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「Santa Claus Ⅲ」

作者: mikuta

男子高校生サンタ、爆誕。

 窓から差し込む冬の日差しは、今日もうっすら灰色だ。

 俺はベージュの制服の上に、厚手のジャケットを着込む。スマホの内カメラを見ながら、自分の赤い髪を手でとかす。ドアの向こうで、祖母の声が響いた。

「ヨルド、朝ごはんできたわよ」

「今行くよ」と返し、俺はカバンを持って自室を出た。

 リビングは、暖炉で揺れる火のおかげで温い。天井で光るライトのオレンジ色も、暖かさの理由の一つかもしれない。

 暖炉の横には、クリスマスツリーが置かれている。俺はすぐに、ツリーから目を逸らした。

「おはよう、ヨルド」

 わたのように真っ白な髪と髭を生やした祖父が、新聞の向こうから人懐っこい笑みを向ける。

「おはよう、じいちゃん」

 俺は祖父の向かいに座り、皿の上のバゲットを食べはじめた。バゲットには目玉焼きとベーコンが乗っかっていて、そこにチーズがかかっている。三口でそれを食べ、コンソメの効いた玉ねぎのスープで胃に流し込む。

「ごちそうさま、行ってきます」

 席を立って廊下に出ようとしたところで、キッチンから祖母が顔を覗かせた。

「ヨルド、お弁当は?」

「あ、ごめん、ありがとう」

「ヨルド」と、祖父がやって来る。

 祖父は一瞬の沈黙をつくったあと、ぎこちなく笑った。

「いってらっしゃい、気をつけるんだよ」

「ああ、行ってきます」

 祖父の様子に引っかかりつつも、どうせクリスマスのことだろうと俺は家を出た。

“おもちゃ屋 サンタの家”。

 家の屋根に飾られたうちの店の看板に、ため息をつく。祖父母のことが嫌いなわけじゃない。物心つく前に死んだ両親の代わりに、俺を育ててくれたし、感謝もしてる。

 ただこの時期は、家に居づらい。別に何もしていないのに、自分が悪いやつになったような気分になる。

 いや、何もしてないから、悪いやつみたいな気分になるのか。

 俺はガレージに行き、ヘルメットを被って、赤い原付にまたがった。祖父のお下がりのハンターカブだ。こいつのおかげで、毎日楽しい。

「今日も頼むぜ相棒」と、俺はエンジンをかけた。

 朝陽に輝く石畳の上を、ハンターカブの無骨な赤い車体が駆けていく。そこまで広くない道は、カラフルな木組みの建物に挟まれている。しかしどこもかしこも、この町はクリスマス一色だ。家の壁にはその家自慢の電飾が張り巡らされ、街路樹は大量のオーナメントで着飾っている。町が一つのパレードみたいだ。

