続兄妹二人旅
レオンの乗るジープが先導する一団は四万八千キロ離れた旧広島を目指し新東京を離れていく。厳密には旧東京の二十三区を越えた所、世間的にはこの広大な土地は『県境』と呼ばれる。一般人が住むには自然動物が多く、険しい環境の開発予定地。県境には無数の《洞窟》があり、世界が広がる際に人や物が地割れに巻き込まれ、その全てに《可能性》を付与した。
中継都市の一つである新神奈川、新名古屋、新京都を繋ぐ新幹線はその出土品で作られており、最も人の行き交いがある。ではなぜ新東京から新神奈川までが新幹線で繋がっていないのかといえば。都市間が近いのと、自然動物達の脅威度が低いことが要因。
逆に舗装されていない場所や特定の場所は猛烈に危険である。例えば、富士山や琵琶湖や鳥取砂丘などは国からの立ち入り禁止。他にも各県危険スポットが点在する。
それらを避けて綿密な計画の元に作られた国道は護衛が必要な程度で済む安全な道と言えよう。
検問から数時間。薄暗かった空はすっかりと晴れ渡り新東京を囲む壁が地平線に沈んだ頃、国道の不正使用中の兄妹達は動き出す。本当に代わり映えの無い景色は既に見てすらいない兄は、辞典程の厚さの地図を取り出し、新東京から新奥多摩までの道のりを再確認し出した。
国道一号の進路は練馬から出て、大きく緩やかなカーブを描きながら、新相模湖周辺に新たに出来た都市。新神奈川へと繋がる。約三千キロ程、一団は百二十キロで走行しているので、速度を固定し一切の休憩をしないと仮定すると約25時間、頑張りに頑張りを重ねれば一日しないで到着する距離。
その後は兄妹に関係ないが、富士山の北を通り南アルプスを開拓して作り上げた新幹線の経路が名古屋まで続く。
霊峰富士の巨大化は凄まじく、南側の平地を飲み込み、海をも高地へと変えた。近寄ることは国が許さない。
口に掌を当て地図を眺めていた兄は、指を挟みながら本を閉じ見えない妹の方を振り向き、声をかける
「起きてる?」
「おやつ食べてる。どうかした?」
「このトラックにどこまで引っ付いていこうかなって話。流石に二日くらいこのままってなるとアンも大変じゃない?」
「まあこの隙間にずっと挟まったままは無理よね。トイレ行きたくなるだろうし」
「じゃあ限界まで乗り続ける方針で行こうか。」
「それにしても本当に新奥多摩に居る人達はお兄ちゃんのお眼鏡にかなうかな?」
「さあ、どうだろうね?凄く強いという噂は最近良く耳にするけど。」
「大体条件が良くわからないよ。私達より絶対強そうな人の下に付きたいって言ったってさ。これまでにも超強そうな人もいたわけじゃない?いい加減どこでも良いじゃん!」
「ここは引けないよ。僕と約束したこと忘れたの?」
「覚えてるよ!もうちゃんと守ってきたよ!一つ、必ず《琵琶湖の洞窟》最深部に行くこと。二つ、私達は何があっても人を殺さない。三つ、如何なる組織に所属する場合はお兄ちゃんの判断プラ…ッ!」
アンが息を止める。一番前のジープに乗っていたはずのレオンがトラックの運転席上に飛び乗ってきたのだ。鋭い眼光が過ぎていく国道を睨む。その背に大きな荷物はない。片方の耳を澄ますために手を当て、もう片方の耳で無線を繋げる。
「少し確認している。周りの警戒を頼む。…気のせいかな?この辺から何か声が聞こえたような。」
兄妹の居るところから五メートルも離れていない位置。レオンの警戒の色は未だ薄れない。一歩一歩ゆっくりと車体へと近付いていく
「まさか気が付かれるとは思いませんでした。レオンさんお見事です。」
ゆったりとした拍手と共にのっぺらぼうの様な木の仮面を着けた兄がレオンの視界に突如として現れる。辺りへの警戒を解かず無線を繋げる為、耳にて手を当てる。
「ああ、お探しものはこちらですよね?お仲間がトラックの周囲を警戒していてくれるのであなた方全員を相手にしなくても良いのは助かります。」
強いな。お互いの第一印象は一致。既に相手の手札、その方向性を知る兄とは違い。レオンの判断は直感である。
「ほお、いったい何時無線を盗ったのかはわからないが、その技で俺を殺さなかったのはミスなんじゃないか?」
「嫌だなあ…勘弁してくださいよ。人殺しなんて覚悟があっても僕には荷が重いです。」
「…変わった盗掘屋だな…」
