表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漸託師 【sentakushi】  作者: Alicecloud


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/16

12話『欠けた風景』

「……九条ちゃん、悪いが今日は店じまいだ。俺、ちょっと野暮用があってよ」

火野が珍しく、依頼の資料も持たずに事務所を出ていこうとした。いつもなら軽口を叩くはずの彼の背中が、どこか強張っている。

九条漸くじょう ぜんは、包帯が巻かれた自分の手をじっと見つめ、火野の後ろ姿に声をかけた。

「火野。……その用事に、『白い花』は関係しているのか?」

火野の足が止まった。振り返った彼の瞳には、いつもの飄々とした光はなく、底冷えするような憎悪が宿っていた。

「……あんた、人の心まで濾過できるようになったのかよ。気色悪いぜ」

火野はそれだけ言い残し、ドアを乱暴に閉めて去っていった。

「火野さん、どうしちゃったんでしょう……。あんな怖い顔、初めて見ました」

ハルが不安そうに呟く。九条は立ち上がり、コートを手に取った。

「……彼は、自分の『欠けた風景』を埋めに行ったんだ。ハル、逆瀬を呼べ。火野を追うぞ」

火野が向かったのは、街の外れにある、今は使われていない古い廃校だった。

そこはかつて、火野が「掃除屋」になる前に、たった一人の妹と暮らしていた場所だった。

廃校の校庭は、異様な光景に塗り潰されていた。

一面に咲き誇る白い花。その中心に、一人の男が立っている。真っ白な法衣を纏い、顔をベールで隠した男――『極楽師』の一人だ。

「……また来たのか、火野。君の妹さんは、この『楽園』の中で、永遠に十歳のまま笑っている。悲しみも、貧しさも、死の恐怖もない世界でね」

「黙れ……! 妹を返せ、このペテン師野郎!」

火野が散弾銃を構えるが、銃口からは弾丸ではなく、白い花びらが溢れ出した。極楽師の「死(破壊)を無効化する」異能だ。

「君が妹さんを『死んだ』と認識するから苦しいんだ。忘れなさい。彼女は最初からいなかった。そう思えば、君の心も楽園になる」

火野が膝をつき、頭を抱えて絶叫する。彼の記憶の中から、妹の顔が、名前が、急速に白く塗り潰されていく。

「……いい加減にしろ。その『楽園』は、ただの独房だ」

校門に、九条と逆瀬が現れた。

逆瀬は忌々しげに舌打ちしながら、黒い手袋を脱ぎ捨てる。

「おい極楽師。お前のその薄ら寒い『無』の匂い、反吐が出るぜ」

逆瀬が地を蹴り、極楽師へ向かって黒い斬撃を放つ。だが、極楽師は動じない。

「『遺断師』か。すべてを断ち切る君こそ、私たちの世界に相応しい。君が消し去ってきた未練の分だけ、楽園は広がるのだから」

逆瀬の攻撃が、花のカーテンに吸い込まれて消える。

「クソッ、手応えがねえ……! 九条、何とかしろ!」

九条は、震える火野のそばに膝をついた。

「火野……思い出せ。お前の妹は、確かに死んだ。寒くて、痛くて、苦しい最期だったかもしれない。……だが、お前が彼女の死を悼んだあの時間は、偽物ではなかったはずだ」

九条は、火野の脳内に無理やり手を突っ込むように「漸託」を開始した。

極楽師が植え付けた「忘却の白」を、九条の痛みを伴う「記憶の色彩」で上書きしていく。

「……ぐ、あああああ!」

九条の目から血が流れる。先祖の壁がない今、他人の記憶を修復する負荷は、彼の脳を直接焼き焦がそうとしていた。

だが、九条の指先が、火野の記憶の奥底にある「小さな、泥のついた赤いリボン」に触れた。

「……サキ。……妹の名前は、サキだ!」

火野の声が響き渡った瞬間、校庭に咲き乱れていた白い花が一斉に枯れ、どす黒い塵へと変わった。

「……バカな。楽園を拒むのか? 悲しみを選ぶというのか!」

極楽師のベールが剥がれ、その下にある空っぽの顔が露わになる。

逆瀬はその隙を逃さず、極楽師の心臓部にある「異能の核」を、真っ二つに切り裂いた。

「……死者は死者だ。生者が勝手に塗り替えるんじゃねえよ」

極楽師は霧となって消え、廃校には再び、冷たい夜の風が吹き抜けた。

火野は、地面に落ちた本物の「赤いリボン」を拾い上げ、ボロボロと涙を流していた。

「……九条ちゃん。ごめんな。……あいつを忘れそうになった。俺、最低だ」

九条は、肩を激しく上下させながら、火野の肩を叩いた。

「……いい。忘れることも、思い出すことも、生者の特権だ」

逆瀬は遠くでそれを見ながら、鼻を鳴らした。

「……ケッ。揃いも揃ってウェットな野郎どもだ。……九条、立てるか? 帰るぞ。お前のそのボロ雑巾みたいな顔、見てられん」

九条は、逆瀬の肩を借りて立ち上がった。

かつての「無敵の神」だった頃よりも、今の九条は、ずっと強く、そして脆い。

「……火野。事務所に戻ったら、サキさんの話を聞かせてくれ。……漸託師として、記録しておきたい」

月明かりの下、三人の男と一人の助手が、ゆっくりと歩き出す。

彼らの影は、かつての「先祖の壁」よりもずっと小さかったが、その足取りはしっかりと地面を捉えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