 ここまでくると、逃げ場のなさに笑えてくる。

 学校に着くと、すぐに挨拶の応酬に飲み込まれた。

「ヨルド、この前はノートありがとうな!」

「また部活の助っ人頼むよ、ヨルド」

「おはよう、ヨルドくん!」

 男女問わずいろんな生徒から挨拶を受けては、笑顔で返す。この繰り返し。

 器用だね、と褒められることは嬉しいし、周りから頼りにされているのも誇らしい。

 でも、こうしていると、胸の奥に小さな穴が空いたみたいな気分になる。

 勉強も運動も、なんでもそれなりにできる俺には、逆に言えば何も熱中できるものがないんじゃないか。俺は、平坦で、冷めたやつなんじゃないか、と。

 教室まで続く廊下は、曲線の多い照明で淡いオレンジ色に染まっている。木目調の内装も相まってか、とても暖かい。

「おっはよるど〜!」と背後から両肩に腕を回された。

「ヴィル……やめろよその挨拶」

 俺は腕をほどき、ヴィルに言う。

「流行ったらどーすんだ」

 ヴィルは親指を立てて笑った。ひょろっとして背が高いのに、天パだから髪のボリューム分、さらに長い。

「こんなダサい挨拶、流行らないから安心しろ。てか今日なんか不機嫌じゃん、どうした?」

 急に言い当てられた驚きで「いや、まあ……」と口ごもる。

 中学からの親友相手でも、本当のことは言えない。

「ちょっと、この時期は、家に居づらくて」

 結局、嘘も真実も含んでいない当たり障りのない言葉を吐いた。

「あーね、お前んちおもちゃ屋だもんな。そんなに忙しいん?」

 ズキッと痛む心を笑顔で誤魔化しつつ、「まあな」と答えた。教室にはそれなりに生徒が集まっていた。その奥、窓際の席にいるふたりの男子がこちらを向く。

「お、来たなお前ら」と、丸いシルエットをしたミルコが言った。その横で、背が高くガッチリしたブルーノが右手を控えめに挙げる。

「おはよう、ふたりとも」

「おっす、お前ら」

 俺とヴィルは、いつも通りふたりの席の前に座り、荷物を下ろした。

 午前の授業を終え、昼休みになると、俺たち四人はそれぞれの机をくっつけた。

「今年のクリスマスマーケットどうする?」

 最初にそう言ったのは、サンドイッチの包みを開けたヴィルだった。

 俺は「去年と同じでいいだろ」と答える。

「じゃあ、午後七時に庁舎広場のうさぎ像前だな」

ミルコは大きな弁当箱を開けた。サンドイッチにミートボール、オムレツなど、ぎっちり詰まっている。

「わかった」

 ブルーノはそう微笑むと、おにぎりを一口かじった。

 そうして昼食を楽しんでいると、先生が勢いよく教室のドアを開けた。

「ヨルドはいるか!」

「はっ、はい、いますけど……」

 何事かと思いつつ立ち上がるが、先生は慌てた様子で俺の元に駆け寄った。

「大変だ、お前んとこのお爺さんが!」

 鼓動が早い。最悪の事態が、さっきから頭ん中を何度も駆け巡る。

「院内は走らないで!」

 通りすがりの看護婦からそう言われて、俺は慌てて速度を落とす。

 先生から連絡を受けた俺は学校を早退し、その足で祖父が入った病院へ向かった。さっき学校でもらった殴り書きのメモを頼りに、病室のドアを開ける。

「じいちゃん!」

 そこにいたのは、ベッドに横たわる祖父と、椅子に座って雑誌を読んでいる祖母だった。

「おお、ヨルド。足音ここまで響いてきたぞ」

 祖父は、わたみたいな白い髭の奥で笑った。

「そんなに急がんでもいいのに、全くせっかちな子ね」

 雑誌を置いた祖母はため息をつく。病室の空気は、まるで何事もなかったかのように、ひどくゆったりしていた。

「え、倒れたん、でしょ?」

 家のリビング同然の空気感に置いて行かれ、俺は祖父に聞く。

「倉庫のおもちゃを取り出そうと思うたら……腰、やっちゃった」

 右手で作った拳を自身の頭に当てて、祖父は笑った。どうやら大きな怪我や病気ではなく、ぎっくり腰だったらしい。

「まあ入院しなきゃなんだけどね」

笑う祖父に、祖母が鋭いツッコミを入れる。

「笑ってる場合じゃありませんよ、今年の“サンタ“はどうするんです? 」

 サンタ、というワードに思わず唇を噛む。肺の下あたりで、不快感がじわっと滲んだ。

 我が家に古くから伝わる大事な役目、サンタ。毎年、十二月二十四日の夜から翌朝まで、空飛ぶソリを駆り、町中の子供達にプレゼントを配る仕事だ。

「今年のサンタは、ヨルドがやればいい」

 衝撃的な言葉を、祖父が放った。

「は? なんで?」

 祖母が重ねて言う。

「そうですよ、この子はまだなんの訓練も受けていませんよ?」

「たしかに、経験不足は否めない。しかし経験がないのは、誰だってそうだったはずじゃ」

 祖父はさらに付け加えて言う。

「それにサンタとして大事なのは、プレゼントの運搬技術だけではないよ。わしは、ヨルドの心には、サンタとして最も大事なものがあると信じておる」

 祖母は何かを言いかけて、ため息をついた。

「わかりました、今晩から訓練を始めましょう」

「ちょっと待ってよ!」

 俺は割り込むようにして声を上げる。

「勝手に話を進められても困るって! 俺にサンタなんか、出来っこないだろ!」

 俺の視線は、床を彷徨っていた。

「ヨルドや」

 祖父のひときわ優しい声が、顔を上げさせる。ベッドの上で、祖父は上体を起こしていた。痛みで顔を歪ませ、こちらに向く。俺は慌ててベッドのそばに駆け寄った。

「じいちゃん! 何やって──」

「こればっかりは、じいちゃんのミスじゃ。でも、ヨルドがやってくれなければ、今年のクリスマスは、とても悲しいものになってしまう」

 祖父は息を切らして、俺のブレザーの袖を掴む。

「頼む」

 細縁の老眼鏡の奥で、まっすぐな青い瞳が俺を捉えた。優しさの中に、確かな芯がある、そんな視線に俺は頷いていた。

「……わかったよ。やるよ、サンタ」

「ありがとう、ヨルド」

 祖父の声は、温かくも、どこか寂しそうな音を含んでいた。祖父の入院手続きを済ませてくるとかで、祖母は俺をエントランスに置き去りにした。広いエントランスを、シンプルなシャンデリアが静かに照らしている。薬品の臭いがしそうでしないが、心はすっかり弱っていた。

 行き交う人々をボーッと眺めていると、入院着の少女が目に留まった。ココアブラウンの髪は後ろで一つにまとめられ、物憂げな目は手元の本に落とされている。少女の周囲には誰もおらず、まるで世界から完全に切り離されているような、冷たい空気を纏っていた。

 その様子に、自分の心の奥で眠っていたほの暗い記憶が薄目を開けた。

 完全にフラッシュバックする前に、嫌な記憶を頭から振り払う。

「なあ、きみ、ひとりか?」

 何を思っての行動なのか、自分でもよくわからなかった。ただなんとなく、昔の自分と姿が重なったように思えた。俺が声をかけると、少女は目線だけを向けてくる。

「だったら、なに」

 冷たい声に、俺はポケットからコインを取り出す。

「ちょっとした暇つぶし」

 コインを右手から左手に落とすような仕草を見せた。少女の視線は俺の手に注がれている。落としたはずの左手を軽く握りながら動かし、勢いよく開く。しかしそこにコインはない。少女と目が合った。