《可能性の洞窟》は見つかっていないものを含めて、国の許可無く発掘することを禁じている。ただ《洞窟》全ての管理が不可能なため、《盗掘屋》と呼ばれる不認可の採掘作業をする者が国に大勢存在する。その多くが何かの理由で満足に教育を受けていない者達で、人殺しへの抵抗が低い。
しかし、レオンの目の前に立つ男は違うのだろうか?そんな言葉を呟いた時に不自然な香りを感じとる。トラックの進行方向で気が付くのが遅れたが、消臭剤を一本丸々浴びたのかというほど強い匂い。
冷静に考えを巡らせる。
目の前の男は自身の《獣化》を知っている可能性が高いことを瞬時に気が付く。通常《可能性》は通常攻撃手段であり切り札ともある。殆どの戦闘を身体能力強化だけでこなすものもいるほどだ。
特にレオンは奥さんの言葉を聞き現在殆ど返信する機会も無く匂いもない。それなのに匂いを覚えられる危険性を考慮しての消臭剤。本当に突如として目の前に現れる《可能性》。答えは、検問時から見られていた。
レオンの体は瞬時に膨れ上がる。顔を覆う茶色の鬣、肉を裂く爪、骨をも砕く犬歯。元々ある顔の傷と合わさり、さながら獅子の王
「ちょっ!」
兄と周りを警戒していたレオンの仲間達が同時にレオンの変身に驚く。強い《可能性》は他者に強い圧迫感を与える。仮面のせいで声だけが焦っているのがわかる兄は、後ろ腰に昨日の時点ではなかった懐刀を抜いて構える。全長十八センチ、小型の短刀となる。戦闘に用いるには少し心許ないサイズ感。
しかし、そんな刃物を見てレオンは一時的に目を大きくした。
レオンの仲間達は既に変身済みのレオンの邪魔になると判断。邪魔をせず、逃げられないように注視の構え。その中では数名が兄の持つ刃物に目を向けている。
トラックの上で先に動いたのは巨大な人形の獅子。全長三メートルにも届くその巨体。右手の爪を五センチ十センチとより鋭利に伸ばし兄向けてコンパクトに、最短距離で突き出そうと行動に移そうとした。
その行動は誰が見ても洗礼され、無駄が一切存在していなかった。だがそれ以上に仮面の襲撃者は力が、スピードがトップになる前に、洗礼された一撃を切っ先一つで防ぎ出鼻を挫く。
全員が確信した。
「まさか…《贋作武人の懐刀》か!」
「その失礼な名前やめてくれません?」
「まさか伝説級の発掘物をこんなところで見るとこになるとはね。現代に所有者居たんだ。」
発掘物には階級が存在し、階級はその物の持つ《可能性》の数が多ければ多いほど高い。兄の持つ懐刀は六つの《可能性》が詰まっている。この数は発掘物の階級の上から二番目。現在確認されている同格の発掘物は、九十七個と非常に少数。
因みに兄妹の車も発掘物で階級は下から二番目。
「前所有者達の武術を未来に託す業物です。」
兄の言葉に、コイツ良い奴だな。と思いつつ右腕を振るう。大木を五つの輪切りにできる威力の爪は、体勢を低く取った振り払いにより難なく受け流される。隙無く、堅実に鍔もない短い刀身はレオンの攻撃を凌いでいく。
爪と腕で兄よりも圧倒的なリーチの差を攻めあぐねる。レオンの戦闘スタイルはその巨体とは裏腹に、高速移動でのヒットアンドアウェイ。森や草原など相手の翻弄を誘える場所を得意とする。
百二十キロ出ているトラックの上は足場も狭く、護衛対象を壊すわけにもいかず攻撃の選択肢も減る。兄もそれがわかっているからこそ、体勢は低くトラックからは離れない。その上で周りの公務員達からは見辛く、援護の心配も減る。
しかし、レオン以外の護衛も無能ではない。エリートなのだ。
国道下から突如として爆音にも似た落下音が、一帯を包むと同時に、他の護衛達が動き出す。
レオンは兄の出現の仕方を警戒しトラックを止めるつもりはなかった。兄への更なる援軍を避けるためだ。しかし、それを知らない護衛達はトラックへと無線にて襲撃者のことを通達。急ブレーキでタイヤが道路と擦れる音が響く。
その場の者達全員が落下音の方へと一瞬気を取られていたが、そこは流石に臨機応変。兄への視線は外さず、背中は他の仲間へと預けた。
後方車両から二人が跳躍、その手には近接武器。双剣を持つ女性と、身の程の大剣を持つ男性。トラックに当たらないよう大きく振りかぶる二人が迫る
眼前のレオンからは目を離さぬ兄は落下音を耳にして小さく鼻息を漏らす。後ろから迫る二人に気が付いた上で。
「頃合いなので僕は失礼します。お邪魔してすいませんでした。この先もお気をつけて。」
「は?」
