新神奈川の雨
「「なん…だと」」
兄妹は両目を見開き、まさに驚愕の表情をウィリアムに向けていた。
事を結末からいつのであればウィリアムが美女になったのだ。
腰まで伸びる美しい銀髪に先程までジャストサイズであったシャツは、肩周りが少し緩く胸元がパツパツなっている。これは体が女性らしく変化していることを示していた。
ハッとアンが隣を歩く兄を見る。植木鉢を持っていないもう片方の手をピースの形にし、兄の開かれた眼に指を突き立てる。
「マズい! こんな美女を見たらお兄ちゃんに何かが芽生えてしまう!」
「殺意しか芽生えない!」
兄は両の目を押さえながら地面をのたうち回る。その二人の反応に少しだけ、「私を見た時は何もなかったのに」とメアリーが首を傾げた。しかし、そんなことはどうでも良いと切り替え、無い胸を張って誇らしげ。
「どうですか。凄いでしょう。美しいでしょう! 身体操作を極めればこんなことも出来ます。…傷を治すのと同じで体を弄れば多少寿命は減りますが…」
ちょっと放置して良いのかわからない発言が兄妹の耳に届く。若干の迷いの間にウィリアムが先に話し始めてしまった。その声は元の声よりも高く女性らしく変わっている。
「川から出るところさえ感知されなければ、この外見から特定は難しいでしょう。まず間違いなく辻さんから逃げきるとご提案させていただきます。お二人も川から上がった後、雨が当たらなくなりそうであればメアリーと手を繋いでいただければ同じように変化できます。」
「ええ…寿命が減るんですよね?」
「そうですね。どの程度減るかは私にもわからないですが、これ以上無く辻さん対策かと思いますよ。他の案があれば勿論検討します。」
痛みが減ってきた兄は目を擦りながら提案を呑み辛い口振り。しかし、辻の感知能力が特定の人物をピンポイントで見つける技ではなく。元々特定されている人物を風で追跡する技と推測したとしても、既に一度対面しているのであれば肉体の変化はしていれば安心できる。理解は出来てもなかなか悩ましい。
「お兄ちゃんがトンネルを作りながら進むのはどう?」
「バカたれちゃん。それは時間がかかりすぎる。土の中から外が雨かを判断するのは僕には出来ない。土から出るタイミングが少しでも悪かったらゲームオーバーだよ。」
しかし、兄妹から良案は生まれずウィリアムの案に乗る他なかった。頷く二人は問題はそれだけではない為、思考を次へと移す。
それは川を出るポイントである。
現在はほぼ先ほどの戦闘地と目と鼻の先。目的の都市の出入口は正規のルートでは入っていない兄妹にはそのまま出ることは叶わない。
「わかりました。寿命は惜しいですが、どのみち不老を目指すのであれば小さな問題です。あとはどのルートでこの中継都市を出るかですかね?」
「ふむ、メアリー。地図をお願いします。」
返事と共に兄の目の前に出て、歩きながら後ろにも見えるよう広げられた真新しい地図。新神奈川全体がデフォルメされて描かれていた。
大きな円形の壁には東西に大きな門と国道が繋がり、北南には可能性の洞窟調査のために小さな門が存在。大都市程ではないが検問所前には何もない道が続く。
北西から大きな川が真っ直ぐ南へ流れ新神奈川を二分断していた。その川の中心より少し上をウィリアムが指差す。四人の現在地だ。
「大雑把ですが私達が居るのはこの辺り。現在進行形ですが、北の検問所を目指すのが一番近いです。辻さん達も想定はしやすいでしょうが肉体変化をしていれば近くを歩かない限りは安全かと。」
「じゃあ、このまま北の壁まで川の中を移動しますか?」
アンの質問にメアリーが質問で返す。