 俺が軽く眉を動かして見せると、少女はため息をついた。

「右手、落としたように見せてまだ持ってる」

 俺はため息をついて、ゆっくりと右手のコインを見せた。

「よくわかったな」

「本で読んだの。暇つぶしならよそでやってくれない? 私はいま、本を読んでいるの」

「ああ、悪かったよ」

 俺は少女の元を去り、なるべく遠くの席に座る。俺バカだなあと思いつつ、少しくらい愛想よくしてくれたっていいじゃんと、不満が積もった。

 家に帰ると、さっそく祖母のサンタ講習が始まった。

「サンタの任務は、手紙を送ってきた子供達にプレゼントを配ることです」

「宅配じゃダメなの?」

「ダメ。ワクワク感がないでしょう?」

 祖母からの授業は、夕飯の間も続いた。

「ちなみに、翌日の朝四時までに配り終えなければ、冬の妖精によって氷漬けにされます」

「は? 俺まだ死にたくないんだけど、てか冬の妖精って?」

「氷漬けになっても死にやしません。冬の妖精は当日にしか会えないので、まあ見りゃ分かりますから」

「いや雑すぎだろ」

「ああ、そうそう、これを渡しておきます」

 祖母はエプロンのポケットから空っぽの麻袋を出した。目立ったほつれや穴はないが、くすんで色褪せた古そうなものだ。

「これがサンタ七つ道具の一つ、プレゼント袋です。手紙を入れたらその子に相応しいプレゼントが出てきます。忘れたり、無くさないでくださいね」

「ああ。うん」

 初めて見たけど、こんなボロい布から出てるのかプレゼント……ん?

 そこでふと、疑問が浮かんだ。

「なあ、ばあちゃん、プレゼントの代金ってどっから出てんの?」

「……あら、食洗機が仕事を終えたようです。ヨルド、ちゃんと飛行の練習には行くのですよ」

 祖母は俺の話なんて聞いてないみたいに、キッチンへと消えていった。

「いや、うちに食洗機なんてないだろ」

 仕方なく、俺はジャケットを着てガレージへ向かう。真っ暗な空の下、電飾で縁取られた“おもちゃ屋 サンタの家”の看板が点滅していた。

「おもちゃ屋……まさか、な」

 今度、十二月の帳簿を調べてみよう。

 頭の片隅に留めつつ、俺はガレージへ入っていった。エンジンを回しながら、上へ飛ぶように力む。ブブブブ……という音だけが、夜の公園に響いている。息苦しくなり、思いっきり脱力する。

 俺はその次の夜も、また次の夜も、病院近くの公園でハンターカブに跨っていた。サンタの特訓が始まってからしばらく経つが、一向に空を飛べない。祖父曰く、「夢を信じる力がないからじゃ」だそうだ。俺はむしゃくしゃする頭を、黒いハンドルに擦り付けた。