あまりにも予想していない言葉にレオンは声が漏れる。
一瞬確認したところ、後ろ二人の奇襲は、高い位置に大剣、下に双剣となっており。兄は懐刀を握り直しその場から後ろへと大きく飛ぶ。丁度顔の前に大剣の刃が来るよう飛んだが、まさに計算通り。懐刀を合わせ、大剣の上に乗る。
間髪入れずに大剣を足場とすると放物線を描き、国道から飛び降りる。懐刀を収めるとその手を振り別れを伝える。
完全に停車したトラックからはレオンは飛び降り、急いで国道の下を覗き込む。眼下には鬱蒼とした森があり、既に襲撃者の姿はない。何故だか匂いすらも途中で消えている。元より追跡の必要はないが、追跡は不可能だった。短い攻防だが限られた選択肢の中で全力で戦っていたレオンは眉間に皺を寄せる。明らかに攻める気の無かった相手に不満があったのだ。
「襲撃者の逃走を確認。急いで出発だ!また出てくるかもしれないから今日は出来るだけ警戒を怠るな!」
変身を解いたレオンの一声は即座に他の護衛達を動かした。あっという間に出発した一団。
先頭のジープに乗り込み新しい無線を耳に押し込むでいると、早速仲間達から無線が繋がる。
「レオンさんすいませんでした。直ぐに気が付けたら逃さなかったかもしれないのに…」
「ああ、嫌。あれでよかったよ。」
不貞腐れながら頬杖をついて辺りの警戒をするレオンの発言は他の護衛達の首を僅かに傾けさせた。
戦闘中身体能力強化以外の可能性は一つも出せなかったので、実力は未知のまま。なんなら無線を盗られた時に既に敗北は決まっている。舐められていると感じても仕方がない。
みるみる内に離れていく一団をよそに、左足を透明な何かに引っ張られ宙ぶらりんの兄は長いため息を吐いていた。
「あ~~~しんど。もう行った?」
「行った!ごめんね!まさか締め切った車の中の会話を聞き取るとは思わず!」
「全然大丈夫。しっかしとっさに応戦したけど、あの人が真面目な仕事人でよかったよ。トラック壊さないように戦ってくれてなきゃ懐刀だけじゃキツかった。」
いつの間にか姿を表したアンの手を掴み、引き上げられた兄は仮面を取ると道路の先を見る。既にレオンの乗る一団は見えない。逆方向の後続者もまだ来ていないのを確認。頭に上った血を下ろすように頭を軽く振るう。
他にもかすり傷等が内科の確認をして行く。頭から順番、腰に行き当たる時に懐刀もしっかりと確認。
「よし。問題ないね。アンも平気だった?」
「もっちろん。車を盗りに投げ捨てただけだからね。ああ、かわいそうな私の愛車…」
たまにしか運転しないくせにとは言わない。
「じゃあ、呼んで貰っても?」
「はいはーい!《忠誠》かえっておいで~」
アンの呼び声に、反応しボロボロの車が国道の下から宙に浮いてアンの目の前へと降り立つ。側も元々ボロボロだが更なる傷は見受けられない。発掘物には《不壊》《忠誠》が付与されることが圧倒的に多い。《不壊》は常時発動している壊れなくなる力。《忠誠》は声に出す必要は無いが、所有者の元に戻ってくる力や発掘物に他の《可能性》がある場合、所有者しか使えなくなると言う力がある。そして車にはその二つが付与されており、兄の懐刀にも勿論その二つがついている。
「あっちゃ~中ぐちゃくちゃ。あ、ガソリンとか水とかの液体類は無事だね。固定しといてよかったあ~」
車は傷付くことはないが、中の荷物は別である。中はシェイクされ、運転席にも食料やらが転がる。雑に片付け乗れるようになれば二人もすぐさま車を発進させる。
何事も無かったように二人は談笑を開始、兄は気が付いたように仮面を国道下に投げ捨て、アンは足元に落ちていたポテトチップスの袋を開けて食べ始める。
「結果的にご飯買い溜めしててよかったね。」
「この車だとそんなに速度出ないし、中継都市に着くのも時間かかるからなんなら食料調達しなきゃ行けないな。」
「ああ、確かに。現地調達にする?一旦新神奈川寄る?」
「流石に長期の予定だから寄りかなあ…切り詰めることは、出来なさそうだし。」
言葉尻は小さくなり、アンの食べ終えたポテトチップスの袋を見ながら呟く。ごみを纏めるアンはしょっぱいものの次は甘いものとチョコレート菓子を食べ始めた。
急ぎの旅ではあるが、車のスペック上九十から百を越えるのがやっとなのでドライブのようである。
四日以内に着けるよう限りなく時間を無駄にしないようアクセルを踏んだ。