第4話:泥中の再会
「なあ、九条ちゃん。あんたと初めて会った時のこと、覚えてるか?」
火野が事務所の窓際で、安物のライターを弄びながら訊ねた。
「……興味のない記憶は、脳の容量を無駄にするだけだ」
九条漸はデスクに向かったまま、一度も視線を上げずに答える。
「冷たいねえ。俺は一生忘れねえよ。あの『雨のスクラップ工場』の光景はな」
数年前。火野はまだ、裏社会の末端で這いずり回る「掃除屋」の駆け出しだった。
当時の仕事は、不始末をやらかした連中の後片付け。その日も、敵対組織に追い詰められた男が、スクラップ工場に逃げ込んだという情報を聞きつけ、現場へ向かった。
土砂降りの雨の中、巨大な磁石が吊るされたクレーンが、鉄の塊を乱暴に積み上げていく。
火野が見たのは、ありえない光景だった。
積み上がった廃車の山が、何かの拍子に崩落した。
数トンもの鉄の塊が、逃げ場のない一人の青年――二十歳そこそこの、今の九条――を目掛けて降り注いだ。
「あ、死んだ」
火野は直感的にそう思った。
凄まじい轟音。砂埃と火花。
鉄の濁流が止まった後、火野は死体を確認しようと歩み寄った。
だが、積み重なった廃車と廃車が絶妙な角度で噛み合い、わずか数十センチの「隙間」が生まれていた。その空洞の中に、九条は何の感情も浮かべない瞳で、ただ立ち尽くしていた。
「……おい。生きてんのか、あんた」
九条は、自分の頭のすぐ横に突き刺さった鉄骨を、一瞥もせずに答えた。
「ああ。また、間に合わなかったらしい」
その言葉の意味を、当時の火野は理解できなかった。
九条の周囲には、雨に混じって不自然なほどの「熱気」が漂っていた。火野には見えなかったが、その時、九条の背後には、彼の服を掴み、腕を引き、命がけで鉄の雨から守り抜いた、おびただしい数の「影」がひしめいていたのだ。
火野は、九条のその「死を拒絶された空虚な目」に魅入られた。
「面白い。あんた、死神に嫌われてるのか、それとも……」
「……先祖の過保護だ」
九条は短く吐き捨て、倒れ伏した追っ手たちの懐から、一通の血に濡れた封筒を拾い上げた。
それは、追っ手の一人が死ぬ間際に、故郷の母親へ宛てた未投函の手紙だった。
「この想いは、まだ重すぎる。……少し、薄めてやる必要がある」
それが、火野が目撃した最初の「漸託」だった。
九条が手紙に触れた瞬間、周囲の殺気立った空気が霧散し、雨音だけが静かに響き始めた。
「あの時、あんたがその手紙を『洗浄』したのを見て、俺は決めたんだ。この男についていけば、死体の山からでも金と面白い話が掘り出せるってな」
火野は懐かしそうに目を細め、タバコに火をつけた。
ハルが横で「そんな物騒な出会いだったんですか……」と、呆れたようにため息をつく。
九条は、ようやくペンを置き、火野を真っ直ぐに見据えた。
その瞳は、スクラップ工場で出会った時と同じ、凍てつくような透明さを保っている。
「火野。お前が私を拾ったのではない。……お前がそこにいたのも、単なる『偶然の重なり』だ。私が生かされている理由に、お前もまた、無意識に加担しているに過ぎない」
「へっ、相変わらず可愛くねえ理屈だ。ま、加担してやるよ、死ぬまでな。あんたは死ねねえんだから、俺の方が先に逝くだろうが」
火野は笑い飛ばし、「新しい依頼だ」と封筒を放り出した。
九条はそれを手に取り、窓の外を見つめる。
自分を囲む先祖たちの壁。
その壁は、火野のような「生者」さえも巻き込み、自分をこの世に縛り付けようとしている。
(……私は、いつまで、彼らの期待を背負わされるのか)
九条の内で、静かな自問自答が再び幕を開ける。