「夢を信じる力って、なんなんだよもうっ!」

 自分の声がしんとした公演に響き渡る。

「しまった」と口を塞いだところで、背後から聞き覚えのある声がした。

「あ、不審者」

 振り返ると、そこにいたのはダウンジャケットを着た少女だった。遅れて、そいつが病院のエントランスで会ったやつだと気づく。

「お前、あのときの……待て、誰が不審者だ」

「あなたよ、そこの赤いの」

「赤いの言うな! 俺にはちゃんと、ヨルドって名前があるの」

「“じゃあ“ヨルド」

「“じゃあ”て……しかも呼び捨て」

 少女は、俺の姿を眺めると「そんなとこでなにしてるの?」と聞いてきた。

「練習だよ、仕事の」

「ふぅん。うまくいってないんだ」

 少女の言葉が、グサグサと胸に刺さる。

「まあな。でも、いつか必ずうまくいく」

「どうしてわかるの?」

「今までずっとそうしてきたから。うまくなるまで、何回も何回も何回も、繰り返し練習してきた。だから今の俺は、勉強もコミュニケーションも手品も、なんでもできる」

 もう誰にも舐められないため。ただひたすら、その一心だった。

「自分で言う?」

「うっさいなあ」

 少女は軽く息を吐いた。

「でも、いいわね。そうやって楽しそうに生きられて」

 暗くてよく見えないが、少女の声音は、届かないものを夢に見るような儚さがあった。

「というかさっさと帰れよ。子供が、しかも病人が外に出ていい時間じゃない」

「ええそうするわ」

 少女は明らかに気分を害したらしく、力強い足取りで病院へと帰っていった。

 翌日の昼休み、俺はヴィル達にそのことを話した。昼休みの教室、背後の窓は結露で真っ白に曇っている。

「その子、ココアブラウンの髪の女の子だろ?」

ヴィルの言葉に、俺は「え、知ってんの?」と身を乗り出した。飲みかけたカフェオレの紙パックが、少し凹む。

「弟の同級生なんだよ。たしか、アイっていう子で、小さい頃から入退院を繰り返してるんだとか」

「そう、だったのか」

 持っていたカフェオレを、机に置く。そりゃあ「そうやって楽しそうに生きられて」なんて言うか。

「あ、そうだ、もう一つ聞きたいんだけど、みんなに」

 三人はそれぞれ口をモグモグさせながら、こちらを見る。

「……みんなの夢って、なに?」

「小学生か」

「小学生かよ」

「小学生みたいだね」

 三人からの集中砲火に、俺は「うっさい」と返す。

「改まって聞くからなんだと思ったぜ。あ、俺の夢は音大に進学な」

 ヴィルは片手を指揮者のようにヒラヒラさせながら、サンドイッチを頬張った。

「俺は、実家を継ぐことだな」とミルコが腕を組む。

「レストランだよね、たしか」

「おう。やっぱり食べるのも好きだけどさ、自分の料理で誰かが笑顔になるのを見たいんだ」

「ブルーノは?」

 ヴィルの問いに、ブルーノは人差し指同士を合わせながら、そっと答えた。

「ぼ、僕は、絵本作家」

「「まじか!」」

 三人分の声が響く。

「えっ、そ、そんなに驚く?」

「ああ、今まで創作の話とかかけらもなかったし。てか俺も音楽やってるし、早く言えよ」

「お菓子作ったりとかは聞いたけどよお……」

「すごいな」

「え、へへ、ありがとう。ヨルドくんは?」

 ブルーノにそう聞かれ、俺は一瞬、声が詰まる。

「それが、よくわからなくて……」

 祖父から聞いた話では、昔はサンタを継ぎたがっていたらしいが、正直全く覚えてない。それに今回だって、こんなことがなければ、サンタなんかやってない。

「見つかるといいな」

「頑張れよ、職に困ったら見つかるまでうちのレストランで雇ってやる」

「お、応援してる!」

「みんな……」

 みんなの夢について聞いてみたけど、やっぱり「夢を信じる力」については何にもわからなかった。

「ありがとう。まあ、俺なりに色々とやってみるよ」

 飲んだカフェオレの苦みで、胃の底から冷えるような気がした。

 当日。俺はとうとう、空を飛べずに本番を迎えてしまった。

 赤地に白いファーが縁取られたサンタ服を見に纏い、服と同じデザインの帽子と、真っ白な髭をつける。古い革のブーツを履き、ベルトを腰に巻きつける。

 ガレージのハンターカブに跨り、俺は息を吐いた。

「大丈夫。郵便配達とほぼ同じだ……」

『こちら、ノウス・シティ担当。各員、準備はいいか?』

 帽子から、異様に渋くて強そうな声が聞こえた。サンタ七つ道具のひとつ、サンタ帽子は、通信機のような役割を果たすらしい。声は、他の町にいるサンタからの通信だった。

『こちらセレーノ担当! いつでもOKだよっ!』

 今度は若い女性の声が聞こえる。続いて、少年っぽい声がした。

『こちらカスタニエ、無問題(もうまんたい)

 カスタニエ・サンタの落ち着き払った声に続き、俺も応える。

「ふ、フルール担当です、大丈夫です!」

『よろしい、それではこれより、本年のサンタ業務を始めるッ!』

 ノウス・シティ担当サンタの厳格な声が、自分の心音に混じって聞こえる。

『全ては子供の笑顔のため! 健闘を祈る』

『はーい、がんばろー!』

『ベストを尽くそう』

「が、頑張ります!」

 掛け声と共にエンジンをかけ、ガレージを飛び出す。

 クリスマスマーケットの交通規制もあって、大通りは使えない。そのため今回は、裏路地を通りながらプレゼントを配ることにした。

 建物の間を縫うように走りながら俺は、ヴィルやミルコ、ブルーノを思う。

 時計は午後八時を指している。今頃、マーケットでホットドリンクを飲んでいる頃だろうか。

 一緒に遊べなかったのは残念だけど、この状況でかち会う方が嫌だ。

 スマホに映された最初の家に着くと、俺は二枚の手紙をプレゼント袋に入れた。

 すると袋の中が淡く発光し、「良」と「可」の二文字が現れる。この袋は、送り主の生活態度を採点するらしい。良の子供へは願い通りの物を、可の子供へは絶妙に違った物を、不可の子供には辛い飴を与える。

 袋から二つの小包を出し、それを家の近くに待機している冬の妖精に手渡す。

「お願いします」

 真っ白なミノムシのような姿をした冬の妖精は、コクっと頷いて、音もなく家の中へと飛び去った。

 いま初めて冬の妖精と喋ったけど、意外と大丈夫そうだ。

「よし、次……」と去りかけて、家の中の様子が見えた。白い窓枠の向こうで、家族と食卓を囲む双子の少年がいる。二人とも、見てるこっちがほっこりするほど、良い笑顔をしている。

 気を引き締めて、俺はアクセルをかけた。

 可、良、可、良、良、不可……他の家々にもプレゼントを届ける。

 しかし、スマホの地図アプリに留めておいたピンは全く減らない。

「少子高齢化ってほんとかよ……」

 時間が経つにつれ、冷え込みも厳しくなっている。

 街灯の下で次の目的地を確認していると、白いものが視界をチラついた。

 見上げると、大粒の雪が降り始めていた。焦りも積もり始める。

「急がなきゃ……」

「ヨルド?」

 前を向くと、ヴィルと目が合った。横にいたミルコとブルーノもこちらを見る。

「あれ、ほんとだ、なにやってんだ?」

「その格好どうしたの!?」

 自分の心音が、静寂を支配した。確かに目は見えているのに、脳がその情景を受けつけない。思考が散らかって、どんどん収拾がつかなくなっていく。

 ばれ、た?

 気がつくと、俺は原付を置いて走り出していた。冷たい空気にさらされた肺は、破れそうなほど痛い。

 どれだけ走ったのか、気がつくと誰もいない路地に辿り着いた。

 鋭い静寂に包まれた通りは、降り続ける雪を受け止めている。木組の建物はみな等しく街灯の色に染められている。

「プレゼント、配らなきゃ……」

 友人達と出会ってしまっても、プレゼント配りはやらなければならない。

 俺はポケットの中に入れていた麻袋を探すも、麻特有のざらついた感触はない。

「あれ……」

 入れた記憶のない左のポケットや胸ポケットもひっくり返してみる。しかしどれだけ探しても、あの麻袋はなかった。

 来た道を振り返るが、街路樹と街灯がどこまでも等間隔に続いているだけだった。

 もう一度戻ろうとしたところで、足がもつれた。

 額に冷たい衝撃が走る。薄れゆく意識の中で通りと真っ黒い空が見えた。

 ああなんか、前もこんなことあったな。

 しん、しんと降り注いだ雪が、頬で水滴に変わった。

 小学生の頃、クラスメイトからランドセルを隠された時だった。

 雪の中、誰もいない学校をひたすら探し回って、結局見つからないから、手ぶらで家に帰ったんだ。

 俺は重たい体を転がして、仰向けになる。街路樹の電飾が、赤と緑に点滅していた。

 サンタになりたいと言った日、俺はクラスの奴らに揶揄われた。けど何より許せなかったのは、祖父の仕事をバカにされたことだった。

「そりゃ、殴っちゃったら、いじめられるわな」

 鼻の詰まった声が、路地にぽつりと落ちる。

 それから俺は、誰にも文句を言われないように全部できるようになった。勉強も運動もこなせるように、誰からも好かれるように、って。冷えて感覚が消えた頬を、ひどく熱い何かが伝った。街灯の灯りが歪み、暴れだして、嗚咽が漏れる。

