第2話 悪夢の旅路 その13
羅刹姫と別れた芙蓉は、亮太を連れて村へ帰ろうとしていた。一刻も早く孝子に無事な姿を見せてあげたいと急いでいた。
「芙蓉、あれ」
枕小町が先に気付いた。
夜空が明るく照らされている、先方で火の手が上がっていたのだ。
「村の方角だわ」
芙蓉は現場を確認するため、亮太を抱えたまま、高い木の枝に飛び上がった。
かなりの大火事、一軒二軒が燃えている規模ではない。
「夜襲にあったんだわ!」
芙蓉は思い当たった。
「本当に山賊がいたのね、鬼じゃなくて」
枕小町は他人事のように淡々としているが、芙蓉は膝が震えた、せっかく亮太を取り戻したのに、両親が死んでしまっては元も子もない。
「あの火の大きさ、村ごと焼かれてるわね」
「煙の臭いで、孝ちゃんの臭いがわからないわ」
「あの中で焼死してるんじゃない?」
無慈悲な枕小町に、違うとは言い切れない。
その時、藪を分け入りながら逃げる二つの人影が、芙蓉のいる木の下を通過した。その後から、刀を振り回しながら三人の野盗が追ってきている。
月明かりに照らし出された逃走者の顔は孝子と三太だった。
それを見た瞬間、芙蓉は考えるより早く行動に移した。小枝を折って先頭の男に投げつけた。
「ギャァァッ!」
それは男の右目に突き刺さった。
亮太を小脇に抱えたまま飛び降りた次の動作で、右目を押さえて苦痛に喘ぐ男から刀を奪い、喉元を切り裂いた。
続いて、後続の二人の喉元にも切っ先を滑らせた。
流れるような動作で瞬殺した三人を、芙蓉は無表情で見下ろした。
三人の野盗から流れ出た血の臭いが鼻を突いた。
「芙蓉?」
野盗の悲鳴に足を止めて振り向いた孝子は芙蓉の姿を認知した。と同時に、亮太の姿も、
「亮太!」
孝子は目にいっぱい涙を浮かべながら駆け寄ると、芙蓉の手から奪い取るようにして亮太を抱きしめた。
「亮太! 無事だったのね」
孝子の声を聞きながら、芙蓉の体は震え、握っていた刀が手から離れた。
食欲をそそる人間の血の臭いに、意識が持っていかれる。芙蓉の心臓がドクンドクンと大きな音を立てた。
鬼に変化してしまう。
(今はダメ!)
芙蓉は堪えようと、自分の体を両手で抱きしめた。
苦しそうに蹲る芙蓉を見て、三太は誤解した。
「気に病むことはない、極悪非道なこんな奴ら、死んで当然だ」
人を殺してしまったことを悔いていると思ったようだ。
「あたしたちを助けようと、してくれたことよね、ありがとう」
孝子も芙蓉の背中を優しく擦った。
(違う、違うんだけど……)
なんとか鬼化を食い止めた芙蓉は青ざめた顔を上げた。
「一人で亮太を助けに行ってくれたのね」
「え、ええ」
母に抱かれて、亮太はようやく目を覚ましたようだった。
「おっかあ?」
今度は黒い獣ではなく、見慣れた母の顔にホッとしたようだ。
「よかった、ほんとに生きていてくれて」
孝子は再び強く我が子を抱きしめた。
「夜が明けたら打って出る準備をしていたのに、先を越されたんだ」
三太は悔しそうに顔を歪めた。
「ええ、火の手が見えたから」
「村は全滅だ、俺たちは散り散りに逃げて、ここまで来たんだけど、見つかって危ないとこだった」
「あなたがいなければ殺されていたわ」
孝子は息絶えた三人に、害虫を見るような目を向けた。
「それにしても凄いじゃない、いつの間にあんな身のこなしが出来るようになったの?」
亮太を無事に取り戻せた孝子はすっかり有頂天で声を弾ませる。
「樹にそうとう仕込まれたのかしら、二人で猟に出るために」
(違う、人間だったら到底できなかったこと)
「早く樹と会えるといいわね」
芙蓉は、なんの疑いもない孝子の言葉に苛立ちを覚えた。
(二度と会えない、会うつもりはない、彼はあたしを見捨てたんだから)
本当のことは言えない。
三太と一緒に逃げて来た孝子とは違う。
「あたしたちも会えたんだから、きっと大丈夫、樹にも会えるわ」
浮かない表情の芙蓉を元気付けるつもりが、彼女には逆効果だと孝子はわからずに続けた。
「あたしたちだって、村は焼かれたけど、親子三人、生きてさえいればなんとか暮らしていけるわ、ね」
三太に向ける屈託ない孝子の笑顔が芙蓉の胸に突き刺さった。
(親子三人、幸せに暮らせる? あたしと樹にはない未来)
芙蓉の心にどす黒い靄が立ち込めた。
せっかく抑えたのに、また心臓がドクドク音を立てた。
鬼化がはじまる。