、周りはどんどん無遠慮になっていった。


そんな状況でもガーベラは、ミーナのことを可愛い、と褒めてくれた。あなたが笑顔で、幸せそうにしているのだから、周りがあなたを馬鹿にしていようがそんなことは問題ではないのよ、と、からかわれるミーナをいつも慰めてくれた。


ガーベラから可愛いと褒められ、そして両親からも蝶よ花よと育てられてきたミーナはいつしか、周りからどんなにからかわれても、深く傷つきはせよ周りに心を閉ざしたりはしなかった。両親やガーベラが可愛いと言ってくれるものだから、どんなに周りに笑われても心を支えられてきた。


それなのについ先日、ミーナはガーベラの本心を聞いてしまったのだ。皆が馬鹿にしていたのと同様に、彼女も内心では馬鹿にしていたことが露呈した。

ミーナを肯定してくれるのは我が子を可愛がり続ける両親だけで、そんなものは客観的な意見ではなにもない。これまでガーベラと両親から守られ続けてきミーナの自己肯定感は、その日を境に音を立てて崩れ去った。


こうして、ミーナがこれまて見てきた世界は180度変わってしまった。






ガーベラ事件があったのが1週間前のことであるけれど、そのさらに5日後、ミーナの人生に関わる大きな事件が起きた。


「そうだミーナ、学校を卒業したらギルバートと結婚することになったから」


学校が休みの土曜日、実家へ帰った日の夕食後、父からさらっと言われた。ミーナは、えっ、と声を漏らして父を見た。


「ギルバート…ギルバートですか?コートネイ侯爵家の?ギルバート?」

「何を余所余所しい様子でいるのよ。あなた、ギルとは幼馴染じゃない」


母がそう微笑む。ミーナは固まって、ええっと…、と混乱から目を泳がせる。


「コートネイ家って、その、かなり大きい家では…?なぜ向こうが承諾したんですか…?」

「まあ、家格はかなり差があるけど、お互いの事業の関係で協力できそうだし、それに、昔からの知り合いだから良いかな、って」


父がおっとりとそう言う。良いかなって、というノリで決まるような結婚だろうか。ミーナは動揺から両親を交互に見た。

両親共に、ギルなら安心だよね、と嬉しそうに話している。ミーナが未だに納得いかない様子でいると、母が、どうしたの、と不思議そうな顔をした。


「あなた、ギルバートと仲良しだったじゃない」


母にそう言われて、ミーナは固まる。ミーナは目を伏せて、それは昔の話で…、とごにょごにょと口籠る。


仲良くしていたのはたしかに昔の話である。それどころか、ミーナは昔から現在に至るまでギルバートのことが好きなのである。


ギルバートとは、同い年の幼馴染で、現在同じパブリックスクールに通っている。

彼は綺麗な銀髪と緑色の瞳をした、背が高く細身の男性だ。眉目秀麗、文武両道の優等生で、学園内の生徒や教師から一目置かれた有名人である。家は父親の方針で、男らしくするように厳しく言いつけられているからか、男は泣かない、男に二言はない、等の口癖が彼の口からはよく聞かれた。性格はきついところもあるけれど、根は優しいことをミーナはよくわかっていた。


他の同年代の男たちと違い、ギルバートは決してミーナの体型や鈍くさいところを嘲笑したりはしなかった。むしろ、馬鹿にしてくる男たちを追いかけて叱りつけてくれる方だった。

そんなギルバートのことを、ミーナが好きになるのは当然だった。



ギルバートが自分のことをどう思っているのか気になっていた頃、恐らく2年生の春頃だっただろうか、ギルバートがクラスの男子たちに気になる女子はいるのか、という話を振られているところをミーナがたまたま聞いてしまった。


