7.穏やかなひと時
カミーユの地獄の特訓により、疲弊しきっていたオデットとアンヌマリーは、勢いよく夕食を平らげていた。
その様子を見ていたジャンが、モーリスを連れて二人のテーブルに歩み寄って来た。彼らはそれぞれ、両手にコーヒーカップを掲げている。オデットたちが顔を上げると、ジャンが悪戯っぽく笑って言った。
「食後のコーヒーをご一緒しても良いかい? お嬢さん方」
「……好きにすれば」
アンヌマリーのつっけんどんな物言いは、誰に対しても同じらしい。オデットが瞬きをしていると、ジャンは気にした様子もなく、モーリスを促して対面に腰掛けた。オデットはモーリスが持っていたカップを受け取る。
「ありがとうございます、モーリス」
オデットが丁寧に頭を下げると、モーリスは居心地悪そうに目線を逸らした。苦笑したジャンが、アンヌマリーに話し掛け始めた。
「こっちも三ヶ月間、体力作りで色々やってるけど……。そっちも大変そうだね」
「ホントよ。まさかオペラ歌手が、こんな体力勝負だと思わなかった」
憮然とボヤき、アンヌマリーがコーヒーカップを口に運ぶ。彼女のカップには、予めミルクがたっぷり入っていたようだ。
彼らの仲の良さを実感し、オデットは少し気後れする。
敏感に察したジャンが、オデットに話の矛先を向けた。
「オデットは、運動とか音楽とか、やってたの?」
二、三度瞬きをしたオデットは、おずおずと答えた。
「幼い頃から、乗馬を……。両親には叱られましたが、兄について回って、剣舞も少し教わりました。音楽は、ピアノやバイオリン、あと歌を一通り……」
「へぇ、すごい!」
感心したように、ジャンが素直に声を上げる。モーリスも目を丸くしており、アンヌマリーはどこか白けたように頬杖をついていた。
ジャンは一瞬そんなアンヌマリーに目をやり、和やかにオデットに笑い掛ける。
「みんなそれぞれに、色々経験してきたんだなぁ。協力して、一緒に頑張っていこうな」
おおらかなジャンの言葉に、オデットはホッとして頷く。コーヒーを一口含み、目の前の三人を交互に見やった。ちなみにアンサンブル部隊は、「お先」と声を掛けて食堂を離れていた。
オデットの視線を受けてジャンは微笑み、アンヌマリーに水を向けた。
「……マリーは、食堂でずっと歌ってたんだよな?」
「そうなんですか?」
オデットは、隣に座るアンヌマリーを振り返るが、彼女はコーヒーカップから視線を外さない。取り付く島のない彼女の雰囲気に、ジャンは「やれやれ」と呟いて、そのまま話を続けた。
「初めは酔った客に乗せられて、仕方なくだったのが、あっという間にファンがついたんだって。
評判を聞いて、流しの演奏家や旅芸人たちが店に押し掛けてきたんだろう? 彼らに練習をつけられて、更にファンが増えて」
「すごい……!」
目を見開くオデットに、アンヌマリーは顔を顰めて答えた。
「大袈裟だよ。たかが酒場の給仕の、手慰みだ」
「そんなこと……。私も、お食事をしながら、マリーの歌を聞いてみたいです」
瞳を輝かせるオデットに、アンヌマリーは「……変なヤツ」と呟いて顔を背ける。苦笑しながら見守っていたジャンが、今度はモーリスに声を掛けた。
「モーリスは、商家の出身だったよな?」
「うん……」
話しかけられて、モーリスは口ごもりながら頷いた。オデットの視線を受け、彼はそばかすの浮いた少女めいた顔を赤らめながら、ボソボソと話し始める。
「生活が苦しくなって、地方から王都に出て来たんだ。ちょうど、『睡蓮座』の寮の使用人を募集してたのを見て、応募したんだけど……」
「たまたま通りがかったフィリップさんが、『テノール!』って叫びながら、モーリスの両手をものすごい勢いで掴んだんだよな」
楽しげに笑うジャンに、モーリスは抗議の目を向けながら返した。
「笑いごとじゃない……。訳わかんなくて、誘拐されるのかと思った」
仏頂面のモーリスの肩を叩き、ジャンは笑う。オデットも仲の良い兄弟のような二人を見つめ、朗らかに笑った。
「フィリップさんが一瞬で飛び付くほどの、才能の持ち主なのね。すごいわ」
途端に、モーリスが頬を赤らめる。ジャンも目を丸くした。
オデットは、ジャン自身にも話の矛先を向ける。
「ジャンは? どうして『睡蓮座』に?」
「俺? 俺は……」
自分のことになると、なぜか口ごもり出すジャンに、オデットが首を傾げていると、我関せずを貫いていたアンヌマリーが会話に混ざった。
「……ジャンはもともと、『黄金座』にいたんだよ」
「えっ!?」
驚いて声を上げるオデットに、ジャンは気まずそうに頬をかいた。
「本当に、『いた』だけだよ。地元じゃそれなりに知られた音楽一家の生まれで、自信を持って『黄金座』の扉を叩いたんだけど……。ソリストどころか、アンサンブルにも選ばれなかった。
今後に迷ってたところに、『睡蓮座』を立ち上げたフィリップさんに声を掛けてもらったんだ」
「そうなんですか……」
感嘆の声をもらすオデットに、ジャンはくすぐったそうに笑う。彼は空になった席に目を向けた。そこは先ほどまで、アンサンブルの七人が腰掛けていた場所だ。
「アンサンブルのみんなも、他のホールで悩んでたり、流しの音楽家をしてたり。みんな、フィリップさんが可能性を見出して、連れて来たんだ。
フィリップさんの理想を体現する、『新時代のオペラ歌手』を目指して」
不機嫌そうなアンヌマリーも、引っ込み思案なモーリスも、ジャンの言葉に顔を上げる。彼は三人の顔を順番に見やり、誇らしげに告げた。
「オデットが来てくれて、やっと最後のピースが揃った。
実力をつけて、旧態依然のオペラ界を、俺たちで変えていこう」
やってやろうぜ、と力強い言葉を発したジャンに、アンヌマリーが苦笑した。
「あんた、そういう言葉、似合わないって」
「……ちょっと、格好付けてみたかったんだ」
照れるジャンに、オデットとモーリスが吹き出した。
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