表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
没落した『元』貴族令嬢は、歌姫への道を駆けのぼる  作者: 冬生 恵
【第一幕】睡蓮座、デビュー
9/11

8.初演に向けて

 翌日も、またその翌日も、オデットたちは特訓に明け暮れた。

 フィリップの言葉通り、専属の講師がやって来るのは一日おき。そうでない日には、オデットたちソリスト候補四人は、『睡蓮座』所属の演出チームに教えを受けた。名作古典の楽譜を読んだり、様々な歌唱法を学んだり。専属講師にそれぞれ与えられた課題曲を、ひたすら歌い込むこともある。

 女性歌手の専属講師であるカミーユは、現役時代から変わらない、ミステリアスな容貌を誇る年齢不詳の美女だった。だが、彼女のオペラ哲学は意外なことに、「体力と根性」だ。カミーユの指導のもと、オデットとアンヌマリーの訓練時間の半分は、走り込みや筋力をつけるための運動、姿勢改善に費やされた。


(本当に、こんな練習ばっかりで、オペラが演じられるようになるのかしら……)


 不安に思っているのは、オデットだけではなさそうだった。彼女よりも三月も早く訓練を始めていたアンヌマリーは特に、カミーユが下す指示に複雑な顔で従っていた。

 

 そんな二人の疑心に、カミーユは気付いていたのだろう。ある日、彼女は、走り込みを終えた直後の二人に、これまでとは違う指示出した。


「アンヌマリーはF五、オデットはC六。合図をしたら、同時に出しなさい。良いと言うまでよ」


 顔を見合わせる二人に構わず、カミーユは「三、二、一、はい」と手を打ち鳴らす。オデットとアンヌマリーは、訳が分からないながらも、大人しく従った。


「――!」


 二人同時に目を見開く。

 訓練を始めた頃とは全く違う、安定した音域と声量。互いの声が混じり合い、支え合いながら、稽古室の天井を伸びやかに駆け抜けていく。

 再びカミーユが手を叩き、オデットとアンヌマリーはピタリと声を止めた。息切れすることもなく、真っ直ぐに背を伸ばして立つお互いを、信じられないものを見る目で見やる。

 カミーユはツンと顎を上げ、誇らしげに言った。


「……発声の基本は、筋力よ。身体のバランスを整えることで、お腹から出した声を、長く美しく響かせられるようになる。

どれだけ難解で、感動的な歌詞を口にしたって、観客に届かなければ意味がない」


 重みのある言葉に、オデットもアンヌマリーも息を飲む。珍しく小さく笑ったカミーユは、そんな二人に頷いてみせた。


「大丈夫。あんたたちは、確実に力をつけている。だからこそ、今は基本が何より大切なのよ」


 弾かれたように顔を上げた二人に、カミーユはいつもの冷徹な無表情に戻って言った。


「――さぁ、発声練習に戻るわよ」








「……旗揚げ公演の演目が決まったぞ」


 数日後、目の下にクマを浮かべたフィリップが、ノックもせずに稽古室に入ってきた。背後には、ジャンとモーリスを従えている。そして、男性歌手たちの専属講師である、『白鳥座』の先々代のプリモウォーモを務めた年配の男性が、そのあとに続いていた。老翁(ろうおう)はフィリップの師匠とも呼ぶべき存在で、カミーユ同様、彼の理想に共感して『睡蓮(すいれん)座』に力を貸しているそうだ。

 更に、アンサンブルの七人や、オーケストラも続々と集まってくる。広い稽古室は、気が付けば人でいっぱいになっていた。


 『睡蓮座』の(こけら)落としまで、あと三ヶ月。建物も完成に近くなり、少しずつその日が迫って来ているのを、皆が実感し始めた頃だった。


 その場に集まった全員の視線を浴び、どす黒い顔色のフィリップが、胸を張って告げた。


「我々の記念すべきデビュー公演の演目は……、『恋の喜劇』だ」


 皆が一斉に息を飲む。オデットも目を見開いた。


 『恋の喜劇』は、その名の通り、男女の恋愛のドタバタを描いた古典作品だ。

 好色な子爵家当主とその妻、彼らに仕えるメイドとその恋人が繰り広げる、恋のすれ違い。

 登場人物が少なく、歌詞とメロディーも分かりやすい。また、古典でありながら、主役をアルトとバスに任せるという、実験的な作品でもある。「親しみやすさと威厳を両立する、新しいオペラホール」という、『睡蓮座』の掲げる理念にピッタリな初演だった。


 ざわめく面々を制するように、フィリップは楽譜を配り始める。食い入るように譜面に目を通し始めるオデットたちに、フィリップは苦笑しながら口を開いた。


「……おいおい、まずは配役を聞いてくれよ。まあ、作品名から一目瞭然だろうが」


 彼は一人一人の顔に順番に目をやりながら、朗々とした声で言う。


「まず、主役。子爵はジャン、その夫人がアンヌマリー。

準主役の二人は、メイドがオデット、恋人役がモーリスだ。

それ以外は、アンサンブル部隊七人で演じ分けてもらう」


 ジャンとアンヌマリーが、顔を見合わせる。隠しきれない喜びを(にじ)ませる主役二人を眺めながら、フィリップは、カミーユと老翁に告げた。


「……お二人も、引き続きご指導のほど、お願いします」


 目線を向けられた二人の講師が、フィリップに頷き返した。

お気に召しましたら、リアクションいただけますと嬉しいです!

感想をいただけると、飛び上がって喜びます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