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没落した『元』貴族令嬢は、歌姫への道を駆けのぼる  作者: 冬生 恵
【第一幕】睡蓮座、デビュー
7/10

6.みんなの理想

 元プリマドンナのカミーユと、侯爵夫人のマルグリットが、じっと顔を見合わせる。二人は同時に溜め息を吐き、フィリップに目を向けた。

 美女二人に睨まれたフィリップは、相変わらず苦笑いを浮かべながら、白いものが混じり始めた髪に長い指をやった。


「……(しょ)(ぱな)からプレッシャーを掛けすぎるのも、どうなんだと思いまして」


 バツが悪そうに呟いて、フィリップはオデットに向き直った。話について行けず、オデットはその場の全員を順繰りに眺めることしか出来ない。

 フィリップは真剣な顔つきで、困惑しっぱなしのオデットに語り始めた。


「我が国のオペラホールは、二極化している。王族や名家の人間が、箔付(はくづ)けと社交のために足を運ぶ、『白鳥座』や『黄金座』。一方、庶民向けのホールは、あられもない姿の男女が舞台上で絡み合う、いかがわしい場所だ。

――だから、若い世代や労働階級が、気軽にオペラを楽しめるホールを作ろうと思ってな。親しみやすさと、オペラの醍醐味(だいごみ)を両立した、そんなホールを」


 フィリップに年齢を尋ねたことなどないが、髪色や、目尻に細かく浮かんだ皺などから、それなりに年齢を重ねていることは分かっていた。そんな彼が、少年のように目を輝かせ、堪えきれないように笑みを零している。


(この方は……、本当にオペラが好きなのね。そして、カミーユや、ドラクロワ夫人も)


 オデットは息を飲んだ。輪の外に立つアンヌマリーも、知っている話ではあったようだが、それでも緊張に顔を強ばらせていた。

 しん、とその場が静まり返る。オデットとアンヌマリーは気圧され、フィリップとカミーユは、二人を見定めるように、じっと視線を据えている。

 そんな雰囲気を塗り替えるように、突然、マルグリットがオデットを背後から抱きすくめた。


「……ひぃや!?」


 豊満な胸を惜しげもなく背中に押し付けられ、オデットは悲鳴を上げた。カミーユが頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、フィリップとアンヌマリーは無言で視線を逸らす。

 微妙な空気をものともせず、マルグリットはオデットの耳元で、妖艶な笑い声を上げた。


「国の開業許可をやっとの思いで取得して、賛同者を募って。資金に目処(めど)が立って、建築が始まって。

……でも、肝心の出演者集めに、一番苦戦したのよね? フィリップ。アルト、テノール、バスは割とすぐ見付けたのに、ソプラノだけが『これ』と思う人間に出会えないって」

「まっ、ままま、マダム! お離しください!」


 両肩に回されていた侯爵夫人の右手が、少しずつオデットの脇腹を伝い降りてくる。指先の際どい動きに、オデットは動揺して叫んだ。マルグリットはどこ吹く風で、楽しげに続ける。


「だから、昨夜フィリップがあなたを連れ帰ってきたって聞いて、飛んで来たのよ? ……ふふ、顔が真っ赤。(わたくし)、あなたみたいな可愛い女の子、だぁいすき」

「~~~っ!!」


 耳に吐息を吹き込まれ、オデットは言葉にならない悲鳴を上げた。助けを求めて視線を彷徨(さまよ)わせるが、カミーユまでもが顔を背ける。

 涙ぐむオデットの顔に頬を寄せ、マルグリットが(ささや)いた。


「容姿は申し分ないわ。あとは、歌と芝居。

――私を、失望させないでね? 私の可愛い子猫ちゃん」


 するりと頬をなぞり、マルグリットの指が離れていく。ヘナヘナと崩れ落ちるオデットに構わず、マルグリットはカミーユに声を掛けてその場を立ち去った。

 扉が閉まる音が、弛緩(しかん)した空気の稽古室に響く。腰を抜かしたオデットと、生温い目をしたアンヌマリーに、フィリップは遠い目をして言った。


「……とりあえず、今日はもう解散。カミーユは一日おきに来るから、明日は自分たちで練習だ。おつかれさん」








 昨夜は地下の稽古室から、各自の部屋に直行したが、寮の中には食堂もあったらしい。「昨日は料理人が腰をやっちまってね」とぶっきらぼうに呟き、アンヌマリーはオデットを食堂に案内した。

 そこには、既にいくつもの人影があった。うち二人は、ジャンとモーリス。残りの見慣れない複数の人物が、オデットに向かって朗らかに手を振った。


「……アンサンブルのみんなだよ」


 きょとんとしたオデットに、アンヌマリーが一人ずつ名前を教えてくれる。

 男性が四名、奥からポール、マチュー、パスカル、フランソワ。向かいに腰掛けた女性三名が、レオニー、テレーズ、マドレーヌというそうだ。

 全員、二十代の前半から後半、ジャンと同世代に見える。オデットが一人一人に頭を下げると、彼らは思い思いに応えてくれた。


「よろしく」

「話聞いてるよ。大変だったわね」

「初日から、カミーユ先生の特訓だったんだろ? おつかれさん」


 笑顔や、同情するような表情。暖かな空気感に、オデットはホッと息をつく。アンヌマリーに促され、オデットは彼らに会釈(えしゃく)をして、配膳台に向かった。

 供されているのは、ゴロッと切った野菜がメインのスープと、ライ麦のパン。オデットは複雑な顔で、そのプレートを受け取った。

 そんな彼女を横目で見ていたアンヌマリーが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「……お貴族様からしたら、イヌのエサみたいなモンだろうけどさぁ」

「え?」


 アンヌマリーの表情に、オデットは驚いて顔を上げる。険しい目つきに気付き、慌てて首を振った。


「違うんです。……あたたかいスープなんて、久しぶりだなぁって、嬉しくて」


 アンヌマリーが目を見開く。様子をさりげなく伺っていた周囲も、ハッと息を飲んだ。

 オデットは幸せそうに微笑みながら、スープ皿を見下ろしている。気まずい表情を浮かべたアンヌマリーが、プイッと顔を逸らして言った。


「……空いてるとこに、さっさと座んな。スープが冷めるよ」

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