「はあ?いない」


ギルバートはそう素っ気なく答えると、次の授業の準備を始めた。男子たちは、目立つギルバートからなんとかそういう話を聞き出したいのか、しつこく彼を囲んで、手を変え品を変え質問を繰り返した。もとより女子生徒の名前すらほとんど口にしない彼の話を、どうしても聞きたかったのかもしれない。

ギルバートがうっとおしそうにしだした頃、とジャック・ベイリーという特にミーナを嘲笑していた男子が、じゃあやっぱりミーナか、と聞いた。


「昔から、やたらアイツがからかわれるのを庇っていたからな」


ジャックはそう笑いながらギルバートに話しかける。

ミーナは緊張して心臓が口から飛び出そうになった。ギルバートは、はあ?と呆れたように言った。


「違う」


そうギルバートはジャックを軽くあしらった。ジャックは、そりゃそうだよな、と笑う。ほかの男子が諦めずに、でもさ、とギルバートに話しかける。


「あんなにご令嬢たちから思いを寄せられて、誰も好きじゃないってのも変な話だよな?」

「そういうやつだっているだろ」


ギルバートが、ペンで机を叩いて、とうとう苛立ちの様子を見せ始めた。男子はしかし諦めず、いーやおかしい!としつこくギルバートに問いただした。ギルバートが面倒くさそうに、いない、と返すが、そんなわけないだろ、と男子が問い詰める。ギルバートが、はあ、とため息をつく。


「だからいないって」


そう返してとうとう席を立ったギルバートに、なら、と意地悪くジャックが話しかける。


「そう言うならミーナってことにする」

「なんでだよ…」

「一番可愛いって思ってる子でもいいから、教えろって」

「知らん」

「じゃあミーナだ」

「……」


ギルバートはしばらくの無言を貫いた後、観念したようにため息をついた。


「……アイリーン・アダムス」


ギルバートからようやく出た1人の女子生徒の名前に、周りは大盛り上がりとなった。アイリーンな!わかる!…ガーベラかと思った、等、男子たちは楽しそうに話を繰り広げ始めた。

ミーナは小さく息を吐くと、静かに教室の前から去った。





アイリーン・アダムスとは、アダムス伯爵家の一人娘である。金髪の真っ直ぐで長い髪に、宝石のような赤い瞳が特徴的な、まるでお人形のような容姿の女性である。ミーナは彼女と、4年生の頃から同じクラスになり、親しくなった。