「アン様の可能性は音をどの程度の消音効果が期待出来ますか?」
「私から発生している音あれば完璧に消せますけど、他人のはちょっと漏れます。」
「であれば壁を背に待たれた場合、直ぐに気が付きますね。」
「ん~。じゃあ、検問所から少し離れた平地の…この辺りで川を出る。音は無理でも姿なら見られません。地図上では道路との距離が一番近そうなので、雨の中を全力で走ればトラックの中に紛れられるかもしれません。空気孔はお兄ちゃんに塞いで貰いましょう。」
九十点とメアリーが呟き補足する。
「一番近い所は監視されているかもしれませんから、少し離れるのが良いでしょう。」
ドームの中を歩いているだけの三人は気が付かないが、少しずつ川の流れが強くなってきているのを兄だけが感じとる。正に新神奈川、都市の外では既に雨が降り始めていた。もう一時間もしないうちに都市内は大雨になる
夏の急な雨は千年経った今でも異常気象。いずれの都市も川の増水により氾濫が起きないよう対策されている。新神奈川は主に元々の川幅の広さと、ある程度高い堤防で管理。都市完成から今のところ川からの水害はない。
数時間の後、ウィリアムの指示で四人は足を止めた。涼しい顔の兄妹を見てメアリーは感心。
「この辺りでしょう。お兄様、休憩は要りますか?」
「いえ、大丈夫です。直ぐに行きましょう。」
兄は右手を地面に当て土を固めた梯子を作り出す。それに合わせて水のドームの形を筒状に変えた。川の流れを操作し水面に人一人が通れる道を作り出した。
横殴りの雨。その強さが川底まで届く音でわかる。
お先にどうぞ。と右手で三人に譲り、メアリー先陣を切りピッタリとアン、ウィリアム、兄が続く。
鼻から上を川上に出すと、メアリーの髪の毛は前方に強く靡いた。アスファルトで出来た急な角度の防波堤があり、川沿いには人影はない。
そう判断し、そのまま防波堤もよじ登る。体制を低く保ち、髪を一つに纏めながら更に注意深く辺りを見回す。
既にアンの可能性で周囲から姿は見えてはいない。
兄が梯子や植木鉢等の処理を済ませた頃、ウィリアムが口を開く。
「西の雲が薄くなっています。急ぎましょう。ご兄妹はここからは全力で走ってください。合わせます。」
四人の真上にある雲は日の光をだいぶ塞いで居たが進行方向とは反対の遠くに見える雲には白い部分がちらほらと見える。
想定どおり、道路に向かい走る。
四人の中で最も機動力が低いのは兄。その全力に三人が合わせる形で並走、夫婦の間に兄妹が並び男女が綺麗に別れている。
五分も経たないうちに河川敷や防波堤は殆ど見えなくなり、雨のせいで荒れた泥道を進む。
聞こえるのは雨音と足音、風を切る音。ポツリとアンが呟く。
「ん? 何の音?」
「どうかしました?」
呟きは雨音で消され、キョロキョロと周りを見るアンに隣のメアリーが気がついた。
「いえ、凄く遠くの方でヒューって聴こえて。これは…上?」
アンの見る方向にメアリーもつられる。何もない。何も見えない。二人の目には何も映らず、メアリーはもう一度アンを見た。
その表情には何かがあると確信していた。聴力の強化を行うが雨音が強く聴こえるだけ、メアリーには聞き分けられなかった。
前見て走らないと危ないぞ。男性陣が気がついた時。雨は止んだ。日差しと共に。
「全員道路へ近づきながら町へ走りなさい!」
夫婦のみが起きたのかを悟る。そのまま進む。来た道を戻る。検問所に進む。町へ戻る。どちらへ行けども捕捉されている。逃げ道は無い。ならばあの凶悪な圧力を放つ者と戦う他無い。ウィリアムの生存率を上げるために、メアリーは発掘隊、公務員全てを使うと決めた。その判断が皆を走らせる方向を決めた。
