10.恋の喜劇
それからの稽古は、皆めいめいに苦戦する点はあったものの、比較的順調に進んでいった。
彼らが演じる『恋の喜劇』の、大まかな話の筋はこうだ。
若い頃から数々の女性と浮名を流してきた子爵の、今度の恋のお相手は、彼の屋敷に仕えるメイドだった。アプローチするものの、これまでと違い、若いメイドは一向になびかない。悔しさで夜も眠れない子爵を、夫人は冷たい目で見つめている。そのやり取りは滑稽で、笑いを誘うポイントだ。
第二幕。夫人はメイドを、ひっそりと屋敷の一室に呼び出す。実は、彼女たちは従叔母、従姪の関係だったのだ。これは、浮気性の夫を懲らしめるため、夫人が仕組んだ罠だった。
密談をしている彼女たちの背後に、不意に現れる恵まれた体躯の青年。彼はメイドの幼なじみの軍人で、結婚を誓い合った仲だった。メイドの心変わりを疑い、怒りに我を忘れる彼に、夫人は事実を話した上で協力を求める。
第三幕。メイドを追いかけ回す子爵のもとに、強面の男が屈強な仲間を引き連れて乗り込んでくる。もちろんその強面の男は、変装したメイドの恋人だ。彼のあまりの剣幕に、子爵は命の危険を覚え、懸命に許しを乞う。振り上げられた剣が、まさに子爵の銅を真っ二つにしようという、その時――。
現れた夫人とメイドが、種明かしをする。自分を思う夫人の気持ちに、これまでの行いを反省した子爵は、改めて彼女を大切にすると誓った。
最後は二人で、元メイドの結婚式に出席する場面で終わる。
主役を務めるジャンとアンヌマリーが、最後の一節を歌い終える。
空気が静まり返り、名門と老舗でかつて名声をほしいままにした二人の講師に、一斉に注目が集まった。
「……どう思う? カミーユ」
「……まぁ、悪くなかったのでは」
年老いた元プリモウォーモが、隣に立つ美貌の元プリマドンナに声を掛ける。元プリマドンナのカミーユが表情を変えずに告げるが、彼女の評を聞いたオデットは目を輝かせて飛び上がった。
「――すごい! すごいです、ジャン、マリー! ぎこちなく再生の道を歩き始めた二人の、絶妙な距離感が伝わってきて……!」
「だーかーら、あんたは毎回大袈裟なんだよ、こっ恥ずかしい!」
頬を真っ赤にして吠えるアンヌマリーに、オデットは「あら、事実ですもの」と笑う。はしゃぐ二人に溜め息をつき、カミーユが腰に手を当てて言った。
「もう間もなく、ホールも完成します。そこでの練習が始まるまで、気を抜くんじゃありませんよ」
オデットたちは声を揃えて、元気よく返事をした。
「――準備は順調なようね」
ある日の夜、王都のドラクロワ侯爵邸に呼びつけられたフィリップは、女主に恭しく頭を下げた。
マルグリットは、先代のドラクロワ侯爵のただ一人の子として生まれ、婿を迎えて家を継いだ。実際に侯爵を名乗り、対外的な付き合いをこなすのは夫の役目だが、家内を取り仕切るのは彼女だった。
今も、夜目にも鮮やかな真紅のドレスを身にまとい、応接間にくつろいだ様子で腰掛けている。黒檀の髪が彼女の動きに合わせ、艶めかしく揺れるのを、フィリップは見るとはなしに眺めていた。
微かに笑ったマルグリットは、組んでいた脚を入れ替える。響く衣擦れの音れまで、優雅だった。
「その後、支援者は増えて?」
「マダムのお声かけのおかげで、両替商のサヴァリとクレソンが、新たに。あとは、師匠……ジャンたちの講師をお願いしているオノレにも、楽器商のプティを繋いでもらいました」
手にしていた扇を軽く手のひらに打ち付け、マルグリットが満足げに笑う。『睡蓮座』を立ち上げると決めた時、フィリップが最初に頼ったのが、この生粋の趣味人だった。金銭面でも人員面でも多大な支援も受け、彼女の意見は無視出来ない。
ほぅと息を吐くフィリップに、彼女は首を傾げながら続けた。
「……衣装は、難しいの?」
及第点をもらえたと思ったそばから、難題が降ってくる。苦笑し、フィリップは困り顔を作って返した。
「有名どころは、『白鳥座』や『黄金座』に捕まえられており……。商業組合も、それらの顔色を伺って、なかなか」
「あらまぁ」
弱音を吐く振りをするフィリップに、マルグリットは出来の悪い弟を叱るような表情を浮かべた。実際、フィリップは四十三歳、マルグリットは四十四歳。長年の関係性もあり、まるで頭が上がらないのだ。
マルグリットは手にした扇を口許に当て、不意に微笑んだ。
「――メルシエの先代の奥方なら、伝手があるわよ?」
フィリップは目を見開く。
メルシエはこの国でも、老舗のオートクチュール店だ。形骸化しつつあるギルドを嫌い、一匹狼を貫いている。高品質で貴族の愛好家も多いが、何せその分高額だ。
フィリップは躊躇いながら、マルグリットに反論した。
「すべてを無償提供というわけにはいかないでしょう。正直、初舞台も古着のリメイクで誤魔化しています。衣装代に、そこまでは割けない」
「情報収集はちゃんとなさいな。……跡取りの可愛い孫が、今後もオートクチュール一本でやっていけるのかと、色々考えているみたい。試験店舗を立ち上げて、プレタポルテも視野に入れているって。
――『睡蓮座』が広告塔になれば、両者両得なんじゃない?」
フィリップは思わず息を飲んだ。マルグリットは、「ダメな子ねぇ」と言わんばかりの笑みを浮かべている。
睡蓮座のオーナーは表情を切り替え、深く頭を下げて言った。
「……ぜひ、機会をいただければ」
「セッティングしておくわ」
事もなげに言い、マルグリットはヒラヒラと扇を振る。退出を命じる仕種だと理解し、フィリップは再び頭を下げて踵を返した。
「――フィリップ」
真剣な声が、呼び止める。
振り返った男に、マルグリットは真顔で尋ねた。
「彼女のことは?」
「『ギリギリまで黙っていてほしい』と、本人が望んでいます」
間髪入れない言葉に、マルグリットは「そう」と囁くように答える。いつもの強気で享楽的な女主人の姿はそこにはなく、彼女は何かを憂えるように呟いた。
「……それなら、私たちもそうするしかないわね」
無言で頷いたフィリップは、今度こそマルグリットの前を辞した。
お気に召しましたら、リアクションいただけますと嬉しいです!
感想をいただけると、飛び上がって喜びます。




