表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漸託師 【sentakushi】  作者: Alicecloud


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/16

第14話 名前のない花束

極楽師との死闘から二週間。

地下貯水槽の事件は、公式には「大規模な集団食中毒を伴う幻覚症状」として片付けられた。九条の右手の震えは、奇跡的に収まりつつあったが、代わりに彼は**「ある一人の人物」**の記憶だけが、どうしても思い出せずにいた。

「……火野。あの日、私の背中を最後に押したのは、誰だった?」

九条漸くじょう ぜんは、事務所のソファでブランケットに包まりながら問いかけた。

「はあ? 俺とハル坊、それにあの偏屈な逆瀬の野郎に決まってるだろ」

火野がリンゴを剥きながらぶっきらぼうに答える。ハルも隣で小さく頷いた。

だが、九条の心には、パズルの最後のピースが欠けているような、奇妙な空虚感が居座っていた。

漸託ぜんたく」の際、聖母の巨大な絶望を飲み込む直前。確かに、自分ではない「誰か」が、その重みの半分を、黙って肩代わりしてくれた感触があったのだ。

その「小さな謎」を解く鍵は、事務所のポストに投げ込まれた、一通の無記名の手紙だった。

中には、押し花にされた、見たこともない「紫色の小さな花」が一つ。

九条はその花に触れた瞬間、意識が深い記憶の底へとダイブした。

「……あ」

それは、あの時、救った、あの**『線路に飛び込んだ、明日を気にしていた男』**の残留思念だった。

男はあの時、九条に「明日」を預けて消えたはずだった。しかし、彼は完全に消滅したわけではなく、九条の「先祖の壁」の内側に、一人の『居候』として、密かに居座っていたのだ。

極楽師との戦いの最期。先祖たちがその身を捧げて消えゆく中で、この「名前のない男」だけが、九条を守るためではなく、**「明日を生きる友人」**として、九条の精神を支え、毒の半分を連れて消えていったのだ。

「……そうか。お前だったのか」

九条は、押し花をじっと見つめた。

男は最期に、九条にこう伝えたかったのかもしれない。

「死者に囲まれるのは窮屈だろうから、せめて最後は、ただの『隣人』として助けたかった」と。

事務所の窓の外。逆瀬が黒いコートの襟を立てて、ビルの下を通っていくのが見えた。

彼は一度だけ立ち止まり、九条の事務所の窓を見上げた。そして、短く鼻を鳴らすと、人混みの中へと消えていった。

彼の手にも、同じ紫色の花が握られていたことを、九条は知らない。

「先生、どうかしたんですか? その花、綺麗ですね」

ハルが覗き込む。

「……ああ。これは、私が初めて『依頼』としてではなく、私物として預かったものだ」

九条は、あの「何も入っていないフォトフレーム」に、その紫色の押し花を収めた。

かつては「不在」を象徴していたフレームが、今は「誰かがいた」という確かな証拠を飾っている。

「火野。ハル。……次の依頼に行こう」

九条は、まだ少しだけ覚束ない足取りで立ち上がった。

右手の震えは、彼が自分自身の意志で抑え込んだ。

「今度は、どんな想いを洗えばいい?」

九条漸の瞳には、もう迷いはない。

自分を守る壁はなく、未来を保証する偶然もない。

けれど、彼には「痛み」を分かち合った仲間と、名前も知らない友人が残してくれた、温かな記憶があった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