 でも今はどうだ? 道の真ん中で転んで、トラウマ思い出して泣いて、夢も信じられなくなって、毎日が虚しくて。俺は氷漬けになった自分の姿を想像した。もしそうなったら俺、町の名物とかになんのかな。だとしたら、三人には恥かかせちまうな。

 祖父の顔が、温もりをともなって胸に蘇った。

『頼む』

 心臓の鼓動がひときわ大きく、鳴った。

 涙が再び溢れてくる。起き上がると、頭の痛みはだいぶ引いていた。

「おーい、ヨルド!」

 声がする方を向くと、原付と一緒にヴィルと、ミルコと、ブルーノが走ってきていた。

 俺は立ち上がり、彼らのいる方へと足を踏み出す。

「お前、なんで逃げんだよ……」

「結局こっちに走ってきてるしな」

「おでこ、ちょっと腫れてるよ、大丈夫?」

 街灯の下で、三人が同時に話しかけてくる。俺は頬をかいて、答えた。

「こんな格好してるの見られたら、笑われると思って……」

 一瞬の間をおいて、ミルコがホッとしたように表情を緩めた。

「バカかよお前、そんなことするわけないだろ」

「うん、そのサンタコス、似合ってるよ!」

「いや、コスじゃ……まあ、いっか」

「そうだ、これ、お前のだろ」

 ヴィルが、麻の袋を差し出した。

「これ……あ、ありがとう!」

 プレゼント袋を無くさないようにポケットに仕舞い込むと、心の容量を逼迫していた焦りが、解けるように消えた。三人にお礼を言い、俺は原付に手を乗せる。

「お前も、置いて行ったりしてごめんな」

「なぁ、ヨルド」と、ヴィルが一歩前に出た。

「俺らにできることって、あるか?」

 真剣な眼差しに、胸が熱くなる。

 正直、助けて欲しいって言いたいほど、現状はやばい。でも、みんなに助けてもらうのは、なんか違う気がする。引き受けたばっかりの時は実感がなかったけど、今ならわかる。この仕事が、どれだけ大切な、願いを届けているのか。

 どれだけ眩しくて、でも俺の手でしか守れない小さな光なのか。

 俺は頭を横に振った。

「悪い。ほんとは手伝って欲しいけど……でも、やり遂げたいんだ。自分の力で」

 ヴィルは「そうか」と、微笑む。

「お、ついに夢が見つかったのか」

「夢?」とミルコの言葉に聞き返す。

「なんか今のヨルドくん、前よりもっとイキイキしてるね」

「これが、夢なの?」

 両手に視線を落としたあと、もう一度三人に顔を向ける。ヴィルが「知らないのかよ」と呆れたように笑った。

「やりたいと思ったことは、なんでも夢になるんだぜ?」

 体の中で、何かが爆ぜた。七色の火花を散らすそれは、やがて全身を駆け巡ると、静かに馴染んでいった。

「あ、やっべ、そろそろ行かないと!」

 時計は午後十時。まだ、プレゼントを待っている子供が大勢いる。胸の中で、何か、小さな火種たちが顔を出す。鼓動が力強く、脈を打つ。

 俺はハンターカブに飛び乗って、エンジンをかけた。

 車体ごと、自分の重さが溶け落ちていくような感じがした。胸の中から、温かい力が湧き上がってくる。地上から解き放たれたように、俺とハンターカブは空を舞っていた。

「おいおいおい、嘘だろ……!?」

 ヴィルの唖然とした顔が、地上に見える。驚いている三人に、俺は笑顔で言葉を投げた。

「ずっと隠しててごめん、俺、本物のサンタなんだわ!」

 ヴィルが、驚き混じりの笑顔で勢いよく拳を掲げる。

「最高かよ! がんばれ!」

「仕事終わったら、うちに朝食食べにこいよ!」

「お、応援してるね!」

 三人に手を振りかえし、俺とハンターカブは、雪が舞う夜空へ飛んだ。遠くの方で、フルール城の塔がライトアップされている。

 イルミネーションで輝いている大通りは、まだ人が多く残っている。食べ物や飲み物を片手に談笑したり、市場を見ていたり、賑やかな雰囲気だ。巨大なクリスマスツリーの先端を旋回して、俺は次の家へ向かった。横殴りの雪が頬を掠める。噛み付くような風に目を細めながらも、手紙を袋に入れ、プレゼントを取り出す。

「これ、お願いします!」

 屋根の上で停止し、冬の妖精たちに渡した。こうして一つの地区分のプレゼントを冬の妖精に渡し終えたら、次の地区へ行く。どれだけ繰り返していたか、自分でもわからない。ただ夢中でプレゼントを配り続けた。

