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没落した『元』貴族令嬢は、歌姫への道を駆けのぼる  作者: 冬生 恵
【第一幕】睡蓮座、デビュー
3/10

2.睡蓮座

 建築途中の大きな建物の脇を抜け、フィリップと名乗った男性は、地下へと降りて行った。キョロキョロと周囲を見渡しながら、オデットも恐る恐る階段に足を乗せる。ぐるぐると螺旋状になった階段の底に辿り着き、フィリップは木製の扉を開けた。そのまま中に誘われたオデットは、一度深呼吸して室内に足を踏み入れる。

 石と木を組み合わせて作られたその広い一室には、複数の男女が集っていた。一斉に注目を浴び、オデットは息を飲む。


「――全員集まってくれ。今日から加わった、新しいメンバーを紹介する」


 両手を打ち鳴らしてフィリップが言い、その部屋にいた男女が顔を見合せた。興味津々の様子の者、眉を(しか)めた者。様々な表情を見せ、彼らはオデットを囲むようにして集まってくる。

 帽子を取ったフィリップが、オデットを振り返る。明るいところで初めて見る彼の顔は、低い声によく似合う、渋みのある中年といった面持ちだった。彼は、オデットに「自己紹介」と促す。彼女は何が何だか分からないながらも、頷いて口を開いた。


「オデット・フルーリと申します。……あの、ここは……。皆さんは、いったい」

「オーナー。きちんと話もせずに、連れてきたんですか?」


 心配そうな表情を浮かべた青年が、オデットに目をやりながら、フィリップに問いかけている。フィリップは、「本人の同意は取ってるさ」と苦笑し、肩を(すく)めてみせた。青年は溜め息をつき、オデットに向き直る。


「よろしく、オデット。俺はジャン・マルタン。オペラホール『睡蓮座』の、ソリスト候補です」


 ジャンと名乗った青年は、安心させるように微笑んだ。年齢は二十代半ばぐらいだろうか。低いバリトンの声に、程よく鍛え上げられた身体つき。鳶色(とびいろ)の髪を短く整え、いかにも清潔感のある好青年といった面持ちだ。

 彼に促され、隣に立っていた少女が、どこか不機嫌そうに一歩前に歩み出る。十六であるオデットと同年代と(おぼ)しき、切れ長の碧色の瞳が印象的なスレンダーな美人は、つっけんどんに続けた。


「――アンヌマリー・デシャン。ソリスト候補」


 苦笑したジャンが次に目線を向けたのは、一転して線の細い少年だった。そばかすの浮かんだ中性的な顔立ちをしていて、澄んだテノールの声でおどおどと名乗る。


「……モーリス・ペランです。よ、よろしくお願いします……」


 オデットが三人の間で視線を彷徨わせていると、ジャンが再びニコリと笑ってみせた。


「ここが、半年後に旗揚げ公演を行う予定の、フィリップさんがオーナーを務めるオペラホールです。僕たちは、その『睡蓮座』の所属。ほかにも七名、アンサンブルがいるよ。

君も、『睡蓮座』に所属予定ということで合ってる?」


 オデットは、コクリと頷いた。


 道すがら、フィリップがオペラホールを立ち上げることを聞いていた。またオデットも、自分の身の上に起こった一部始終について彼に聞かれ、渋りながら答えていた。話が長くなり、それ以外のことは話しそびれていたのだ。

 黙ってジャンとオデットのやり取りを眺めていたアンヌマリーが、不意に鋭い眼差しをオデットに向けた。


「随分良いドレス。――ねぇ、オーナー。この子、お貴族様じゃないの?」


 オデットはギクリと息を飲んだ。フィリップは飄々(ひょうひょう)とした顔で、オデットに「自分で話せ」とだけ投げ掛けてくる。しばらく逡巡し、オデットは観念したように口を開いた。


「お恥ずかしい話ですが……実家が破産しました。人買いに娼館へ売られかけていたところを、こちらのフィリップさんに助けていただき……」


 ジャンは目を丸くし、アンヌマリーは鼻を鳴らし、モーリスは狼狽(うろた)える。オデットは暗い表情で、ここ数ヶ月の出来事を内心で振り返った。






 フルーリ家は、この国に長く根付く名門伯爵家だった。オデットも伯爵令嬢として、優しい両親と頼りになる兄、忠実な使用人に囲まれて、何不自由ない生活を送ってきた。

 だが、その生活は、三ヶ月前にあっけなく崩れ去った。父が友人の頼みを断れず、共同で出資した事業が失敗し、とても返し切れない額の借金を負ってしまったのだ。

 家財を売り払っても完済には及ばず、フルーリ家はその長い歴史の幕をおろした。一家は散り散りになり、オデットも身体で父の借金を返すことを強要されたのだ。

 女性――アンヌマリーは「良いドレス」と評してくれたが、今オデットが身につけているのは、古着とも呼ぶべきドレスだった。


(あそこでフィリップさんに声を掛けられなかったら、今頃どうなっていただろう……)


 オデットは思わず想像しかけ、全身を震わせる。十六歳の貴族の娘として、当たり前に婚約し、後継ぎを産んで平穏に暮らす未来しか知らなかったオデットだ。そんな彼女にとって、春をひさぐ娼婦の職は、到底受け入れ難いものだった。

 『オペラ歌手にならないか』という提案も、受けるかどうか迷ったのも事実だ。

 ただ、オデットはお転婆だった幼少期から乗馬を趣味とし、貴族令嬢の(たしな)みとして歌や楽器に親しんできた。歌手というのも悪くはないのかも知れないと、気持ちを切り替えた。芸に携わる人間に世間が向ける目も、決して好意的とは言えない。だが、娼婦になることを思えば、天と地ほどの差があった。


 物思いに(ふけ)っていたオデットは、不意に響いた声に我に返った。

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