最初はギルバートの好きな人ということでどう接したらいいかミーナはわからなかったのだけれど、人懐っこく接してくる彼女に、とうとういつの間にか友達同士になっていた。

アイリーンは見た目だけではなく性格も愛らしく、ミーナは彼女のことを好きになる度に、ギルバートはこういう人が好きなのかと胸が苦しくなっていた。







「(…好きな人がいる人と結婚…。しかも、周りから笑われているような私と……)」


両親を前にミーナは青い顔をして固まる。

大きくなるにつれて、ミーナは昔ほど丸っこくはなくなったけれど、顔はたしかに少し丸いし、足も腕も同年代の女の子よりもやや太い。


ミーナを笑っていた男子たちも学年が上がっていけば直接ミーナを馬鹿にしてくることなどなくなったけれど、通りすがりに嘲笑してくるのを聞いたことがある。


そんな自分とギルバートが、釣り合うわけがない。下手したら、自分なんかとギルバートが婚約者になることで、ギルバートまで笑われてしまわないだろうか。

自己肯定感が崩れたミーナは、この結婚にどんどん不安になる。

顔をどんどん青くするミーナに、ミーナ?と母が名前を呼んだ。ミーナは、はっとして母の目を見た。自分と同じ赤茶色の髪が、小首をかしげた拍子に揺れているのが見える。


「大丈夫?具合でも悪いの?」

「い、いえ…」

「ごはんもあんまり食べてなかったし…。だめよ、しっかり食べなくっちゃ」

「うっ、や、痩せないとって…」

「何を言っているの!何も太ってなんかないじゃない!」


こんなに可愛らしいのに何を言っているのよ、と母はミーナの頬を両手で包み、娘を愛おしくてたまらないという瞳で見つめる。父はミーナを見つめて、うっ、と涙ぐむ。


「…だめだ、やっぱりギルにあげるのが惜しくなってきた…。卒業後と言わずにもうちょっと家に居てもらおうか…」

「だめよ、もう決めちゃったじゃないですか!私だってとってもさみしいのにそんなこと言わないでください…!」


母までうるうると目に涙をにじませ始めた。昔と変わらずに手放しで褒めてくれる2人に囲まれながら、彼らの愛によって育まれてきたけれど、世間は彼らほど甘くはないことを今更にして知ってしまった彼女は、何とも言えない気持ちになる。


「ユーリも元気にしてる?」


母は、ミーナの弟のことを尋ねた。ユーリはミーナの一つ下の弟で、今回は学校の用事で帰宅しなかった。ミーナは、ええとっても、と微笑む。


「学業も優秀だし、とってもいい子にしているわ」

「ああよかった。たまには帰ってくるように言っておいてね。あの子、賢くてとってもいい子だから、考えすぎていないか心配で」


母はそう心配そうに目を伏せる。ミーナはそんな母に首を傾げつつも、はい、と頷いた。


「わかりました、そう伝えます」

「来月、親戚で集まる予定だから、それにユーリも呼ばなくちゃね」

「そうでしたね。それも伝えます」


ミーナはそう微笑みながらも、明日学校に帰ってギルバートと顔を合わせることになったら、この婚約の話になったら、と思うと、今からもう学校に戻りたくなかった。









日曜日の夕方、実家から帰ってきたミーナは、宿舎を出て中庭に向かうと、夕焼けに染まる木々をぼんやり眺めていた。


明日学校が始まることに胸が苦しくなりながら重いため息をついたとき、おい、と背後から声をかけられた。その声には聞き覚えがあり、ミーナは肩を震わせた。

恐る恐る振り向くと、そこにはギルバートがいた。あいも変わらず綺麗な銀髪と、涼しげな緑色の瞳がこちらを見下ろしていた。


「……ギルバート…」

「もう聞いたか?結婚の話は」

「……うん、お父様とお母様から」

「そうか」


ギルバートは淡々と話すため、感情が分からない。ミーナはギルバートから視線をそらす。隣に立った、自分のより背の高い影を見つめて、ねえ、と呟く。


「あなたはどう思うの?」

「どう?」

「結婚のことよ」


ミーナは、声が震えそうになるのを必死で抑えた。ギルバートは少し黙った後、まあ、と口を開いた。


「どうもこうもないだろ。親が決めたことに従うだけだ」


そう淡々と返すギルバートを、ミーナは見上げる。ギルバートはそんなミーナに少しだけ驚いたように目を開く。


「(…好きな人がいるのに、私なんかと結婚させられて……)」


ミーナは、申し訳ない思いと恥ずかしい思いで一杯になる。せめて自分がギルバートのことを何とも思っていなければ、とそう悔しい気持ちになる。それなら、家の決めたことだと割り切れたのに。好きだからこそ、彼の幸せを自分が阻害してしまう罪の重さを知ってしまうのだ。


「……ごめんなさい」  


ミーナはそう咄嗟に言うと、その場から走って逃げた。宿舎まで走りながら、目に涙がにじんで、喉の奥が苦しかった。途中で息が切れて立ち止まって、荒い呼吸を繰り返した。なんだか自分が途方もなく惨めで、ミーナは唇をかみしめる。


「(…なにか、…せめて、なにか、私にできること…。未来は変えられなくても、最善の方法……)」


ミーナは深呼吸をしながら、なにかいいアイデアはないか模索した。少しでも好きな人が幸せになれる未来に変えられる方法はないかと、ミーナはその夜一晩中考え続けた。

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