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黒緋の勾玉が血に染まるとき  作者: 弍口 いく
第2章 鬼の記憶
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第3話 くノ一の宿命 その5

 町へ来るのは初めてだった。

 十六年間、生まれ育った山から降りたことがなかった芙蓉ふようにとって、初めての大きな町だった。


 大勢の人が行き交う活気ある宿場町を、芙蓉はポカンと口を開けながらキョロキョロ見回していた。


「恥ずかしいからやめてよ」

 挙動不審な芙蓉を花菜かなが諫めた。

「だって、こんなに人がいるところ初めてよ、それにいろんな店があってにぎやかだし、こんなところもあるのね」

「あなた、どんだけ田舎者なの?」

「確かに……」

 芙蓉は少しはしゃいでいる自分が恥ずかしくなってこめかみを掻いた。


 その時、花菜はすれ違った女の顔を見てハッとした。

 振り返って、その女の後姿を目で追った。


「どうかした?」

 花菜の様子が変なことに気付いた芙蓉が問いかけた時、

「姉ちゃん……」

 花菜は駆けだした。


 その女の腕を掴んで振り向かせる。

 驚いた顔見て確信した。

美菜みな姉ちゃんだよね」

 美菜は二十歳前後の若いが落ち着いた感じの女性だった。


「えっ? あんたは」

 花菜を見た瞬間、表情が凍り付いた。

「花菜、なの?」

 花菜の目がたちまち潤んで、大粒の涙が零れた。


「姉ちゃん!」

 人目もはばからず、花菜は幼子のように泣き出した。

「ちょ、ちょっと」

 困った美菜は、花菜の顔を袖で覆い隠しながら路地に引っ張っていった。

 その間も花菜は姉の袖を握りしめながら、顔をクチャクチャにして泣いていた。


「会いたかったよぉ」

「まったく、こんなところで会おうとはね」

 再会の喜びを全身で表している花菜とは対照的に、美菜の反応は冷ややかだった。



   *   *   *



 二人は路地を抜けて河辺へ出て来た。

 荷下ろしが済んだ船は無人で岸に繋がれている。川面は静かに波を揺らして、見下ろす美菜の姿をぼんやり映していた。


「まさか、生きて会えるとは思ってなかったわ」

 美菜はまだ泣きやまない花菜の頭を、しょうがない子ねと言わんばかりに優しく撫でた。


「忍びの里に売られたんでしょ、もう……」

 言葉に詰まった。

「二度と会えないと思ってた?」

「くノ一の命なんて使い捨てだと聞いているから」

「あたし、優秀だったのよ」

「そうね、あなたは幼い頃から器用だったわね」


 美菜は懐かしそうに花菜に目をやったが、すぐに厳しい真顔になった。

「でも、なんでこんなところに? 何かの任務中なの?」

「抜けた」

「なんですって!」


 思わず声を上げてしまったが、ハッとして口を押えた。そして小声で続けた。

「抜け忍ってこと? それヤバいんじゃないの?」

「そうとうヤバい、追手がかかって殺されるのも時間の問題よ」


「バカなことを……、命を捨てるようなことするなんて」

「さっき姉ちゃんも言ったじゃない、くノ一の命なんて使い捨てだと、どのみち長くは生きられないのよ」

「そうね、あたしも……」


「姉ちゃんもどこかに売られたんでしょ?」

「あたしは遊郭よ」

「遊郭?」

 美菜は普通の女中風の服装だった。遊女には見えない。


「あたしも逃げたのよ」

「じゃあ、姉ちゃんだってヤバいじゃん、遊郭から逃げたら、どこまでも追われて連れ戻されるって聞いてるわ」


「今のところ、見つかってないし、なんとか身を隠し通せてるけど」

 美菜は再び花菜を見つめ、

「お互い、明日をも知れぬ命ってことよね」

 淋しそうに苦笑した。


「酷い目に遭ったよ、あんな母親のせいで」

 美菜は川面に揺れる自分の姿に小石を投げた。


「九歳で売られたあたしは十二から客を取らされたわ、器量のいい娘は上客狙いで教養を身につけさせられ、芸事も習わせてもらって大事に育てられるけど、あたしみたいな中の下はすぐに客を取らされるのよ、それも下の客をね、何度酷い目に遭ったか、それで耐えられなくなって逃げたのよ、なにも持たずに身一つで飛び出したから、どこかで野垂れ死んだと思われてるんじゃないかしら」


「でも、無事でよかった」

 花菜は美菜に抱きついて、肩に顔をうずめた。姉の匂いが変わっていないことが嬉しかったが、

「やめな」

 美菜は違った。


 花菜を引き離しクルリと背を向けた。

「もう、あのころとは違うのよ、あたしたちの道は違えた、もう姉妹じゃないの」

「なんでそんなこと言うの!」


「あたしは今、素性を偽って大店で女中をしているのよ、あんたみたいな妹がいると知れると面倒なのよ」

「そんな……」

 拒絶する背中を見て、花菜はそれ以上言葉が続かなかった。


「追手が来るんでしょ、巻き込まれるのは御免だわ、迷惑なのよ」

 確かにそうだ、抜け忍はとこまでも追われる。身一つで逃げた三流の遊女とは違う。姉は逃げおおせて、新しい人生を歩み出している、邪魔するわけにはいかない。


「そうよね」

 忍びの世界は非情だ、肉親がいるとわかれば人質に取られる恐れもある。遊女だった美菜は裏の世界も知り尽くしているから、危惧しているのだろうと花菜は思った。


 たった一人の姉、もう会えないとあきらめていたが、思いかけずに再会できた。しかしそれは姉にとって喜ばしいことではなかったことが、花菜は悲しかった。


「わかったら、二度と声をかけないで、早くこの町から出て行って」

 美菜の言葉が冷たく突き刺さった。


 去っていく美菜の後姿が涙で霞んだ。


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