しかし、その判断はあまり意味が無かった。既に若い黒髪の男が四人へ視線をそらさず行く手を阻むように現れた。
人影は先ほどまで無かった。全く、これっぽっちも。
先日ウィリアムが相対した侵入者も同質量のモノと位置を入れ換えることで瞬間移動が出来たが、それとは違う。そもそも進行方向を見て、走り出した後に突如として…
そこには何もなかった。メアリーは瞬きをしていない。晴れた瞬間から身体操作で粘膜の精製し続け、一切視界からの情報を途絶えさせずにいる。
訳がわからない。メアリーの同様を余所にウィリアムが声を出してしまう。
「…一体どうやったのですか? どうやって私達の位置を…」
見えてはいないはずだったのに。そう思いながらも、不測の動きに対処するため姿を現す。
「なんだい綺麗なお姉さん。自己紹介の前にそれかい? まぁー、二人が来るまでもう少しかかるからいいけど。勿論、風磨が死ぬ程頑張ってくれたんだよ。」
「あり得ません! 私達は雨が振りだしてから少なくとも二時間は川の中にいました。その間も都市を流れる川周辺を感知し続け、極めつけはこの雨雲を散らす程の威力。辻さんの大技『チップ』だ! あの年齢で、弱り方で体力が保つはずがないだろう!」
髪の長さはそのままに、口調が荒れるウィリアムは骨格が男性へと戻っていく。目の前の若い男は興味深そうにその変身を眺めていた。
肩で息をするウィリアムの後ろから足音が聴こえてくる。
睨むウィリアム、目を離せないメアリーに変わり兄妹二人が音の方へと振り向く。
老人が老人を脇に抱えながら凄い速さで向かってきていた。
「ご高説ありがとう。その解答が今来たよ。安心しなよ。不意打ちなんてしないさ。ゆっくり見るといい。」
夫婦は目線をそらさず若い男をみる。メアリーがウィリアムに近づき右肩に手を置いた。その手にはかなりの力が入っており、その場からに固定されている感覚に近い。
ゆっくりとウィリアムだけが振り向き、後方から来た老人達を視界に捉え両目が大きく開かれる。
「ねぇー? 文字通り死ぬ程頑張ってくれたよ。」
肩に置いたメアリーの制止でウィリアムは若い男を睨むだけに留まる。
「ウィリアム。落ち着きなさい。貴方の弱点が二つも割れました。」
「だねえー。お前は煽りやすければ優しすぎるな。強けりゃ問題はない。あとは目標次第かな。興味はもう一人の男にも向いてるしね。」
ニヤついた若い男が兄と目を合わせる。その間にアンが割り込んでくるが身長が足りず視線は切れない。
夫婦よりも先に兄が聞く
「いったいアナタは誰なんですか。何故追いかけてきたんですか。」
「そうだな。自己紹介は大切だ。」
事切れた辻を抱えた老人が、手に持つものを若い男に向けて投げた。四人の頭上を越え、辻の首根っこを掴み受け取る。ついでと言わんばかりの剣だった物も若い男の方へと投げられる。刀身から柄までガラス細工の様な透ける剣の残骸、足元へと落ち更にバラバラになった。
パリンパリンと音を起てると、数時間前に感じた強大な圧力が再び四人を包む。
「俺は、逆瀬谷行。よろしく。」
現在、この国には国が定めた三人の最強がいる。三つの上位系統、獣神型、魔神型、神人型。それぞれの最強。
獣神型。善家一
魔神型。百武水生
神人型。逆瀬谷行。
上二人は可能性が広がった時代から生きる伝説。古くからある名前過ぎて騙る者は殆どいない。しかし逆瀬に関してはここ二百年程で台頭してきた名前。多くの者が脅しや詐欺行為で偽名として使うことは多々ある。
だが、今目の前にいるのは本物。確信的な可能性の圧力が収まる。
「俺のタクトが折れてる!」