 気がつくと、子供たちからの手紙は最後の一枚になっていた。袋に入れると、淡い光が漏れ出す。が、すぐに手紙は吐き出された。

「あれ?」

 もう一度入れてみるが、袋は同じ反応をした。

「なんで? てか、こんなことあるのかよ聞いてねえぞ」

 たとえ最後のひとりであっても、配れなければジ・エンドだ。手紙の送り主を見て、俺は首を傾げる。

「アイ……ってあの?」

 住所も確認してみると、確かに彼女が入院している病院だった。

「なに頼んだんだよ……」

 手紙を裏返してみると、紙面の端にひっそりと、小さい文字で書かれていた。

“サンタさんへ 一緒に月を見てくれるような、友達が欲しいです。 アイ”。

「ものじゃないからな、そりゃ無理か」

 呆れと納得の混ざったため息をつき、俺は病院へと走り出した。

「これ、絶対見つかったらやばいよな……」

 ハンターカブは屋上に止め、サンタ七つ道具であるベルトの金具を外す。剣のように細まったベルトの先端を引っ張ると、ガムのように伸びた。

 伸ばしたベルトを柵にしっかり巻き付けて、金具を付け直す。

「よし」と息を吐いて、壁を少しずつ下った。

 住所に書かれていた病室の窓は、上から三つ目にあった。儚げな光が布団の中から漏れている。

 俺はクスッと笑い、窓をノックした。布団の中がモゾモゾと動き、中からアイの驚いた顔が出てきた。

 目が合い、手を振ると、アイは駆け足で窓までやってくる。

「ほ、ほんとにきた!」

「来ないとでも?」

 俺がそう答えると、アイは数秒固まって、後ずさった。

「ちょっと、そんな怖がらなくても!」

「ず、ずいぶんと凶悪な顔のサンタもいたものね。殺人鬼かしら」

「ホラー映画の観過ぎだろ……」

「違うわ小説よ!」

「どっちでもいいわ!」

 俺は手紙を掲げる。

「これだよ、サンタのプレゼント。お前がラスト」

 アイは目を丸くして、手紙を取ろうと手を伸ばす。

「返して!」

「嫌だね」と俺は指先で手紙をひるがえし、ポケットに仕舞った。

「この手紙のプレゼント渡さなきゃ、俺死んじゃうから」

「どういうこと?」

 アイは困惑した様子で聞いたが、俺は被りを振った。

「説明してる暇はない。とにかく、月、観に行こうぜ」

 そう言って手を差し出すと、アイは顔を俯かせた。背後から差し込む街明かりが、病室の床を照らす。

「行けないわ。ここから出れば、怒られてしまう」

 再び、アイは後ろへ下がった。俺は窓枠を両手で掴み、そのまま自分の体を持ち上げる。

「入ってこないで!」

「ずっと宙吊りは勘弁してくれよ……」

「あなたが勝手にそうなっただけでしょ!?」

「まあたしかに……」

 俺は適当に返しながら、サンタの上着を脱いだ。

 ゴミを見るような目でアイに睨まれ、俺は慌てて訂正する。

「いや、別にそういうのじゃないから!」

 赤いサンタ服をたたみ、それを差し出す。脱いだ瞬間から、寒さが体を蝕み出した。下にセーターを着ておいて正解だった。とはいえ、これで原付はやばそうだけど。

「これはサンタ七つ道具の一つでな、あらゆる寒さを弾き返すんだ」

「ふざけてるの?」

「いいや、本気だ」

 張り詰めた沈黙が病室を満たす。冷たい夜風が、背後の窓から流れ込む。

「いい加減、大人ぶるのも疲れただろ」

「大人ぶってなんか──」

「いいや大人ぶってるね」と俺は再び、手紙を取り出した。

「あの夜にお前と会ったとき、なんでこんな時間に外に? って思ったけど、この手紙を出してたんだな」

「だったら、何よ」

 目を泳がせるアイに、内心ホッとした。本当にあの夜手紙を出した証拠は、どこにもないからだ。

「こっそり出さなきゃ行けない理由がある、ってことはわかった。それがなんであれな」

 アイは大きなため息をつくと、口を尖らせて言う。

「言っとくけど、ママもパパも優しい人たちだから」

「ならよかった」

 窓の向こうから、マーケットの賑やかそうな空気が流れ込んできた。

「優しすぎるもの……言えるわけないでしょ」

 部屋の奥で響いたアイの声は、震えていた。俺はゆっくりと、アイの前まで歩く。

「心配させたくないの、だからっ、私が我慢しなきゃ……」

 しゃがんだ俺は、アイの肩にサンタ服をかけた。

「偉いな」

 涙を浮かべた茶色い瞳が、驚いたようにこちらを見つめる。

「大事な人のために強がれるのは、めっちゃ偉いし、強いよ。でも、それだと疲れちゃうだろ」

 セーターの袖で、濡れている目元をそっと撫でる。

「大丈夫だ、俺はお前が流した涙も、苦しみも、誰にも言わない。お前だけの話し相手になれる」

 アイは何度か瞬きをすると、吹き出すように笑った。力の抜けた可憐な笑い声が、病室に響く。

「何それ、プロポーズ?」

「誰がお前みたいなガキと……」

「は? 今なんて?」

「……何でもありません」

 屋上へ向かった俺とアイは、ハンターカブで夜空を駆けた。

「さっ、寒く、ないかっ?」と背中に抱きついたアイに聞く。

「ぜんぜん! ちっとも寒くない!」

 全身をこわばらせて寒さに耐えつつ「ならよかったよ」と返す。幸いにも雪は止んでおり、薄らいだ雲の向こうには、ほのかに白い光が見えている。

 町の外れにある小高い丘に着陸する頃には、白銀の月明かりが降り注いでいた。その下では、街明かりが浮かれたように輝いている。ひときわ目立つフルール城の塔が、賑やかな町を見下ろしている。

