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没落した『元』貴族令嬢は、歌姫への道を駆けのぼる  作者: 冬生 恵
【第一幕】睡蓮座、デビュー
11/13

10.恋の喜劇

 それからの稽古は、皆めいめいに苦戦する点はあったものの、比較的順調に進んでいった。

 彼らが演じる『恋の喜劇』の、大まかな話の筋はこうだ。

 

 若い頃から数々の女性と浮名を流してきた子爵の、今度の恋のお相手は、彼の屋敷に仕えるメイドだった。アプローチするものの、これまでと違い、若いメイドは一向になびかない。悔しさで夜も眠れない子爵を、夫人は冷たい目で見つめている。そのやり取りは滑稽(こっけい)で、笑いを誘うポイントだ。


 第二幕。夫人はメイドを、ひっそりと屋敷の一室に呼び出す。実は、彼女たちは従叔母(いとこおば)従姪(いとこめい)の関係だったのだ。これは、浮気性の夫を懲らしめるため、夫人が仕組んだ罠だった。

 密談をしている彼女たちの背後に、不意に現れる恵まれた体躯の青年。彼はメイドの幼なじみの軍人で、結婚を誓い合った仲だった。メイドの心変わりを疑い、怒りに我を忘れる彼に、夫人は事実を話した上で協力を求める。


 第三幕。メイドを追いかけ回す子爵のもとに、強面(こわもて)の男が屈強な仲間を引き連れて乗り込んでくる。もちろんその強面の男は、変装したメイドの恋人だ。彼のあまりの剣幕に、子爵は命の危険を覚え、懸命に許しを乞う。振り上げられた剣が、まさに子爵の銅を真っ二つにしようという、その時――。

 現れた夫人とメイドが、種明かしをする。自分を思う夫人の気持ちに、これまでの行いを反省した子爵は、改めて彼女を大切にすると誓った。

 最後は二人で、元メイドの結婚式に出席する場面で終わる。



 主役を務めるジャンとアンヌマリーが、最後の一節を歌い終える。

 空気が静まり返り、名門と老舗でかつて名声をほしいままにした二人の講師に、一斉に注目が集まった。



「……どう思う? カミーユ」

「……まぁ、悪くなかったのでは」



 年老いた元プリモウォーモが、隣に立つ美貌の元プリマドンナに声を掛ける。元プリマドンナのカミーユが表情を変えずに告げるが、彼女の評を聞いたオデットは目を輝かせて飛び上がった。


「――すごい! すごいです、ジャン、マリー! ぎこちなく再生の道を歩き始めた二人の、絶妙な距離感が伝わってきて……!」

「だーかーら、あんたは毎回大袈裟(おおげさ)なんだよ、こっ恥ずかしい!」


 頬を真っ赤にして()えるアンヌマリーに、オデットは「あら、事実ですもの」と笑う。はしゃぐ二人に溜め息をつき、カミーユが腰に手を当てて言った。


「もう間もなく、ホールも完成します。そこでの練習が始まるまで、気を抜くんじゃありませんよ」


 オデットたちは声を揃えて、元気よく返事をした。









「――準備は順調なようね」


 ある日の夜、王都のドラクロワ侯爵邸に呼びつけられたフィリップは、女主(おんなあるじ)(うやうや)しく頭を下げた。

 マルグリットは、先代のドラクロワ侯爵のただ一人の子として生まれ、婿を迎えて家を継いだ。実際に侯爵を名乗り、対外的な付き合いをこなすのは夫の役目だが、家内を取り仕切るのは彼女だった。

 今も、夜目にも鮮やかな真紅のドレスを身にまとい、応接間にくつろいだ様子で腰掛けている。黒檀の髪が彼女の動きに合わせ、(なまめ)めかしく揺れるのを、フィリップは見るとはなしに眺めていた。

 微かに笑ったマルグリットは、組んでいた脚を入れ替える。響く衣擦(きぬず)れの音れまで、優雅だった。


「その後、支援者は増えて?」

「マダムのお声かけのおかげで、両替商のサヴァリとクレソンが、新たに。あとは、師匠……ジャンたちの講師をお願いしているオノレにも、楽器商のプティを繋いでもらいました」


 手にしていた扇を軽く手のひらに打ち付け、マルグリットが満足げに笑う。『睡蓮(すいれん)座』を立ち上げると決めた時、フィリップが最初に頼ったのが、この生粋(きっすい)の趣味人だった。金銭面でも人員面でも多大な支援も受け、彼女の意見は無視出来ない。

 ほぅと息を吐くフィリップに、彼女は首を傾げながら続けた。


「……衣装は、難しいの?」


 及第点をもらえたと思ったそばから、難題が降ってくる。苦笑し、フィリップは困り顔を作って返した。


「有名どころは、『白鳥座』や『黄金座』に捕まえられており……。商業組合(ギルド)も、それらの顔色を伺って、なかなか」

「あらまぁ」


 弱音を吐く振りをするフィリップに、マルグリットは出来の悪い弟を叱るような表情を浮かべた。実際、フィリップは四十三歳、マルグリットは四十四歳。長年の関係性もあり、まるで頭が上がらないのだ。

 マルグリットは手にした扇を口許に当て、不意に微笑んだ。


「――メルシエの先代の奥方なら、伝手(つて)があるわよ?」


 フィリップは目を見開く。

 メルシエはこの国でも、老舗のオートクチュール店だ。形骸化(けいがいか)しつつあるギルドを嫌い、一匹狼を貫いている。高品質で貴族の愛好家も多いが、何せその分高額だ。

 フィリップは躊躇(ためら)いながら、マルグリットに反論した。


「すべてを無償提供というわけにはいかないでしょう。正直、初舞台も古着のリメイクで誤魔化しています。衣装代に、そこまでは()けない」

「情報収集はちゃんとなさいな。……跡取りの可愛い孫が、今後もオートクチュール一本でやっていけるのかと、色々考えているみたい。試験店舗を立ち上げて、プレタポルテも視野に入れているって。

――『睡蓮座』が広告塔になれば、両者両得なんじゃない?」


 フィリップは思わず息を飲んだ。マルグリットは、「ダメな子ねぇ」と言わんばかりの笑みを浮かべている。

 睡蓮座のオーナーは表情を切り替え、深く頭を下げて言った。


「……ぜひ、機会をいただければ」

「セッティングしておくわ」


 事もなげに言い、マルグリットはヒラヒラと扇を振る。退出を命じる仕種だと理解し、フィリップは再び頭を下げて(きびす)を返した。



「――フィリップ」



 真剣な声が、呼び止める。

 振り返った男に、マルグリットは真顔で尋ねた。



()()のことは?」

「『ギリギリまで黙っていてほしい』と、本人が望んでいます」


 間髪入れない言葉に、マルグリットは「そう」と(ささや)くように答える。いつもの強気で享楽的(きょうらくてき)な女主人の姿はそこにはなく、彼女は何かを(うれ)えるように呟いた。


「……それなら、私たちもそうするしかないわね」


 無言で頷いたフィリップは、今度こそマルグリットの前を辞した。

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