その声は逆瀬に掴まれている男から聞こえた。先程までは間違いなく老人。しかし声は若く、発声した本人ですら驚いた。
艶のある黒い髪が生え、背中も真っ直ぐに伸びている。十代後半から二十代に差し掛かる程度の年齢にしか見えない。
逆瀬が手を離すと、解放された男は未だ自身の現状を受け入れられなかったのか。バラバラになったガラスの剣の上に膝をつく。
手の皺、顔の皺と確認した後、腕に入る力、膝の状態。全てが健康優良。全盛期の肉体、喜びが後から押し寄せ。叫び声となる。
「やったああああ! はあ、はあ、逆瀬様。ありがとうございます…」
「俺らの仲間になるからには期待してるぞ。風磨。」
「おまかせください!」
老人であったはずの辻風磨。その若返りを目にした。
数時間前の風磨の言葉を四人は思い出してはいた。しかし、それよりも大きな衝撃がある。可能性を他者に直接作用させていることだ。
こちらも数時間前にメアリーが指の傷を治した。これは発掘物の可能性込みの為、法則に準拠している。触れた者の身体操作ができる手袋。全人類が行える身体強化の一種である身体操作。感じる圧力も微々たるものでかなり気を張ったり、感覚の鋭い者でなければ感じることすらない。そんなありきたりで弱い可能性だが、細胞レベルの操作が可能なメアリーが使うことで属人性の価値がある。ウィリアムも同じことはできるが、メアリー程の速度や結果はでない。
対して逆瀬の可能性は発掘物を通している素振りはない。素手で触り発する圧力は力の大きさや効果の希少性を物語っていた。
希少性は抜きん出ており、自身を除く生命への直接的な効果は原則できない。しかし、前例はニ人だけ存在。一人は植物関連の可能性を使う兄、もう一人は最強の一角、百武水生だけであった。
最強といっても可能性まではどんなのか公表はされていない。ただ話はゴシップ記事や噂で広がり、最終的に生命に直接効果を発揮する可能性を使える者は『例外』と呼ばれている。
「ああ、そうだ。まずは聞いておきたいことがあったんだ。」
逆瀬が右手を真上にのんびりと上げながら辻の前へ歩み出る。兄妹には馴染み深い動作、夫婦にとっても仕事柄よくわかる。圧力を感じないこの動きは、多くの発掘隊員や都市外へ仕事に行く者達が愛用する所有している発掘物に『忠誠』が付与されている時多くみられる。
この上ない忠誠心により所有者の手元まで甲斐甲斐しく飛んでくる発掘物を迎え入れる動きだ。
大太刀。全長百四十センチを越え、刃だけでも百九センチと特大の得物が逆瀬の元へ帰ってきた。
ただ『忠誠』が付いた大太刀なら驚くこともないが、最強の一角が持つ発掘物が低ランクのはずもなく。兄の持つ懐刀と同格…同シリーズと言った方が正しい。
贋作武人の大太刀。その主な力は破壊した武具の再現。一部でも大太刀で傷をつけれさえすれば条件が整い。発掘物であっても『不壊』がなければ付与されている可能性までも再現できる。
逆瀬は左手で鞘を支え、受け止めた柄を手首のスナップで刀身を三分の一程抜く。抜き身の腹を右逆手で持ち鞘を外す。鞘が地面に落ちるのと左手が柄を持ち上げたのはほぼ同時。流れるように刀身は地面へと吸い込まれていく。
これは逆瀬ぎ落としたのではなく、大太刀の可能性『再現』に必要な予備動作。刃が地面に深く刺さる程逆瀬の足回りには多くの武具が生えていく。
逆瀬のお目当ては二つ。ガラス細工の様な剣を一振、そして簡素な小太刀を一振を右手で抜き取る。
「お前らの夢について聞いておこうかな。」
四人に向けられた不思議な質問は、逆瀬の持つ発掘物と真剣な眼差しで茶化されているものではないとハッキリと伝わった。