「そういえば、なんで月なんだ?」

 俺は自販機で買ったココア片手に、ベンチに座ったアイに聞く。

 アイは、ココアをフーフー冷ましながら言った。

「寝れないとき、よく窓から月を見ていたの。それでずっと見ていたら調べたくなって、あのね、月ってすごいのよ! いつどうやって現れたかわからないの、こんなに身近なのに。あの白い岩の奥にはきっと、ロマンが詰まっているのよ」

「えっと……それで?」

 アイは咳払いをして、続ける。

「行きたいの、月に」

 予想以上に大きな回答に驚いていると、アイは立ち上がった。

「それだけじゃない。私は、いろんなものをこの目で見て、この肌で感じたい。五感ぜんぶ使って、世界を感じたい!」

 それは、まるで宣言のようだった。芯の通った言葉と声だ。

「いいじゃん、それ」

「でしょう?」と不適な笑みでピースをするアイに、俺は笑ってピースを返した。

 ココアを飲み終わる頃、帰ろうとしてハンターカブのエンジンを回した。赤いボディがキュキュキュ、と小刻みに震えたが、すぐに脱力してしまった。

「あれ、つかない」

「え?」とアイが肩越しにハンドルを見る。

 何度キーを回しても、振動するだけでエンジン音が鳴ることはなかった。

「どうしよ……」

 地面で頭を抱えていると、アイが肩を強く叩いてきた。

「ねえヨルド、あれ! 見て!」

 指差した方角へ目を向けると、三つのシルエットがこちらに近づいてきていた。

「何あれ……」

 徐々に大きくなる、けたたましいエンジン音に混じって、帽子の中から女性の声が聞こえた。

「やっほー、フルールの新人サンタくん!」

 聞き覚えがある声だった。そう、さっき帽子から聞いたような……。

「まさか!」

 俺は立ち上がり、シルエットに向かって大きく両手を振る。

「おーいっ! こっちでーすっ!」

 広場までやってきた三人のサンタは、それぞれの乗り物から降りた。

「よかったあ、生きてたね」

 二十代くらいの女性が赤いゴンドラから飛び降りる。青い長髪が、ふわりと月光に輝いた。青い瞳は、宝石のように神秘的に輝く。ポンチョのようにアレンジされたサンタ服の美女は、屈託のない笑みを向けた。

「セレーノのサンタだよ、通信ぶり!」

 可愛いすぎる笑顔と声に、俺の心臓が肋骨をめちゃくちゃに叩く。

「ちょっ、その子どーしたの!?」

 俺の後ろにいたアイに気づき、セレーノ・サンタが声を上げた。

「あ、こいつは俺のともだ──」

「ちょー可愛いんですけどっ!」

 俺の話を聞く素振りすら見せず、彼女はアイに抱きついた。突然のハグに、アイは困惑の表情を浮かべている。

「心配だから見にきたけど、大丈夫そうだね」

浮遊する箒から降りたのは、ベージュのサンタ服を着た少年だった。栗色の髪と瞳をしており、目つきや声音からは、歳の割に大人びた雰囲気がする。

「君の相棒ちょっと借りるね」

「は、はい……?」

 子どももサンタやってるのかよ。

「ふむふむ、たくさん頑張ったんだね、ちょっと待っていてね」

 俺のハンターカブに話しかけながら、少年はどこからともなく工具箱を取り出す。

「ああ、言わずとも声でわかるだろうけど、僕はカスタニエのサンタ。陶工と兼業でサンタをやっているよ」

「メカニックではなく……?」

 困惑していると、背後でバイクの大きなエンジン音が止まる。すると、あの異様に渋くて強そうな声が響いた。

「無事だったか、フルールのせがれ」

 振り向くと、眼帯をした大男が立っていた。赤いはずのサンタ服は、夜空よりも真っ黒だ。銀色の髪がこめかみのあたりで弧を描いている。頬にはうっすらと、白い傷跡が浮かんでいた。

「最後に会ったのは、まだ小さい時だったが……立派になったな」

 ノウス・サンタは、タバコとウォッカが似合いそうな相貌に、優しげな笑みを浮かべた。

 カスタニエ・サンタがハンターカブを直してくれている間、ノウス・サンタはバイクの中からキャンプ道具を取り出す。

「寒いし、お茶にしよう」

「てことは“あれ”が飲める!?」

 ガッツポーズではしゃぐセレーノ・サンタに、ノウス・サンタは静かな笑みで頷いた。

 セレーノ・サンタやアイと協力し、俺たちは椅子や机を設置していく。丘の公園はちょっとしたキャンプ場のようになった。

 焚き火台の上には火が灯り、それを囲んで椅子が並んでいる。静かな深夜の公園には、パチパチと薪のはぜる音が響く。それに合わせるように、カスタニエ・サンタはチリリとジャッキを回す。

 カセットコンロの鍋をかき回すノウス・サンタが「よし、こんなもんだろう」と言った。そしてテーブルの上に並んだマグカップを取り、鍋の中身を注いだ。

「待ってましたあ!」

 セレーノ・サンタは飛び上がるようにして、テーブル近くに駆け寄る。

「なんですかそれ」

 俺とアイもついていくと、セレーノ・サンタが小躍りしながら答えた。

「キンダープンシュ、魔法の飲み物だよ!」

「たしかに、魔法的に美味しいよね」とカスタニエ・サンタが笑う。

 ノウス・サンタは、マグカップにとろりとしたオレンジの飲み物を注いで言う。

「オレンジジュースにリンゴジュースを混ぜ、そこへシナモンなどのスパイスを入れて、じっくり煮こむ。簡単だが、これが実に美味い。戦場ではよく、こうして飲んでいたものだ」

 戦場って、サンタの口から出ていいものなのか。

 若干の疑問はあるが、寒すぎて死にそうだったので助かった。

「あ、そうだ、シュトーレンもあるから、みんなで食べなさい」

 ノウス・サンタが指差すと、机の上にはいつの間にか、切り分けられたシュトーレンが並んでいた。鼻歌で鍋をかき混ぜるノウス・サンタの御相伴にあずかって、俺たちは真夜中のお茶会を楽しんだ。

「うっま!」

 キンダープンシュを一口すすり、俺は思わず叫ぶ。

 バランスの良い甘味と酸味は、爽やかな春風を思わせる。鼻を抜けるスパイスの香りと共に、体の内側からじんわり温まった。

 横でアイが目を輝かせる。

「おいしい……!」

 カスタニエ・サンタも作業を中断してマグカップを啜る。

「うん、美味いね」

「っかあ〜! これを飲まなきゃ一年が終わらないわ!」

 豪快に飲み干したセレーノ・サンタは、すぐにおかわりした。

「ヨルド」と、ひとり焚き火の様子を見ていたノウス・サンタが俺を呼ぶ。

「初めてのサンタ業はどうだった」

 俺はノウスサンタの横にしゃがんで、火を眺めた。

「正直、辛かったです。トラブルだらけだったし、もっとスムーズにできたはずなのに、できなかったりで」

 今日、クリスマスを外から見て、たくさんの笑顔があることを知った。

 路地裏から見えたマーケットだけじゃなく、家の中でプレゼントを待っている子どもたちや、子どもと一緒に楽しむ親も、仲間の顔も。

 俺は、椅子に座っているアイに目線を移す。他のサンタたちと談笑している彼女は、初めて会った時とは別人みたいに、柔らかな表情をしていた。

「でも、祖父がこの仕事に本気だった理由が、少し、わかりました」

 ノウス・サンタは「そうか」と笑みをはらんだ声で言った。その笑みの温度は、キンダープンシュの温もりにどこか似ていた。

「じゃあ、先に行ってるから! 遅くならないようにね!」

 ゴンドラに乗ったセレーノ・サンタが言う。横を通り過ぎた時、なんともいえない良い匂いがした。他のサンタたちもそれぞれの乗り物に乗る。なんでも祖父のお見舞いに、俺の家へ行くらしい。

「ありがとうございました!」とアイがお辞儀をする。

「またねー! アイちゃん!」

「風邪ひかないようにね〜」

「メリークリスマス、お嬢ちゃん」

 三つの町の三人のサンタは、街明かりの向こうに消えていった。

「さて、俺らも帰るか」

「うん」

 行きと同じように、アイを後ろに乗せて、ハンターカブは空を舞う。お茶会のおかげか、サンタ服がなくても身体は温かいままだった。

 エンジン音すら、この夜空では静かに感じる。地上を走る大きな光の帯は、細かい光の線を無数に伸ばしていた。きっとマーケットの会場になった大通りだろう。空から見た町は、巨大なクリスマスツリーのように、路地の端まで輝きに満ちている。

「ねえ、ヨルド」

 背後で、アイが呟くように言った。

「んー?」

 前を見ながら返事をする。風を切る音の中でも聴けるよう、アイの声に意識を傾けた。

「ありがとう」

 悴んだ頬に熱い何かがこぼれる。

 たった一言、いつも聞いたり、言ったりするはずの言葉だった。けれどそのたった一言に、俺の心臓は跳ね上がったのだ。街明かりがにじみだして、原型も留めない光の塊になる。声が出そうになって、息を止めた。

「おうよ」

 唇を噛んで、俺は前を向いた。泣いているのが後ろにバレないように、前だけを向いていた。

 翌日、俺はしっかり風邪を引いた。

 そしてセレーノ・サンタから、しっとりと看病される……という甘くて虚しい夢を見た。起きたら、サンタたちはとっくに自分たちの町へ帰っていた。代わりに、キンダープンシュの入ったボトルが冷蔵庫に入っていた。ヴィルやミルコ、ブルーノから届いたお見舞いの品の中に、ちゃっかりとアイからの手紙も入っていた。今度はサンタではなく、ヨルド宛だった。

 そんなこんなで、体調が治ってしばらく経った年明けごろ。

 遅めの朝を迎え、俺はリビングでのんびりしている。クリスマス飾りはすっかりなくなって、祖父の腰も元に戻っていた。ソファの上でスマホをいじりながら、毛布にくるまっていると、祖母がやってきた。

「ヨルド、アイちゃんから手紙が来てますよ」

 寝っ転がりながら受け取った封筒は、ほんのり海の香りがした。封を開け、中を見る。

『ヨルドへ。元気にしてる? こっちは引っ越しが無事に終わったよ。セレーノは冬でも少し暖かいです、フルールが寒すぎるだけかもだけど』

「絶対そうだろ」と、俺は読みながらツッコミをいれた。

『こっちに来てついに、スマホを買ってもらいました。裏にメッセージの番号書いたから、読んだら登録してね』

 手紙の裏を確認すると、確かにあった。俺はスマホのメッセージアプリを開き、番号を打ち込む。表示されたユーザーを登録し、適当なスタンプを送った。

 すぐに既読がつき、メッセージの着信音が鳴る。

「は?」

 送られてきた写真に、俺は声をあげて立ち上がった。

 楽しげに笑うアイの横に、セレーノ・サンタらしき青い髪の女性が映っているではないか。しかも、『連絡先は教えてやらないから笑』というメッセージ付きで。

「ふっざけんな教えろよ!」

 俺はそのまま電話をかけた。プルル、とコール音が聞こえる。

 きっと第一声は、「教えないわよ」とかだろう。

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